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第8話
火事から数日、警察から時々連絡が入るがこれといった進捗は未だないよう。逃げるように出てきた男達から追っているようだが、これと言った特徴もなく20代の男という事しかない。監視カメラなども探しているが、そもそも古い商店街にそんなにカメラが多いわけではない。直ぐ側は住宅街だから、逃げ込む場所は多いだろう。
何より一番の情報源が飼い主の命令で曖昧な証言しかしていないからだが。
「梶の証言を合わせますと、おそらく犯人は三好組だと思われます」
羽鳥からの報告に、野瀬は眉根を寄せている。だが概ね予想通りだったのだろう、驚きはなさそうだ。
「最近の棲み分けを知らない畑さんの為に補足します。三好組はあの辺をシマとしている組で、先代までは比較的穏やかな感じでした」
穏やかったって、そこは反社会的な組織。シノギはそれなりにしている。オヤジも穏やかな方だが、キッチリ締めるところは締めている。
「先代の時代に一ノ瀬のオヤジさんの傘下に入りましたが、数年前に息子に跡目を譲ってから様子が変わりました」
「堅気さんに迷惑かけるようなやり方か?」
「まぁ、結果的には。先代の時代からいた古参を切って、自分に都合のいい人間を構成員にし、人数も縮小しました」
「縮小? 経営難?」
一応は組織なので、稼げなければ社員を養えない。人数を抱えられている組織はイコール、それなりの基盤と手法を持っているということだ。
「準構成員を増やして、自分のシマで好きにさせているんです。稼げるなら上に上げてやるとちらつかせ、上前をはねて懐に。うちに上げている上納金は年利で計算していて、三好は少ないほうですが、実際手にしている金はそれよりも多そうです」
「それ、オヤジは何て言ってんだ?」
「先代との仲があって多少見逃していましたが、今回堅気に手を出した事でようやく」
警告がいったか。
オヤジは普段は気っぷのいい人で穏やかなのだが、上に立つ人間でもある。正直あの人を怒らせるとマジで怖い。十代でバカやってた時は本当に命知らずな事をしたと思っている。
「先代へ絞めるように言った事で、息子は組長から降ろされて古参が戻り、現在は先代が復職。跡取りを育てているようです。それが約一ヶ月前の話ですね」
「一ヶ月前? それって……」
沙也佳が視線を感じた、その頃じゃないか?
羽鳥もそれについては承知しているのか、俺を見て頷いている。野瀬も黙って報告を聞いた。
「畑さんの元奥様と娘さんについても可能性はあります。それとなく人をやっていますが、あまり近づくと逆に不審者に見られますからね。でも、今のところは」
「悪いな」
「以前も言いましたが、こちらの取りこぼしです。最初のうちに徹底的に潰してしまえば良かったのですが、この事態までは予測ができませんでした」
まぁ、普通は最低限にして内部に任せて浄化するが普通だ。三好からすれば野瀬の組織は本筋とはいえ別の組。ズケズケと入り込まれれば別の摩擦が起るだろう。
「おそらく貴方にちょっかいを出しているのは、一つは腹いせですね。貴方の件でクビになった息子が、自分の部下やチンピラを使って嫌がらせをしている。もう一つは、野瀬さんを引きずり出したいんでしょう」
「……手土産か?」
「おそらく」
羽鳥と俺の視線が野瀬へと向かう。中心に立っているだろう野瀬は静かな顔のまま黙っているばかりだ。
「実家を追い出されたバカ息子がこれを機に真っ当な生き方を志すとは思えません。このタイプは反省もしないでしょう。そうなれば、自分を売り込んでどこかに入れてもらう。できれば胡座をかいていられるポジションがいい。となれば、手土産がいる。野瀬さんは上物ですからね」
「バカだよな。俺ならこいつには手を出さない」
「同意いたします。この人穏やかそうに見せてヤバい人ですから」
俺と羽鳥がそれぞれ好き放題に言っても、野瀬は気にした様子がない。その凪いだ感じがまた……怖いよな。
「おや、機嫌が悪いですね」
「いいと思うのか?」
「図らずも憧れを拗らせたお相手と同居生活ですから、多少機嫌もいいかと思っていましたが。毎日手料理を頂いているのでしょ?」
「それは! まぁ、悪くはないが」
悪くないのかよ。
確かに俺は今野瀬と一緒に生活をしている。大半は野瀬の家にいて掃除や洗濯をして、飯を作っている。新しい店舗の設計だとかの時は外出しているが。
「ナメられるのは気に入らない?」
「お前は愉快か?」
「ご冗談を。うちの子猫が世話になってしまいましたからね、お礼をと考えていますよ」
野瀬が野瀬なら、羽鳥も羽鳥だ。
「梶くん、退院したんだろ? 様子は?」
「無理はさせていませんが、概ね元気です。貴方に合わせる顔がないようでしょげていますがね。今度、ランチでも誘ってやってください」
「勿論」
あまり気のない様子で羽鳥は言うが、これでもかなり気にしているし、本当に腹を立てているのは分かる。羽鳥の場合、笑顔が深くなればなるほど腸煮えている。あと、言葉な。
羽鳥が拾って保護しているという梶くんは精密検査も受けたが問題はなく、検査結果が出たら退院、自宅療養となった。比較的可愛い顔をしているのに、目は腫れてるは唇もだわで見た目痛々しくてたまらなかった。
それでも俺に謝ってくる彼にこちらが申し訳ないくらいだ。
「今人を使って、奴らのねぐらを洗い出しています。明日くらいには出揃うでしょうから、兵隊を集めて一斉に駆除しましょう。ドブネズミを野放しにしておくと衛生的にもよくありませんし」
「人は集め始めているのか?」
「はい。明日招集をと言ってはありますが、既に五割くらいは待機しています」
「分かった。畑さん」
「ん?」
「腹立たしいでしょうが、残りはこちらで処理します。貴方は今、堅気なんですから」
真剣に、言われてしまった。
気持ちで言えば納得はしない。一発ぶん殴ってやりたいし、気が済まない。俺の二年を一瞬で奪った奴らを俺も許していない。
が、野瀬の言う事が正論だ。俺は堅気になった。それは、ここで一線引かなきゃならないってことだ。
「結果は報告いたしますよ。なんなら特別にバカ息子を連れて行きますので、気が済むまで殴って頂いてもかまいません。ただ、作戦は」
「分かってる。二人とも、気を遣わせて悪い。信じてるから、任せる。俺は関わらない」
伝えると、二人も真剣な顔で頷いてくれた。
「さて、作戦前の報告はこれで。畑さん、送っていきますよ」
「あぁ、いや。帰りに寄りたい場所もあるから自分で帰るわ」
「寄りたい場所?」
羽鳥が首を傾げている。俺の視線は野瀬へと向いて、ちょっと目があって逸らした。
「本屋にさ」
「待たせても構いませんよ」
「厳つい黒のスモークかかったセダンをか?」
「普通の白の営業車もありますよ。運転できるのなら鍵をお渡ししますが」
「ここ十年ペーパーだよ」
「運転手をおつけいたしましょう。この状況です、あまり一人歩きなさらないでください」
羽鳥の気遣いで人と車が直ぐに手配される。こんな待遇からか、野瀬の事務所にくると黒服が俺に「お疲れ様です! 兄貴!」と挨拶するようになった。
いや、俺お前等の兄貴になった覚えないし、なんなら完全な外部の人間だから。
その時、不意にスマホが鳴った。液晶には沙也佳の名前。嫌な胸騒ぎがした俺は羽鳥と野瀬にも目配せをして、時間を確かめた。
現在、午前九時。
「どうした?」
『智どうしよう! 小百合が!』
「落ち着け。どうした」
『小百合が、学校に来てないって連絡が。でも、いつもの時間に家を出たの』
心臓が引き絞られるような感覚に、俺は野瀬と羽鳥に視線を送る。二人も何かあったのを察し、羽鳥は部屋を出て野瀬は俺の側に来てくれた。
『気になる視線も智に相談した後くらいになくなって、安心してたのに』
「……沙也佳、今側に野瀬がいるんだ」
『京一くん?』
俺は頷く。そして一度深呼吸し、冷静になれと唱えながら続けた。
「こっちの問題かもしれない。実は少し前に店、放火された」
『え! ちょっと、大丈夫なの!』
「人的な被害はなかった。でも、どうにもきな臭いんだ。もしかしたら小百合の事も関係あるかもしれない。この通話、スピーカーにしていいか?」
沙也佳はしばらく考えるように黙ったが、やがて『分かった』と覚悟の滲む声で言ってくれた。
俺は手早く野瀬に小百合の事を伝え、通話をスピーカーにした。
「お久しぶりです、沙也佳さん」
『京一くんも、ご無沙汰ね。智と仲直りできた?』
「はい、おかげさまで。ところで、小百合ちゃんの事ですが」
『……うん』
「こちらの小競り合いに巻き込まれている可能性があります」
伝えると、沙也佳が息をのむのが伝わった。重い沈黙。その後で、一度深く息を吸った沙也佳が声を低くした。
『OK、理解した。命まで取られる可能性はありそう?』
「そこまでの覚悟があるとは思えませんが、何かしら手を出される可能性はあります」
『ゲスが……。警察には連絡したほうがいい?』
「こちらで処理します。元々明日には動く手はずで人も集めていましたから」
『分かった、学校には家に帰ってきたけれど具合が悪いようなので数日休ませるって言っとくわ』
「有り難うございます」
『智は、動くつもり?』
問われて、悩んだ。娘にまで手を出されて動かないというのは心情的には無理だ。
その時、野瀬が俺の肩をグッと掴んだ。見ると、首を横に振る。俺はブルブル震えながら、グッと奥歯を噛んだ。
「出られないと、思う」
『その方がいいわ。前科もあるし、そっちに戻らないなら京一くんに任せて』
「ごめん……」
『……悔しいのは、私も同じ。母親なのに何もしてあげられない』
「俺は……」
『二度目はきついわ。もう、五十近いんだもの。今度入ったらお爺ちゃんよ? 無理、できないでしょ』
「ごめん!」
情けないし、悔しいし。でも沙也佳の言う事もその通りだ。過失致死で入ってる、同じ事になれば……いや、軽微でも前科持ちとなれば実刑確実。次はいつか分からない。情状酌量がついてもどれだけ減るか。
野瀬が俺の肩を抱きしめて、無言で体重をかけてくる。こいつなりの慰めなんだと分かっている。俺は息を吸って、その腕をタップした。
「俺が動きます。出来るだけ早くお返しします」
『気をつけて。ごめんね、京一くん』
「小百合ちゃんは俺にとっても姪っ子みたいな、そんな子です」
『懐いてたものね』
「はい。何か動きがあればまた連絡をください」
『分かったわ』
そこで一旦、連絡が切れた。
動けない俺の隣で野瀬が立ち上がる。静かに怒りを示す鬼のような空気を漂わせている。そこに羽鳥も合流した。
「招集をかけました。今のところ分かっているアジトは四箇所。三好が昔使っていた廃ビルと、歓楽街の奥にあるラブホ、山中の倉庫と、潰れた元スーパー。部隊は四つに分けてあり、全てに向かえます。ハイエース四台、一部隊十五人前後。飛び道具は持たせません。応援も編成し、時間差で向かえます。バイクも並走させるので連絡用に」
「小百合ちゃんの救出と保護が第一だ」
「分かっています。あちらから、保護者へ何かしらの連絡は?」
「それはまだないようだ」
「時間をかけたくはありませんが、待ちますか?」
「三十分」
「分かりました。現金の用意もできています」
そう言うと、羽鳥は黒のアタッシュケースを机の上に上げる。そうして中を開けるとそこは万札がぎっしりだ。それが、五つはある。
「洗浄済み、番号は控えていません」
「分かった」
「一ノ瀬組長と野瀬若頭にも連絡してあります。必要なら連絡するようにと言われました。あと……」
「どうした?」
「生きてたらうちに回しなさいと……」
「…………」
そういえば、オヤジは小百合を孫のように可愛がっていたな……。
野瀬は黙ったまま溜息をつく。が、表情までは変わらなかった。
「馬鹿な奴だな。怒らせちゃいけないものってのも、あるのに」
「自らの行いの結果ですから、致し方ないかと。何にしても、準備は整っています」
何にしても後味の悪い事になるのはもう、確定らしかった。
その時再び携帯が鳴り、当然の様にスピーカーにすると沙也佳の震えた声が室内に響いた。
『今、小百合の携帯から連絡入った。智、京一くん、直接会える?』
「どうした」
『うん、口では難しくてね……』
言いながら、沙也佳は声を詰まらせた。泣いているんだと直ぐに分かる様子に、俺の胸も痛んでいた。
「具体的な要求が来ましたか?」
『うん。それも含めて』
「分かりました。今、旦那さんは?」
『昨日から取材旅行で地方に出てる。今週いっぱいは帰らないわ』
「分かりました。こちらから人を向かわせますので、連絡があるまでは家にいてください。慌てて出て、貴方にまで何かあると事態が悪化します」
『うん……分かった』
所々声を詰まらせながらも、沙也佳は気丈に答えている。俺は上着を手に取り、野瀬も立ち上がる。そして三人、それぞれに動く事になった。
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沙也佳の自宅を俺は知らない。が、野瀬はちゃんと分かっていた。
隣町にあるファミリー向けマンションから出てきた沙也佳は昔の面影を残しつつ、知っている姿よりも少し歳をとっていた。
「……久しぶり」
「あぁ」
「お互い、おじさんとおばさんね」
「若く見えるよ」
「智も、予想よりは若いかな」
しんどいだろうに無理して笑う彼女が痛々しく思えて、俺はしっかりしなければと気合いを入れて。そんな俺達を見る野瀬は、複雑そうにしながらも冷静でいてくれた。
あえて人の多い駅前のスタバに入った俺達は適当に注文して端のソファー席を陣取った。そこで、沙也佳は届いたメッセージと写真を俺達に見せた。
「っ!」
ベッドらしい場所に手足を縛られ、口にガムテープを貼られた小百合は気を失っているのか、眠らされたのか目を閉じている。制服のブレザーを脱がされシャツのボタンをいくつか外され下着がチラリと見えていて、スカートも故意にかまくり上げられている。
続くメッセージには『お前の元旦那と野瀬京一に連絡しろ』『○×町四丁目の○○ビルまで来い』『警察には連絡をするな』『他の奴を連れてくるな』『違反した時には娘がどうなるか、分かるよな?』と続いた。
沙也佳が手早くスマホをしまい、手で顔を覆う。俺も野瀬も、表情を凍らせていた。
「どう、しよう……」
……俺が捕まる時も気丈に見送った女性だ。こんな風に、弱い姿を見せたがらない人だ。そんな彼女の崩れそうな姿は、正直こちらもしんどい。何より娘を思うと俺も腸が煮える思いだ。
「羽鳥に連絡は入れますが、回収用で。こうなれば畑さん、お願いできますか」
「あぁ、任せろ」
「背景的に、小百合ちゃんがいるのは別の場所でしょう。ビル以外は予定通り」
「頼む」
「はい。沙也佳さんは自宅に送ります。俺達以外は出ないように。郵便、宅配の類も」
「分かったわ」
「俺の部下に羽鳥というのがいます。長い黒髪に白い手袋の狐目の男です。彼は信用しても大丈夫ですので、訪ねた際には応じてください」
「分かった……二人とも、お願いします」
深く頭を下げた沙也佳に、俺と野瀬は強く頷いた。
沙也佳を送り届け、一旦事務所に戻った俺達は羽鳥に報告をし、装備を調えた。とはいえ、飛び道具はなし。流石にその痕跡は消せない。が、相手が持ち出すことは考えられる。服の下に防弾防刃チョッキは着た。
「人質救出はもう動いています。完了しましたら連絡を。回収、清掃は任せてもらって構いません。ベッドも用意しておきます」
「疑わしいのはラブホだろうが、他もありえる。頼む」
「了解です。二人とも、無事で」
「まぁ、どうにかするわ」
準備を整え、俺と野瀬は野瀬の運転で例のビルへと向かっていった。
指定のビルは今じゃ町の外れにある。周囲の様子から、昔はここいらが賑わっていたのだろうと分かるのだが。時代に取り残されたそこには塗装も剥げ、看板もなく、場所によっては窓ガラスも枠だけになっている。
入口を潜ると階段が正面右手側。小さな店舗がかつては並んでいたんだろう間取りがある。人の気配はしないことから、俺達は黙って二階に上がった。
階段を登り切り、二階はフロアぶち抜きのだだっ広い場所。所々柱があり、古い色んな臭いがしている。が、そこにも人の気配はない。
「上ですね」
「あぁ」
上の方から人の動く気配がある。それなりに人も多そうだ。俺は気合いを入れると同時に、隣の野瀬を見た。
「野瀬」
「なんです?」
「俺は……ちょっと足を引っ張るかもしれない。でも、助けようとするなよ。受け身くらいは取れる」
「畑さん!」
「頼む。俺を助けようとしてまごつくよりも、お前は殲滅に動いてくれたほうが事は早い。大丈夫、あいつら殺せやしないだろうから」
昔なら任せておけと言えただろうが、今はパワーも俊敏さも落ちる。場慣れだけでどこまでやれるかだ。
野瀬は納得していない顔をしながらも「分かりました」と言った。多分、分かっていないだろうが。
三階建ての建物の最上階も、二階と同じような感じでぶち抜きの広い部屋。そこに三十人くらいの柄の悪いのがいる。こんな場所なのに真ん中に肘掛け付きの革張り椅子なんて持ち込んでふんぞり返る裸の王様が、俺達を見てニタニタ笑った。
歳は三十前後だろうか。黒い細身のスーツに黒髪を撫でつけ、趣味の悪い眼鏡をかけた尖り顎の男が立ち上がる。こちらに気づいた他のごろつきも視線を向け、手にしたバッドや鉄パイプを握り直している。が、ざっと見た所飛び道具を持っている奴はいないし、ナイフもない。
「遅かったですね」
「うちの娘はどこだ」
「貴方たちが大人しくしてくれていたらお家に帰してあげますよ」
下卑た笑いを浮かべたスーツ野郎が顎をしゃくる。アレがおそらくバカ息子なんだろう。
指示を受けた男が四人ほど前に出てくる。野瀬が前に出ようとするのを抑えて、俺は前に出た。
大人しく……サンドバッグになれということか。
実際俺に近づいた男は俺の腕を掴んでいきなり腹に膝を入れ、俺を転がした。
「畑さん!」
床に転がした俺を蹴りつける奴らに耐える事はできる。屈辱だが、上手くやる方法も分かっている。腕で頭を庇い、腹には力を入れて膝を丸めて出来るだけ丸く。痛いは痛いが、一番逃がしやすい。
「ははっ、情けない格好だなぁ! どれ、写メでも撮って送ってやろう。お前の娘もさぞ感動するだろうな。父親の献身ってやつだ」
「っ!」
野瀬が奥歯を噛みしめるが、それでも耐えてくれている。俺はといえば防具も着けているからか案外耐えている。顔面蹴られて口を切ったが、このくらいだ。
バカ息子は俺の写メを撮って部下らしい奴に送りつけている。楽しく腹いせをしているこいつを見上げるのがとにかく腹立つが、今はまだ。時間が稼げれば羽鳥も上手くやってくれる。それを信じている。
バカ息子が写メを送って満足顔をした、その直後だろうか。着信を知らせる音が鳴り響く。訝しい顔をしたバカ息子が電話に出ると、がらんどうな空間に僅かだが相手の声が響いた。
『お久しぶりです、三好元組長』
「……は?」
『随分お楽しみのようですが、ここまでです。まぁ、健闘を祈りますよ』
ブツリと切れる音。それと同時に俺の周囲は随分視界がよくなった。
野瀬は素早く俺を痛めつけていた四人の一人を蹴り倒し、一人の首根っこを掴まえて後に引き倒し、綺麗なストレートを残る二人に見舞っていた。
「な、おま!」
「何の対策もなく来ると思いますか? バカじゃないんですよ」
慌てて後ずさり尻餅をついたバカ息子が情けなく一番後ろまで逃げる。そして金切り声を上げ、他のごろつきに命じた。
「あいつらぶっ殺せ!」
俺に手を差し伸べる野瀬の手を取り、俺は立ち上がっていた。
「大丈夫ですか?」
「当たり前だろ。お前よか場慣れしてる」
「頼もしいですね、惚れます」
「言ってろ」
「……行きますよ」
「あぁ」
色んな恨みがお前等にはあるんだ、しっかり覚悟しやがれ。
切れた口の端を指の腹で拭い、俺も野瀬も構える。というか、野瀬はリラックスしたように立っているだけだが。
「無理しないでくださいね」
「三分の二は任せる」
「四分の五でも」
「いや、流石に無理だろ」
と、ごちゃごちゃ楽しんでいる間にバカが数人とびだしてくる。大振りのフックなんて食らうわけがない。しゃがんでかわし、がら空きの胴に蹴りを一発。かなりしっかり入ったのか男が崩れ落ちるのを確かめるよりも前に次。鉄パイプを振り上げた奴をバックステップで回避し、隙の出来た顔面をこれまた横から蹴り飛ばした。
「昔と変わりませんね」
「そうでもないわ。わりとふらつく」
体のバランスとかが違うし、筋力も違う。片足立ちに不安が残るのは情けない。
野瀬の方は五人目を伸したところだ。流石早い。
取り落とした鉄パイプを拾い上げ、俺は団体さんにツッコんでいく。同じように武器を持ったやつらだが、囲まれなければどうにでもなるレベル。囲まれそうになれば引いて、二人くらいになったら反撃。骨が折れたっぽい手応えは時々あるけれど、気にせず殲滅に努めていた。
「この……ふざけんなよ!」
金切り声にカチャという音に、俺も野瀬も気づいた。一人掛け椅子の背に隠れた三好が俺めがけて銃口を向け、あろうことか引き金を引きやがった。
「畑さん!!」
衝撃が腹に走って、弾かれたように倒れる。ズキズキ痛んでちょっと立ち上がるのがままならない。それでも俺は焦っていない。弾は肉に届いていないと分かる。念のためと身につけたベストがちゃんと仕事をしてくれた。
野瀬の凍るような目が、ガチャガチャと二発目をまごつく三好に向けられる。足下にあったバッドを拾い上げた野瀬はそれを、三好の顔面めがけて全力でぶん投げた。
一瞬、顔の真ん中凹んだか? と思える衝撃で激突したバッド。後につんのめるように倒れた三好は当然だが目を回している。
それを見て焦ったごろつきが我先へと階段へ走り出したが、ことはもう終わったも同然だった。
「はいはい、ご苦労さまです」
「!!」
「怪我したくなければ投降してください。こちらも無駄な労力かけたくないので」
羽鳥のが黒服を二十人くらい引き連れて階段の所に立っている。明らかにごろつきとは違う風体の構成員相手に、頭を失った奴らが根性見せるはずもなかった。
「畑さん!」
脇から声がして、抱き起こされる。脇を抱えられて座らされた俺の前で、野瀬は今にも泣きそうな顔で俺の服を脱がせていく。
いやいや、自分の兵隊の前でこの顔はダメだろ。示しがつかないだろ。
でもそんなのはどうでもいいと、野瀬は俺のシャツをめくって弾が当った部分を見て、崩れるように息を吐いた。
「だから、大丈夫だっての。大体まともに食らってたら血も出るし動けもしないだろうが」
「そう、なんですが……確かめないと安心できなくて」
当っただろう痕跡は残っているし、コートにも焼け焦げた跡があるが、弾はコロンと落ちている。痣くらいにはなっていそうだが、骨も大丈夫だ。今はもう痛みも引いている。
それでも野瀬の顔は真っ青だ。無様な俺とは違い一切食らっていないのに、今にも死んでしまいそうな顔をしている。
こんなことでこいつの愛情を感じるのは、間違っていると分かっている。それでも……妙に愛しさもあるように思えて俺は手を伸ばし、野瀬の頭を撫でた。
「大丈夫、もう痛くもないよ」
「はい」
確かめるように俺を正面から強く抱きしめる野瀬の背中を俺も叩いて宥めている。可愛いななんて言ったら、怒るんだろうな。
「はいはい、堂々イチャつかないでください。現場を片付けられないじゃないですか」
「!!」
首を回すと羽鳥がジト目でこちらを見ている。それでも抱きついている野瀬を無慈悲に引っぺがした俺は立ち上がって、羽鳥の側へと向かった。
「案外頑丈なようで何よりです。男前ですよ、畑さん」
「そらどうも。小百合、大丈夫か?」
「豪胆なお嬢様ですね。まったく問題ありませんし、怪我もありません。女性としても問題無くです。今は一ノ瀬組長の家におります」
「オヤジの?」
「孫が心配で無事を確かめたかったのでしょう。沙也佳さんにも娘さんが連絡してくれて、今うちの者が迎えに行きました。貴方と野瀬さん、そしてあれも同行してください。誰か、麻袋持ってこい!!」
丁寧な物言いからいきなりドスの利いた声になるのは……なんか、やっぱこっちの世界っぽいよな。
何にしても人が入るような大きさの麻袋を持った黒服が伸びている三好を適当にぶち込み、口を結んで雑に運んでいく。それを見ながら俺と野瀬も、羽鳥の案内する車へと乗り込んだ。
==========
何年かぶりに一ノ瀬の屋敷に来た俺は、まずはと傷の手当てをされた。切った唇は縫うほどではなかったからガーゼで。脇腹はやっぱり痣になっていたが、骨は平気だ。他にも小さくもらっていたが、そっちも軽傷だ。まぁ、数日体はギシギシ言うだろう。
着替えて、呼ばれるまま一ノ瀬のオヤジさんのいる大広間に行った俺はその手前で足を止めた。
まだ遠いけれど、間違いない。一ノ瀬のオヤジさんの側で明るい様子でじゃれる少女。長い黒髪をポニーテールにしたスレンダーな彼女は、若い時の沙也佳に似ている。大きな目がキラキラしていて、色が白くて、頭が小さくて。
「っ!」
大きく、なったな。ごめんな、側にいなくて。
俺の足は自然とその光景に背を向けていた。多分、俺のことは覚えていない。分かれたのは六歳だ。もしも覚えていたとしても朧気なもので、俺が現れなければ知らない人でいられる。何より彼女は今、新しい父親と生活している。今更俺がそこに行って波風を立てることはない。
「畑さん」
「っ」
俺を見つけた野瀬が、何も言わずに俺を抱き寄せる。俺は泣いていた。何が正しいか分かっていて、それでも一目見たい気持ちがこみ上げて。
「……野瀬、俺ダメだ。やっぱ、会うわけにはいかない」
今の平和を壊しちゃいけない。今回のことで十分、あの子を不安にさせた。危険にさらした。もう、これ以上はダメだ。
一歩、前に足を踏み出そうとしたその時、広間一杯に響く彼女の「待って!」という声がする。そしてドンッと、体当たりするように抱きつかれた。
「お願い待って」
「っ!」
「逃げないで。会いたかったの……畑さん」
「!」
……覚えて、いるんじゃないのか? 少なくとも俺を知っている。それでも「畑さん」という呼び方が全てだ。
「ごめんね、ママの手前こんな呼び方で。私、待ってたのよ」
「いや……」
「おかえりなさい、お父さん」
「っっ」
背中にぴとりとひっつく小百合。俺は正面の野瀬の腕の中でバカみたいに泣いた。覚えていてくれた。もう呼ばれないと思っていた。俺は……。
「畑さん」
「野瀬、悪い俺……今顔上げられねぇ」
「はい、分かっています。小百合ちゃん、ちょっとだけ時間もらえる?」
「うん。戻ってきてね、京一お兄ちゃん」
「分かってるよ」
小百合が手を離して、俺は野瀬に連れられるまま離れた部屋までいく。そこでようやく顔を上げた俺を見て、野瀬は困ったように柔らかく笑った。
「酷い顔ですよ。ぐちゃぐちゃ」
「野瀬ぇ」
「良かったですね、畑さん。貴方の娘は間違いなくいい子に育っていますよ」
「う゛……」
「はいはい、鼻かんで涙拭いて」
ティッシュにゴミ箱を用意され、俺は素直に頷く。そうして一通り出尽くすまでかんで拭って、それでも胸がヒクヒクした。
野瀬はずっと側にいてくれる。俺の情けない顔を見ても嫌な顔をしない。今も俺が落ち着くまで嫌な顔一つせずに待ってくれている。
「落ち着きました?」
「……たぶん」
「いい子ですよね。一ノ瀬さん、マジで孫の嫁にとか考えてますよ」
「したくねぇ」
「あははっ。まぁ、苦労するでしょうからね」
ったく、笑えねぇよ。
「ってか、知り合い?」
「中学生までは時々会っていました。沙也佳さんの仕事も不規則でしたからね」
「なるほど」
なのに言わなかったのかよ。ちくしょう。
でも、分かっている。俺が色々考えなくていいように言わなかったんだ。何かあるわけではないんだし。
「さて、そろそろ戻らないと押しかけてきますよ。小百合ちゃん、強引な所がありますから」
「沙也佳に似てる」
「頑固は貴方に似たでしょうね。とにかく行きましょう」
促されて、俺は最後に鼻をかんで屑籠に放り込んだ。そうして二人、来た道を戻っていく。
大広間にはいつの間にか羽鳥もいて、側には暴れる麻袋。そこから顔だけだした三好が口にガムテープをつけられている。小百合はその麻袋をつついてケラケラ笑っていた。
あれ? なんか……ん?
「あっ、畑さん遅い!」
「あっ、いや……ごめん」
俺の所にかけてくる小百合が俺の手を引く。そしてしっかりと自分の隣に座らせられた。
「畑、今回のことは悪かったな」
久々に見たオヤジは若々しい。俺よりずっと恰幅がいいし健康そうだし、血色もいい。
「沙也佳さんにも迷惑をかけたね。今後はないように、しっかり絞めるからね」
そう言いながら三好を見るオヤジの冷たい視線。これに見られると肝が冷えるんだよな。
そしてこいつは本格的にヤバいらしい。今の時代生コンに詰められてなんてことはないと思うが……まぁ、生きてはいないだろうな。
諦めた俺だが、意外にも小百合のほうが声を上げた。
「一ノ瀬のおじ様、この人どうするの?」
「ん? 二度と悪い事ができないようにするから安心していいんだよ小百合」
「ダメよおじ様、命は尊いって私知ってるわ」
場の雰囲気にそぐわない明るい声の小百合が何を言うのか、俺はドキドキして見ている。が、野瀬はちょっと苦い顔をしている。それでも口を挟む気はなさそうだ。
「反省も償いも、生きていなきゃできないことよ」
「でもね、小百合」
「それにね、この人には生きて反省してもらったほうがいいと思うの。ちゃーんと、骨の髄まで染みるほど、ね?」
「!!!」
小百合の目が一瞬、凍るように光る。オヤジや野瀬がするような、射殺すような目だ。
あれ? 何か間違ったか? え? 将来「姐さん!」とかマジで呼ばれる感じなのか?
沙也佳を見るが、あっちも溜息をついている。諦めているっぽいが。
「私、怖いおじ様は哀しくなるわ。ね? お願い」
「ん…………小百合がそういうなら」
この時点で、羽鳥と野瀬が溜息をついた。
「羽鳥」
「手配いたしましょう」
処遇は決まった。羽鳥が黒服を呼んで三好の袋を担がせ退席する。その背中を見ながら野瀬が「明日、一日休みにしてあげます」と呟いた。
ふと、視線を感じてそちらを見る。今は無邪気な小百合がにこりと笑い、俺の頬に手を伸ばしてくる。その手が傷ついた口の端に触れて、申し訳なく歪んだ。
「痛い……よね。ごめんなさい、心配かけて」
「あぁ、いや。平気だから、このくらい」
「……あっ、ねぇ! 今度一緒に遊園地とか行きたいなぁ」
「え! あっ、でも……」
俺は沙也佳を見てしまう。俺は構わないが、あちらの家庭としては面白くないだろう。
でも、沙也佳は苦笑して頷いた。
「この年の子だもの、自分で判断するわよ」
「いいのか? あの……」
「祐馬くんの説得は自分でするのよ、小百合」
「うん! パパがいいって言ったら、いい?」
「そりゃ……まぁ……」
「京一お兄ちゃんも一緒に行こうよ」
「畑さんと二人じゃなくていいのかい?」
「うん! 人数多い方が楽しいし。あっ、おじ様も一樹くんに声かけてみて。三人じゃバランス悪いし。ダブルデートにしましょう!」
「っ!!」
小百合の言葉に俺は思わず咳き込む。今、ダブルデートって言わなかったか??
「いや、あの! 小百合、デートじゃ」
「あぁ、言葉の綾だから気にしないで。一樹くんともそんなんじゃないし。でも……たまに遊びたいの。忙しいかな?」
「じぃじに任せなさい! 一樹には声をかけておくからね」
「有り難う、おじ様!」
ちなみに一樹くんはオヤジのガチ孫で現在大学一年生。比較的大人しい人物だと記憶しているが。
「小百合、本当にうちに嫁にこないかい?」
「ん~、私が高校卒業するまでに、一樹くんが男見せてくれたら考えます」
ニッと笑った小百合はもう、強かな女の顔をしている。
なんにしても、俺の失った十年は急速に戻ってきている様子。これは、老け込んでなんていられない。小百合のこと、自分の生活のこと。勿論、野瀬とのことも。
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