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#1-7
「ところで俺、名前教えてなかったな。赤星 紅緒……赤い星に紅、で一緒の緒。よく男とか夫って間違えられるんだ。ま、俺の名前書くようなこと無いか」
会話が出来るというだけで、淡く照らされただけの夜道を歩いていても先程よりも不気味ではなくなった。
「紅緒」
しかし、距離感が近いのか外国語教師 の如く誰でも名前で呼ぶタイプなのか、どちらにしろ仁科は別の意味で驚かせてくる。
「はは……いきなり名前呼ばれるのって、なんか心臓に悪いな。嫌ではない……けどさ」
普段から色々な人に呼ばれているのに、それが仁科になっただけで高揚感とも達成感とも取れる何かが込み上げてくる感覚がする。多分、仁科が俺のことを一つ知ったからだ。
「綺麗な名前だね」
「え? あ……ああ、ありがとう……そんなこと初めて言われた。照れるな」
そう言われるまで自分の名前が綺麗だとか考えたこともなかった。せいぜい七月の暑くなってきた頃に、夏輝と「赤色も紅色もなんか熱い」「夏に輝いてるほうが暑い」とかしょうもない小競り合いをしたくらいだ。
「それで、仁科の名前は? 苗字はあの日、伏見先生が呼んでたの聞いたから知ってるんだけど……えっと、伏見先生って分かるよな」
「知ってる。二学期から担任変わったから」
「じゃあ三組か」
手伝うようになった頃、そのことを聞いたら「急遽 育児休暇を取った教師の代わりに俺が臨時で代理に選ばれた。承諾したものの、副担任がいるはずなのにそいつは何やってるんだとよく考えてみたら思った。うちも娘が産まれたばかりなんだ。育休取ってやろうか」なんてことを言っていたのを思い出す。
「凄いね、分かるんだ」
「まあ始業式でも“育休取った先生の代わりに臨時の先生が担任としてどうのこうの”とか言ってたしさ」
「なら僕の名前も分かるよ」
仁科は確信しているようだけれど、その流れでは整合性が取れやしないのではないか。そもそも始業式では“仁科”すら聞いた覚えが無い。
「えっと……なんかで表彰されたか?」
「何も」
「なんか発表したとか」
「してない」
「期待の転校生として紹介されたとか」
「そんな人いないよ」
思い付いては切り捨てられ、ただひたすら情報が無い。問いかけておいて、仁科は一切ヒントをくれないようだ。
「考えてみて。名前を当てるゲームだよ」
「うーん……そう言われてもな」
せめて頭文字だけでも分かれば少しは答えやすいのに、一から推理するとなると、完全に当てずっぽうだ。間違っていたら、それはそれとして“俺が仁科に名前を付けるなら”みたいなことに感じてしまって言い出しづらい。
降参を申し出ようと仁科のほうを見る。暗がりの中でも相変わらず俺を惹きつけてやまない眉が目に入る。
いや、その方向で攻めるのもあながち間違っていないかもしれない。頭を正直にして考えてみるべきだ。
仁科の眉が産まれた時からこんなに整っていたかは分からないけれど、きっと仁科の親御さんもこの“眉”を見て“美しい”と感じたに違いない。そこから導き出されるのは、“眉美”……“マユミ”だ!
「一つだけ思い付いた」
響きとしては女性の名前として好まれているほうが多い気もするとは言え、俺も「“紅緒”って女の子だと思ってた。ほら莉緒とか真緒とか」などと言われたことが何度かある。今時、響きや漢字の一つや二つで性別を気にしていたらキリが無い。
「マユミ……とか」
「残念、はずれ」
付け焼き刃な推理はいとも簡単に投げ捨てられてしまった。こうなってしまっては打つ手も無い。適当に知り合いの名前を言っていくか。
「今日は時間切れ。その答えの理由は次の機会に教えてよ。またね、紅緒」
「え? ああ、またな……あれ?」
そう言われて我に返ると、いつの間にか家の前まで来ていたことに気付いた。
なんで家の場所を知っているのかとか結局名前はなんなのかとか聞く間もなく仁科はもう歩き出している。俺は混乱したままその後ろ姿を見つめることしか出来なかった。
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