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フー・ドッグ 後編

昼はガイドをして、夜はやらずボッタクリに精を出していたら、遂にこの辺のワルに目をつけられ始めた。 ホテルに向かう途中、ヤバそうな雰囲気の男どもに絡まれた。路地に誘われて、中国語で何やら喚かれるがさっぱり聞き取れやしない。 スマホが鳴り、出ればベニヒコからだった。遅いって文句を言われたからこの辺の奴らに絡まれていると伝えれば、番犬のクロを寄越してきた。首輪には鎖がついていない。 これはヤバい。リードのついていない凶暴な犬を放したらどうなるか目に見えているだろ? クロはゆらりとヤツらの前に現れると、虚な目に凶暴な光を宿し拳を振り上げる。俺の目の前にいたやつを脳天からぶん殴ると、身を低くして群がってきた奴らからナイフや拳を躱す。 屈んだままボクサーのようにボディに拳を叩き込み、死角から来たヤツを裏拳で制し、胸倉を掴んで壁に頭を叩きつける。暴力の嵐が吹き荒れた後は、全員地面に転がっていた。 クロは俺を見て、煩わしそうに少しだけ顔を顰める。 アホか。噛みつきゃいいってもんじゃない。 やられたらやり返すって連中だからな。金でも握らせて河岸を変えれば穏便に済んだものを。 予想通り、次の日からクロがぶちのめした連中がまた現れた。その度にクロが出張ってきたが、ナイフだのサックだの物騒なものが持ち込まれるようになった。場所を変えたがしつこくつけ回しているらしく、ちょくちょく人影が付き纏っていた。 「日本に戻るか」 ベニヒコは遂にそう切り出した。 観光客がうじゃうじゃいる歓楽街の居酒屋は混んでいた。日本語が飛び交っていても不思議ではないし、ヤツらが来ても捲けるだろう。 「そうか。じゃあさっさと帰れ」 饅頭を頬張りながら言えば、「テメエも来るんだよ。仕事がある」とベニヒコが睨んできた。まあ大体予想通りだ。更に聞き出してみる。 「仕事って何を押し付ける気だよ。大体こっちに何しに来たんだ」 「お前から債権を回収するってのもあるが、スカウトだよ」 聞けば、オーナーを尻尾切りしたボーイズクラブの運営はまた店をやるつもりらしい。 農村から出稼ぎにきたものを知らねえガキを二足三文で集めて安い人件費でコキ使おうという清々しいほどのブラックぶりだ。 で、俺はそのガキ共をキャストとして使えるようにしろと。クソだるい仕事だな。 「で、いつ帰国するんだ?」 「今夜」 ちょっとまずいな。スイにこっちの状況はアプリで逐一報告していたが、未だに連絡がなかった。居場所を眩ますために遠回りして帰るのも面倒になって、最近はアパートにも戻らずビジネスホテルを点々としている。これはこっちが切られたか?なんて考えがよぎる。 とにかく一か八かで逃げるか。 注文に行くフリをして席を立つが、ベニヒコもクロも立ち上がる。テーブル席の間を早足で通り抜け、店を出ると同時に走り出した。 猟犬どもは当然のように追ってくる。クロのリードは外されていた。本気で仕留める気だ。 とにかく人の多い通りを選び走るが、路地から先回りしたクロが飛び出して挟み撃ちにされる。 クロの胸に前蹴りを入れ距離をとる。 フェイントを入れて、油やすえた匂いのする路地に飛び込みひたすら走った。ケンカなんか久しぶりで、大分身体が鈍っている。まともにやり合っても勝ち目は無いから逃げるが勝ちだ。 でもあっという間にスタッカートを刻む高い靴音が追いかけきて、後ろから羽交い締めにされる。少し後ろに上体を振って、反動をつけクロを正面に投げ飛ばしてやった。が、クロは自分から足を投げて勢いを殺し地面に着地する。そのまま地を這うように足を払い俺の足元を崩す。ふらついて後ずされば、背中に硬いものを押し付けられた。 円筒状の先の細いーーーーーそれが銃口だと気付いた瞬間、冷や汗がぶわりと溢れた。 動きを止めた俺の後ろから 「よぉし、いい子だ」 とニヤついたベニヒコの声がして、振り向けば破裂音が響き頬が痺れた。熱さと痛みがゆっくり追いかけてくる。手元でガチャリと音がした。手錠の鎖が、同じく手錠を掛けるベニヒコの手に伸びている。 と、クロがこっちに走ってきてベニヒコの後ろから殴りかかってきたヤツに飛び蹴りを食らわせた。見た顔だ。こんなとこまで追っかけてきやがった。路地を走り抜け、繁華街の人混みを縫って進み、車を取りに行ったクロが俺たちの前に現れるまで追いかけっこは続いた。 けれど、フェリー乗り場まで車を走らせている途中、猛烈な眠気に襲われた。気絶するように意識は寸断され、その刹那座席の下にボンベのようなものが設置されているのに気付いた。 ベニヒコやクロの焦ったような声が聞こえたような気がしたが、よく覚えていない。 ハッと目を覚ませばまだ車の中で、ベニヒコは座席に倒れ込んでいてクロはエアバッグに埋もれていた。窓の外は薄暗くて建物の、いや、倉庫かなんかの中か?配管やコンクリートの壁がヘッドライトに照らされている。ぐるりと周りを見渡せば、息を呑んだ。 窓の外に、人影が見えたから。 だんだんソイツの姿がハッキリしてくる。茶色い色眼鏡をかけ、黒の刺繍シャツに黒髪を後ろに流した髪型はカタギに見えなかった。ソイツは俺の方のドアを開け、ベニヒコのホルスターから銃を取り出す。 銃口がゆっくりと俺の方に向かう。心臓がバクバクして熱いのに、冷や汗が止まらない。 銃声が響き渡っても、俺は声ひとつ上げることが出来なかった。 腕に電流が走る。銃弾は手錠の鎖を砕いて俺の手首から外れた。ベニヒコが目を覚ますが、続いてヤツの掌に弾が撃ち込まれ悶えている隙に車から出される。ソイツは車内に向かって何度か発砲し、タイヤにも2発ほど放たれていた。中で喚き散らすヤツらの声から察するに急所は外れているようだ。でも足を潰されてまず追って来れないだろう。 火薬の臭いに塗れた男に手を引かれそこから離れた。倉庫の外に出て、蛍光灯の下でソイツは茶色い色眼鏡を取る。 澄んだ目が現れた。 薄々そうじゃないかって思っていたけど 「・・・スイ?」 って呼びかければ、程よい厚みの唇は口角を上げていた。 「レン、」 スイがいつも通りの穏やかな声色で 「よく頑張ったね」 って頭を柔らかく叩かれれば、そこから警戒とか緊張とかが解けていってへなへなと座り込んでしまった。スイはクスリと笑って、俺を横抱きにして抱き上げる。 「歩ける」 「こうしていたいんだよ」 「ウザい。降ろせ」 「ダメ」 言いながらスイはどんどん歩いて行って、路駐してあった別の車に乗る。 室内灯に照らされると頬と手首が薄っすら赤くなっているのがよく分かった。スイは少し目元を強張らせて「・・・やりすぎでもなかったかな」って呟いていた。湖面のような瞳は凍りついたように冷たい。コイツも大概だな。 スイはエンジンをかけて、北京の市街地に入っていく。朝一から用事があるみたいで、アパートに戻らずホテルに泊まるらしい。 で、そのホテルというのが思いっきり心当たりがある場所なんだが。 中国国際貿易センターの地下駐車場に入っていった時から嫌な予感がビシバシしていた。 車の中で着替えたスイはスーツを着て、「先に行ってるね」ってむちゃくちゃ笑顔で見覚えのあるボストンバッグを渡してきた。中にはワンピースとチャイナドレス、メイクの道具まで。 全部バレてんじゃねえか! 頭を抱えた。どこからどこまでスイの掌の上だったんだ?でも今の俺はTシャツにチノパンと一流ホテルに入るような格好じゃないしなんなら返り血を浴びている。 アイツの思惑通り、着替えるしかなさそうだった。 end

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