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#2-6

「ところで俺、名前教えてなかったな。赤星 紅緒……赤い星に紅、で一緒の緒。よく男とか夫って間違えられるんだ。ま、俺の名前書くようなこと無いか」  会話ができることに安心したのか、紅緒は饒舌(じょうぜつ)になった。  名前はすでに知っているというのに、改めて本人の口から教えてもらうと特別なもののように感じる。  これで晴れて名前を呼べない憂いはなくなった。 「紅緒」  その喜びを噛み締めながら名前を呼ぶと、満更でもないように笑う。 「はは……いきなり名前呼ばれるのって、なんか心臓に悪いな。嫌ではない……けどさ」 「綺麗な名前だね」 「え? あ……ああ、ありがとう……そんなこと初めて言われた。照れるな」  紅緒が見せる感情の一つ一つが好奇心を容赦なく刺激する。彼の領域が僕の中に広がっていく感覚と彼が秘めているものに触れる感覚の心地良さは中毒になる。 「それで、仁科の名前は? 苗字はあの日、伏見先生が呼んでたの聞いたから知ってるんだけど……えっと、伏見先生って分かるよな」 「知ってる。二学期から担任変わったから」 「じゃあ三組か」 「凄いね、分かるんだ」  当然のように紅緒は話を進める。  もう少し行けば、初めて紅緒と出会った場所だ。  このままただ流れに任せて「またね」と別れるのが口惜しく感じられて、急に意地の悪いことをしてみたくなった。 「まあ始業式でも“育休取った先生の代わりに臨時の先生が担任としてどうのこうの”とか言ってたしさ」 「なら僕の名前も分かるよ」  予期していなかった展開に紅緒は戸惑っている様子だった。  今ここで僕が名前を言えば終わる話だけれど、僕が彼を知ったとき、彼が僕を知ったときのように、何かもっと二人の間にそこへ至るまでの過程が欲しい。     §  紅緒は何か手掛かりを得ようと、始業式で僕の名前を聞いた可能性を思いつく限り挙げていく  しかし、残念ながらそのどれにも当てはまらない。それでも彼は間違いなく糸口を見付けるだろう。 「考えてみて。名前を当てるゲームだよ」 「うーん……そう言われてもな」  そう言うと紅緒はうんうん唸って考え始めた。一生懸命考えていることもすべて知りたくなる。紅緒が僕の目の前で僕のことだけを考えているという光景は格別だ。  困った顔でこちらを見たかと思うと、何かを思いついたようにまた真剣に考え始める。遠回りなことを聞いても付き合ってくれているようだけれど、時間切れが近付いてきた。 「一つだけ思い付いた。マユミ……とか」 (マユミ……ああ、“眉”か)  たとえかすりもしない名前でも、紅緒が僕だけを見て考えた結果というだけで非常に魅力的な回答だった。おおよその見当はつくものの、ちゃんとその理由を彼の口から知りたい。  しかし、僕たちはもう紅緒の家の前まで来てしまった。 「残念、はずれ。今日は時間切れ。その答えの理由は次の機会に教えてよ。またね、紅緒」  紅緒はそのことに気付いていなかった様子で、ただ驚いている。  きっと次に会うときまで僕のことを考えてくれるだろう。背中に当たる視線を感じながら、そんなことを思っていた。

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