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いつか 後編

注意事項 ・スイ視点 ・痛々しい暴力表現が少し入ります。 目を閉じて規則正しく寝息を立て始めたレンの顔は無防備で、いつまでも眺めていたかった。こうやって、いつまでも腕の中に閉じ込めていたかった。 初めてレンに出会った時から、どうすればこの子を手に入れられるかずっと考えている。 早く時間を気にせず触れ合えるようになりたいな。そうすればもっとたくさん愛しあって、その後も甘やかしてあげられるのに。 名残惜しさを引き摺りながら身体を起こす。 盗聴器、見つけるの案外早かったな。 あのベニヒコって人は中々用心深くて慎重だ。レンの部屋だけじゃなくて全館を調べ回って、機器を全部回収していたみたいだ。これじゃお店の中の動きが分からなくなる。 でも、たった数日でまた取り付けられてるって気づくかな。 着替えるフリをしてベッドから降りる。 それからチェストの1番下の引き出しを開ける。報酬の入った封筒があるのを確認して、ビジネスバッグを広げる。中から盗聴器や小型のカメラが顔を出した。 用事を済ませた後は、時間までレンと横になって、彼の体温や匂いや髪の手触りを堪能する。起きた後は照れ臭そうな顔をしていてすごくかわいかったな。 精算は下の階のロビーで行った。赤く太い柱に細かな装飾が複雑な模様を描き、紫檀の色のパーテーションや磁器の壺といった装飾品がいかにも中華街らしい。 受付のボーイに料金を渡す。数千円のおつりと一緒にメモが渡された。 店を出て、コインパーキングに停めていたハスラーに乗り込んでメモを確認する。 まだ警戒は解かれていなくて、新規客しか受け付けていないらしい。あと、やっぱり警察の手が入るみたいだ。 あのボーイが警察に情報を渡してたからね。ダメだね、お金で動く人は。僕がお金を出せば、簡単にこちらにも情報を流した。 多分お店では上に報告がいってて、誰がやったか探している最中だろうね。 窓を叩かれた。 そっちを見れば、黒縁眼鏡を掛けた黒服が立っていた。肩まである黒い髪に整った顔立ち。それから襟元を開いたシャツから黒いチョーカーが、いや、これは首輪? 背筋がヒヤリとした。確かクロって呼ばれているんだっけ。ベニヒコの"イヌ"だって聞いている。大人しそうに見えて中身は狂犬だってボーイが言っていた。分かるよ。淀んだ切れ長の目は黒塗りのナイフみたいに冷たくて、今にも斬りかかってきそうな雰囲気を纏っている。 「何か?」 窓を開ければ、クーラーボックスを開けたみたいに冷気が流れ込んでくる。怖いなあ。 クロは顔をぐっと近づけてきて、じっと僕の顔を見ながら 「前にも来たことが?」 と聞いてきた。心臓が跳ねる。大丈夫、誰だって急にこんなこと聞かれてたら少なからず動揺しても不思議じゃない。戸惑いを混ぜた穏やかな声をつくる。 「いいえ、初めてですけど」 ナイフのような目から放たれた視線が、深く深く突き刺さる。顰められた眉から確信している訳じゃないと分かった。これなら乗り切れそうだな。 「荷物を改めさせてもらっても?」 快諾した。クロがビジネスバッグの中を見ている間に、スマホケースに挟んだメモを擦って文字を消す。摩擦熱で消えるインクだ。 気が済むまで中身を確認したクロは嘆息して、ビジネスバッグを渡してきた。 中身は全部レンの部屋に隠してきたからね。後はあのボーイが上手くやるはずだ。 と、甲高い電子音が鳴った。 クロはうんざりしたようにスマートフォンを取り出す。スピーカーを通して怒鳴り声がこちらまで聞こえて来る。クロは耳にスマートフォンを当てながら、店に戻っていった。飼い主に"ホーム"って命令されたかな。 念の為バッグの中を調べ直したけど、何か仕掛けられていることはなさそうだ。 あの"番犬"たちは鼻が効くっていうのは本当らしい。気をつけないと。 次にお店に行った時は、あえて前と同じサラリーマンの姿で行った。新規客じゃなくても入れるようになっているか確かめたかったから。 受付のボーイは僕を見ると、ビクリと肩を跳ね上げた。それからロビーのカメラに顔を向ける。あ、まずいかもしれない。 電話がかかってきたフリをしながら踵を返すけど、店を出たところで長身痩躯の男が立っていた。片側にトライバルの剃り込みを入れたツーブロックに頬骨の出た顔。特徴的な見た目で誰だかすぐに分かった。ベニヒコは三白眼をギロリとこちらに向ける。 「ちょっと、事務所まで来てもらえませんかね」 獰猛に犬歯を見せて嗤い、耳や指についたシルバーアクセサリーまでギラギラと光って威嚇してくる。 「何故ですか」 「すぐすみますんで」 背中を押されて、店の裏口まで連れて行かれる。中に連れ込まれたら帰れる気がしない。ここで全部済ませた方がいいかな。 「す、すみません!もう店には来ませんから!」 僕は地面に手をついて見せる。 「・・・いるんだよなァ、たまに。キャストにまとわりつくゴミが」 ちらりと目線を上げれば、蔑んだ眼差しと跳んできた足にぶつかった。サッカーボールのように頭を蹴られ地面に転がる。 ベニヒコは僕が持ってきたカバンを持ち上げてひっくり返す。バラバラと中身が散らばって、レンの名刺とか写真とかピアスとかが出てきた。もちろん小道具だ。僕がレンに付き纏っていると思わせる為の。 ハッ、と鼻で笑うのが聞こえた。 「盗聴器はやり過ぎたな。大体アイツが他の奴とヤッてんのを聞いてて楽しいのか?」 返事をする前に背中を踏みつけられて、彼の声が近づく。 「右と左どっちがいい?」 「え、なに」 「よし、右な」 手を捻り上げられ、ゴキリと太い枝を折るような音がして右手に衝撃が走る。人差し指と中指の感覚がなくなって激しい痛みだけが残った。本来とは逆の方向に折れ曲がった指はみるみるうちに紫色に染まり上がる。脂汗が全身から噴き出して、手首を掴んで蹲ったまま動けない。 その手の上からベニヒコは右手を踏み潰す。食いしばった歯の隙間から呻きが漏れた。靴底で磨り潰すように足を左右に動かしながら、冷徹な声が落とされる。 「次来たときは|左《こっち》もサービスしてやるよ、わかるか?二度とツラを見せるなってこった」 足音が遠ざかって行っても、しばらく起きられなかった。 それに、今までの苦労が水の泡だ。お金でレンの借金を精算するのも、客のフリをして通うのも難しそうだ。顔が割れてしまったし。 しかももうすぐ警察の手が入る。時間もない。いや、警察か・・・。うーん、ちょっと無茶な計画かな。 とにかく、今は病院に行かなきゃ。小刻みに震える手でタクシー会社に電話して、通りに出てタクシーを待っていると 「あっ」 と聞き覚えのある声がした。そちらを見れば、Tシャツにスキニーパンツを履いた、ポニーテールの青年がネオンに照らされていた。もしかして 「レン?」 レンは一瞬しまったって顔をして、でもすぐ表情を切り替えて「この前はどーも」と綺麗な笑みを見せた。 営業用の顔だと分かっていても、会えたのが嬉しくて口元が綻んでしまう。腫れ上がった手はそっと隠した。 「ほら、やっぱりどこかで会ってたんだよ」 「そうですね。またよかったら指名して」 それはもう難しそうだな。咄嗟に答えられなくつもたついたら、レンは気まずそうに目を逸らした。この前のこと、気にしてるのかな。「今度は、」って言いかけたけど、一旦口を噤む。レンにはなるべく嘘をつきたくなかったんだ。 「いつか、迎えに行くから」 レンは目を丸くする。僕はただ笑みを浮かべた。 「あー・・・えっと、俺、今から仕事入るから」 「うん、またね」 レンは逃げるように僕が来た道を歩いて行った。まだ、何も知らないんだね。君のことだから変なヤツって思っているかな。 しばらくして、タクシーが目の前に止まった。乗り込めば、今まで薄れてた痛みがぶり返す。 大人しくしている時間はない。とにかく、警察の動きを調べてみよう。上手くいけば、その時にレンをーーーーー もう一度、最初からやり直しだ。 迎えに行くって約束しちゃったしね。上手くいかなくても"いつか"って言ったから、決して嘘にはならないはずだ。 end

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