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#1-9

「おー、噂をすればなんとやらだ」 「おはようございます、先生」  俺が狼狽(うろた)えている間にも二人の会話は続いていく。  こんなにタイミングが良いなんて本当に偶然だろうか。帰り道での出来事に(かんが)みて、少し勘ぐってしまう。 「というわけで、先生はもう行くぞ。教師は朝から晩まで忙しいんだ。ああ、そうそう赤星、今日の放課後手伝ってもらえるか?」 「あぁ……はい、行きます」  このまま四六時中仁科のことを考えていたら精神がもたない。少しでも別のことをして気を紛らわしたほうが良さそうだ。 「で、仁科は今日も放課後は隣の教室か?」 「いえ、あそこはもう良いです。今日は僕も、紅緒と一緒に先生を手伝っても良いですか」 「そうか。人手が多いほうが早く終わるからな。頼むよ」  ――などと考えていたのに、仁科は追撃を食らわしてくる。  けれど、ここでわざわざ口を出すのもおかしな話だ。それに先生も忙しいと言っている。話をややこしくして、時間を取らせてしまっては申し訳が無い。  大丈夫。手伝いをして、また一緒に帰るだけだろう。そもそも、俺が考えすぎているだけじゃないか。仁科はなんとも思っていないかもしれない。帰り道の出来事もこれも、日常のただのワンシーンだ。  仁科の眉と俺の悩みを天秤にかけたところで、後者が目にも止まらぬ速さで空の彼方へ跳ね飛ぶ以外に有り得なかった。 「んじゃ、まあそういうことで。仲良くなー」  先生は白衣をひらめかしながら行ってしまった。あとに残るのは、気まずさと平常心の葛藤に押しつぶされそうな俺とその横で平然としている仁科。 「名前当たったね。紅緒なら分かると思ったんだ」  静寂を破ったのは冷たさを感じるのに優しい仁科の声。その表情は一切変わっていないのに、気のせいか嬉しそうに見えた。     § 「ほら紅緒、ついて来て」  恥ずかしげもなく俺の手を引く仁科に連れられ、俺たちは四階の端、屋上へと通じるドアの前へやって来た。それ以外特に何も無い静かな場所だ。辺りには誰もいないようだった。二人きりで話すには絶好の場所だ。  それにしても朝早い時間で良かった。誰かに見られていたら、「仲良く手を繋いでいる」とからかわれたかもしれない。手を引かれることと手を繋ぐことは違う行為だけれど、傍から見てもそれがどう見えるかなんて分からないからな。  時刻は七時半を回っていた。ホームルームが始まるのは八時半だから、一時間ほどはこうしていられる。さて、何を話すべきか。聞きたいことも言いたいこともたくさんある。  しかし、あの疑問について聞く気にはなれなかった。話の始まりにするにしては、少し立ち入りすぎな気がしている。  返ってくる答えに安心したい気持ちと“そうでなかった場合”という考えが、混ざり合っては消えていく。俺は本当に、仁科に対して積極的で消極的だ。 「仁科ってさ」  とりあえず、あの教室でいつも何をしていたのかを聞こうとした。 「紅緒」  ふいに見つめられて名前を呼ばれる度に一瞬固まってしまう。  今ここにいる俺ではなく、さらにその奥を覗いてくるような視線――あの帰り道でも、仁科はこうやって俺が考えていることに目を向けていたのだろう。  俺は“針の視線”で開いた小さな(ほころ)びから仁科の中身を見ようとしていたけれど、こいつはそんな手間のかかるようなことはしない。俺の本心と正面から向き合おうとしてくる。  そんな時は俺も少しでも感情の変化を読み取れるように仁科の眉と向き合う。 「僕はただの仁科じゃなくて、“周”。もう名前は知ってるよね。前にあの元気な友達のことを“夏輝”って呼んでたから、仲の良い友達のことは名前で呼んでるのかと思ってた」  呼び方を使い分けている気は無いけれど、自然とそうなることは多い。 「お前ってなんか……怖いな。俺のこと、俺より知ってるみたいだ」 「そうかな。全然だよ」  相変わらず顔には出さないものの、仁科の言葉の節々からは何か得体の知れない黒く暗い雰囲気が滲み出している。 「まあ、そう呼んでも良いくらい俺と……周の仲が特別だと思うなら」 「どうだろう。僕はそう思うけど」  正直、確かに特別だと感じてはいた。仲の良さとかではなく関係性が、だ。 「はは……知り合ったばっかりだっていうのに、結構積極的だな」 「君の真似してるだけだよ」  元はといえば、俺がこの究極の眉にそこはかとないフェティシズムを感じたことで始まった関係だろう。自ら“特別”になってくれるというなら、それを断る理由を探すほうが難しい。

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