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第6話
十一月も頭、そろそろ気の早い奴がクリスマスの話を持ち出してくる。かくいうおっさんズも何故かクリスマスの話題をしてくる。主に、俺へのメニューリクエストだ。
そしてその輪に、野瀬が再び加わるようになった。
「京くんはクリスマスって言えばなんだい?」
「そうですね……やっぱりレックチキンは欠かせないのでは?」
「だよなぁ!」
「おーい、ここは一応和食メインなんだぞー」
短くなった髪のせいでピアス穴が丸見えで、それでしていないのも違和感があってシンプルな物をつけるようになった。するとめざといおっさんズが反応して質問攻めにあった。
まず「イケメンになってる!」「若く見える!」が圧倒的。その後で根掘り葉掘り聞かれ、ちょっと昔の知り合いに会わなきゃいけない用事があってと、誤魔化した。まさか野瀬の貢ぎ物にされるのに磨かれたなんて言えやしない。
そしておっさんが八割だったこの店に、近所の店のママさんが来るようになった。
「そうだな……鳥の照り焼きなら作る」
「あったま硬いな、畑くん。いいだろ? イベントだぜ!」
「そりゃ作れるけどさ。メニュー数多くすると仕入れとかも大変なんだぞ。余らせたくないし」
気の利いた物も作れはするが、その日だけ洋食か? しかもこの店構えと店内で? 浮くだろう。
「サンドウィッチに、チキン、サラダとワインとか」
「野瀬……」
「パイシチューも美味しいですよね」
「ハードル上がってんだろうが!」
調子に乗って笑って冗談。最近野瀬はこういう様子を見せるようになった。
それでいいと思っている。あんなことがあったが、その後はこれというアプローチもない。もっと積極的にこられるのかとビクビクしていたが、スマートなものだ。
でも、何もかもが前と同じではない。まず、日常的な距離感は縮んだと思う。良くも悪くも互いに遠慮がなくなった。そして、野瀬は俺を誘うことが多くなって、俺もそれに応じる事が多くなった。
美味い料理屋があるとか、ドライブとか、バーとか。そういう時は少し、触れたそうな顔をする。俺はその度にドキドキと落ち着かなく、でも少しくらいなら応じようという覚悟もするが……そういうのがバレるんだろうな。結局、触れてはこない。
「今年のクリスマスは休みにするつもりだぞ」
「え!」
おっさんズが仲良く声を合わせるのはまだ分かる。だが野瀬までそれに驚いて……誰よりも哀しそうな顔をしている。ってかお前、バーとかレストランとかやってるなら忙しいだろうよ。
「どうして休みなんですか!」
「イベントは面倒だし、そういう日にここに来る暇人はお前等くらいなんだよ」
「その分食べますから」
「そうだぞ畑くん! 俺等のオアシス!」
「養老の滝!」
「おっさんの憩いの場を奪うのか!」
「家で奥さんとチキン食ってろ!」
……本当は、野瀬の家にでも行くか、こっそりと呼ぼうかと思っている。チキン焼いて、ワインを冷やして、揚げ物も。そしてケーキも用意すれば、喜ぶんじゃないか。こいつを喜ばせてやりたいと思うくらいには、俺も絆されている。
その時、不意に置いていたスマホが鳴った。近づいて見たその液晶の名前に、俺は驚いて言葉がなかった。
そこには確かに「日野沙也佳」とある。別れた元妻だ。いや、結婚はしていないが。
「畑さん?」
「あぁ、悪い。ちょっと席外すわ」
断りを入れて、俺は店の奥へと引っ込む。そして周囲を確認して画面をタップした。
「もしもし?」
『あ……久しぶり。元気、してる?』
久しぶり……多分五年以上聞いていない声は懐かしくはある。が、それだけで未練は驚くほどない。終わっているんだと、はっきり分かって安心した俺がいる。
「それなりに元気だよ。そっちは?」
『うん、みんな元気。お店、やってるんだよね? 順調なの?』
「まぁ、ぼちぼちね。悪いね、養育費とか上手く入れてやれなくて」
『いいわよ、私も働いてるし。それに祐馬さんも仕事してるもの。そっちこそ、ちゃんと生活しなきゃでしょ』
「悪い。でも、正直助かるよ。ギリでさ」
『智は人がいいのよ。ちゃんと稼がないとダメよ? 老後の方が近いんだし』
「言うなよ。まぁ、先々はなんとかするさ」
『楽観的なんだから。まぁ、らしいっちゃらしいけど』
電話の向こうの元妻は変わらない様子で笑っている。やっぱり、話しやすくて気持ちがいい。肝っ玉も据わっていると思う。こんな女性だから、任せてしまったんだ。
「で、どうした?」
ある程度会話をして慣した俺が問いかけると、一瞬沈黙が広がる。きっと何か問題が起ったんだろう、今の旦那ではなく俺を頼るような。
しばしの逡巡、その後で溜息をついた沙也佳は重く口を開き始めた。
『もしかしたら、気のせいかもしれないんだけれどね』
「おぅ」
『……ここ最近、誰かに見られている気がするの』
「え?」
それは……相談者俺なのか?
「警察には?」
『ううん。気のせいかもしれないし、私も相手を見つけてないから相談しづらくて』
「どの辺でとか、あるのか?」
『会社を出て、駅くらいまで。でも昨日は家の近くでも何か感じて怖くなって』
「ストーカーとか?」
『分からない。そんな好意を持たれるような相手いないし、素振りもなかったんだけど』
「そうか……」
そうなると、分からない。だが、俺への因縁からと言うには時間が経ちすぎている。十年も恨みを持ってた奴が今更、俺じゃなくて元家族を狙うのか?
『私だけなら放っておいたんだけど、小百合も同じような事を言ってて』
「え!」
『感じ始めた時期も同じくらいで、怖くなったの。ねぇ、最近そっちで変な事起ってない? 今更智関係だなんて、私も疑いたくないんだけど』
「それはいい、そういう事もある世界だとは思うし」
でも、今の俺に何が出来るんだ。精々オヤジに連絡取るくらいしか。
「とりあえず、俺からオヤジに連絡入れてみる。お前も警察に相談してみてくれ」
『うん、分かった』
そこまで言うと、沙也佳は少し安心したみたいに空気を軽くした。そして、思いがけない事を言い始めた。
『そういえば、昔の人に連絡取ってるの?』
「え? あぁ、まぁ。ボチボチな」
『一ノ瀬のおじ様には、すっかりお世話になっちゃって』
「オヤジに?」
思いがけない名前に、俺は疑問符が浮かんだ。確かに俺が勤めに出る前、沙也佳と小百合の事をオヤジにお願いした。万が一俺に恨みを持った奴が俺の留守中に二人に危害を加えたら。守って欲しいとお願いしていった。
だが……世話って?
『小学校卒業するまで毎年、遊園地連れて行ってくれてね。あと、私が仕事で遅くなるとき時とかも。誕生日、クリスマスにはプレゼント。正月にはお年玉』
「孫だろ!」
『ホントそれ! 申し訳なくてこっちが恐縮しちゃったんだけどね、おじ様は孫みたいなものだからって溺愛で。まぁ、楽しそうだったから止めなかったけれど』
「おいおい」
マジかよあのおっさん、俺がいない間に娘となにしてんだ!
『多分だけどね、おじ様の周りで女の子って、小百合が最初なのよ。あんた、気に入られて可愛がられてたし、生まれた時から小百合の事知ってるから本当に孫なんだと思うわ』
「だからって、オヤジもう六十過ぎて七十近いだろ。ちょっと、年甲斐もねぇよ」
『そこが心配。はしゃぎすぎてぎっくり腰とかにならないかって。まぁ、実際は運動不足の私よりも足腰しっかりしてたわ』
「あー、じゃあ今の俺より強いな」
『鍛えときなさいよ。別れた夫がおっさんになってるのは想像したくないわよ』
「俺がおっさんなら、お前もおばさんだろうよ」
『言い方気をつけなさい。女に年齢の話は百パーキレられるわよ』
確かに、そうなんだろう……気をつけよう。
『ねぇ、京一くんとは連絡取ってる?』
「っ!」
思いがけない名前に、心臓が跳ねる。まさか押しかけ女房よろしく今も店にいるとは出てこない。
けれど沙也佳の声はどこか沈んでいるというか、仄暗い感じがした。
『ずっと、気に掛けてくれてたの。ずっと私に謝ってた。私ね、とうとう許すって、言ってあげられなかったわ』
「え?」
『なによ、これでもあの時はアンタの妻のつもりだったのよ? その夫を取られたら、やっぱ多少はね』
「あぁ……ごめん」
『お前は許さん。反省しろ』
「悪かったって」
茶化すような声音であることが救いだ。電話の向こうで、彼女は笑っている。でもきっとこの言葉は、彼女の本心だ。時間が時効にしただけだ。
『アンタの事、京一くん大好きだったのよ。怒られに来る事もあったじゃない? あんたに説教されて、あの子嬉しそうだったし』
「そうだったか?」
『…………私の勘違いだったら、ごめんね。多分だけど……京一くん、アンタの事好きだったんじゃないかな? likeじゃなくてloveのほうで』
「!」
女ってのは鋭いとはよく言ったけれど、本当だな。まさか今この年にしてアイツに迫られ、一度だが関係を持ってしまったなんて言えやしないが。
『勿論確認したわけじゃないから分からないけれどね! アンタの事を一番引きずってるのは間違いなく彼なのは、本当』
「……おぅ」
『……連絡、取ってあげて。出来るだけ過去と関わらないって智の覚悟も分かるけど……あの子あのままじゃきっと先に進めない。私の方は今回みたいなよっぽどのことがなければ大丈夫! 幸せに、ちゃんと進んでるから』
「……おう」
それを聞いて、安心した。俺の勝手で置き去りにした彼女がどう思っているのか、聞きたかったけれど聞けなかった。だから、本当にほっとした。
背後で、誰かが沙也佳を呼ぶ声がする。それで、まだ仕事中なんだと知った。
「まだ仕事だったのか?」
『ごめん、呼ばれちゃった。山場でさ』
「頑張れ」
『おう! 落ち着いたら、智の店に行ってみようかな。久々にアンタの肉じゃが食べたい』
「ん、旦那と来いよ」
『いいの?』
「勿論」
『……ありがとね』
それで、通話を切った。
なんとなく、少し動けないでいる。今ので分かってしまった。沙也佳にとっても、俺にとっても、過去なんだと。勿論切れない部分がある。それでも、気持ちという面では互いにいい形で終わっているんだ。
「畑さん?」
声をかけられて、そちらを見た。野瀬がいて、困ったようにこちらを見ている。
「ガクさん達、帰っちゃいましたよ」
「うん」
「……暖簾、降ろしてきましょうか?」
「……頼む」
仕事という気分ではなくなった。見れば零時を過ぎている。多分、今日はもうこないって事にした。
煙草に火をつけて、床にだらしなく座ってふかしている。吸い込みやしないが、落ち着いた。
そこに野瀬がきて、隣に何も言わずに座った。
「……沙也佳から」
「……ですか」
「なんか、見られてる感じがするって。勤め先から駅までと、自宅近く。小百合も同じ事言ってるらしい」
「探らせます」
「悪い」
「いえ」
「……なぁ、野瀬。お前の時間は、動き出せてるのか?」
聞いたら、野瀬の視線を感じた。俺はあえて見ないで前だけを向いている。暗い中、煙草の火だけが赤く照らしている。
「お前、沙也佳に謝り倒したって?」
「……すね。許してはもらえませんでしたが」
「沙也佳、許してると思うぞ」
「知ってます。あの人もからっとした人ですから。でも……俺を許さない事で、頑張れてるのかもしれないって思ったら、それでいいかと」
「貧乏くじ」
「貴方ほどではありません」
静かな時間が降りてくる。それでも居心地の悪さはない。俺も野瀬も、互いの存在を感じているだけでいいんだろう。
たいして吸わずに燻らせている煙草を灰皿に押し当てた。差し色を失った闇の中、不意に気配が揺れて正面に野瀬の顔を見る。そのまま触れるようにキスをしたこいつは、いっちょ前に男の顔だ。
「なに? しないぞ」
「分かってますよ」
「同情とかもいらない。なんか、しっかり終わってた。親しい相手だし、娘は可愛いけれど、男女という関係は切れてた」
全然、嫉妬とかなかった。不安によるドキドキはあったけれど、ときめきではなかった。それが、答えだ。
野瀬は複雑そうにしている。申し訳なさそうに寄る眉。でも、目は妙にギラついている。
「なに、嫉妬でもしたか?」
「……ダメですよね、俺」
「ん…………」
ダメだろうけれど、そこで落ち込むお前を可愛いと思う俺も確かにいる。青臭いものを引きずっているこいつが、俺の気持ちを揺するんだろう。
どうすんだよ、これ。元妻に感じなかった気持ちを、お前には感じるってダメだろうが。なんだよ、デカい狼みたいな男相手に可愛いって。髪ワシワシしたいとか。俺も大概だ。
しょぼくれる野瀬をからかうように、俺からキスをしてみた。触れるだけ。予想通りの、豆鉄砲食らった鳩みたいな顔が見られて満足だ。
いや、豆鉄砲食らった鷹か。間抜けだな。
「あの、今のは……」
「気まぐれ」
「あの!」
「はい、お終い」
重かった腰が持ち上がる。電話を終えた直後よりは体が軽い。そして、笑えた。
「……今日、泊まっていいですか?」
「掃除してないぞ。あと、布団離す」
「じゃあ、俺が掃除しておきます。客用の布団お借りします」
「はいはい」
俺は明日の仕込み。厨房に戻る俺の手は、思ったよりもしっかり動いてくれる。上からはドタドタと人の動く音。最近これが俺の日常になりつつあるのだ。
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