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最終話② 月泉楼

帝愛妃の正面からロビーに入ると、黒服の従業員が群がってきた。客用の玄関から入るなとか本当に連れてきやがったとかざわついている。スタッフ用のエレベーターに乗り、オーナーの部屋に連れて行かれた。 けど、そこにいたのは見覚えのない男だった。摘発にあったから前のオーナーは尻尾切りされたんだな。それでも何事もなかったかのように営業してんだから、この店は思った以上に闇深い。 目の前の合皮のソファに座る男は、明らかにカタギじゃなかった。高そうなダークグレーのスーツに身を包み、頬骨の目立つシャープな輪郭だ。歳は三十後半から四十代くらい。 ソイツの前にあるガラス張りのローテーブルの上には、俺の顔写真と経歴の書類らしき紙が広げられている。 「ーーーなるほど」 男は写真と俺の顔を視線で見比べ、嗄れた声で言った。 「あのイヌどもはクビだな」 アイツらの雇い主か。ってことは黒社会の人間だな。流暢な日本語を話しているが中国人か、チャイニーズマフィアの下請けをやっているヤクザか。 「連れていけ」 男はカーディスに言うと立ち上がり、部屋を出て行った。 「どういうことだよ、アイツだれだ?」 振り返ってカーディスに詰め寄る。 「天保組の幹部で新しいオーナーの一色さん。君の身柄はあの人が預かることになったんだって」 カーディスは今日は天気がいいねえと話すようなテンションでニコニコと言いやがる。  「しばらく僕がついているからね」 「要するに見張りだろ」 「まあね、さ、ドライブに行こうか」 「は?どこに行くんだよ」 「着いてきたら教えてあげるよ」 カーディスは俺の肩を抱いた。触るなってもがけどびくともしない。スイが見たら黙っちゃいねえぞ。そういやスイは何してんだよ。いつもどっかで見てんじゃねえかってくらい早くすっ飛んでくるのに。 だけど、店を出ても、カーディスの車に乗せられ国道を走っている時にも、山に入って峠道をかっ飛ばしている時も音沙汰がなかった。 「帝愛妃に姉妹店があるの知ってる? 『月泉楼』っていうんだけど。 ここね、休眠している宗教法人を買い取って所有していた土地に建てたらしいよ。 ほら、宗教法人は非課税だし警察も手を出しづらいから。 "集会"と称してお金持ちの人を呼んで、ギャンブルも薬も売春もなんでもありのパーティーを開いて稼いでいるみたいだよ」 ワルの法律の穴を探す探究心とずる賢さには感服する。よくそんなこと思いつくよな。 俺が抱いた感想はそんなもんで、スイのことが気になって仕方なかった。 カーディスにスマホを取り上げられた時、呼び出し音は鳴っていたから俺から着信があったことは気づいている、はずだ。指にはめたチャイナジェイドの指輪をお守りのように握る。 車から降りると樹木の青い匂いとノイズのような虫の声がした。街灯はなく、車のヘッドライトが消えれば真っ暗になる。正真正銘の暗闇に包まれ、後戻りできなくなっていっているのを肌で感じて身体が震えそうになった。 「大丈夫だよ、悪いようにはされないから」 カーディスの優しい口調と肩を抱く掌の体温に少しだけ安堵した。してしまった。自分を殴ってやりたい。 流されたらダメだ。都合のいいことを言ってくる相手に思考を委ねて、スイに食い物にされたヤツらを何人も見てきた。 カーディスはスマホのライトを使って俺を先導する。すぐそばに西洋館にあるような瀟洒な建物があった。それがわからなかったのは、室内の明かりが一切ついていなかったからだ。 もとは宗教団体の信者の宿舎で、今はキャストやスタッフが寝泊まりしているらしい。 カーディスが飾り窓のついた木製のドアを開ける。中は外と変わらないくらい真っ暗だった。カーディスのスマホのライトが中を照らす。フローリングの廊下に白い壁紙、たまに見かける木製のドアは閉まっていて人の気配はない。 嫌な感じがする。こういう時のカンはよく当たるから笑えない。 階段で3階まで登らされた。等間隔に並ぶドアのひとつをカーディスは開ける。中はベッドとクローゼットだけでいっぱいで、寝るためだけの部屋という印象だ。やはり灯りはない。 「シャワーが使えるってさ」 カーディスは俺から離れ、しばらくすると長方形のドアの形に切り取られたオレンジの灯りが壁に浮かび上がる。中を見てデジャヴに鳥肌が立つ。 帝愛妃でキャストが使っている浴室にそっくりだった。まあ主に、そういう準備をする為の。 「顔が青いよ、大丈夫?」 カーディスが手を伸ばしてくるのをはたき落とした。 でも、そうか、今すぐ殺されたりはしないということか。それに、前もやっていたことだ。でも、どうしていたんだっけ。スイとしかシていないしいつも主導権を握られていた気がする。 まあヤッてるうちに思い出すだろ。命の危険が無いなら適当に凌いでいけばいずれ 「ねえ、僕ちょっと君から離れてもいいかな?」 願ってもない展開がきた。 了承すればカーディスは部屋から出ていった。スマホを持っていったから部屋は真っ暗になる。けれどもすぐそばで話声が聞こえた。誰かと通話しているらしい。 浴室のドアを全開にして灯りを取り、部屋を調べることにした。クローゼットの中には長布に似た白い服が何枚も用意されていた。化粧品まである。ベッドも調べたが、シングルだしスプリングはギシギシ鳴るしここで客を取るわけではなさそうだ。 窓はあったけど天井に近いところにあり、とても小さい。光を取り込むより通気口のような役割を果たしているみたいだ。とても人が通れそうにない。 あ、そうか、なんか嫌な感じがすると思ったら、この施設にはほとんど窓がないんだ。中の人間を逃がさない為だろうな。えげつない。 ベッドに乗り上げ窓に手をかける。やっぱり頭はなんとか通っても肩がつっかえそうだな。 窓の外では、地上から光の帯が空に伸びていた。あそこにも建物があるのか? 様子を見るために窓を開け、枠に肘を引っ掛ける。腕を外に伸ばし壁にしがみついた。下界を覗き込もうとすると 「どこへ行くのお姫様(ラプンツェル)」 天地が反転して、床に叩きつけられるかと思いきやマットレスが背中で弾んだ。金髪碧眼が頭上でかすかに光る。引き摺り下ろしベッドに磔にされたとわかった。 「君の髪はとても綺麗だけど、下までは届かないと思うよ」 俺の髪をすくって口付けるカーディスは、表情も仕草も王子さながらだがバケモンみたいな力で押さえつけてくる。 「シャワーは浴びた?身体を温めるといいよ、震えてる」 頬を指の背で撫でられた。腕をしならせ弾き飛ばすが、下半身に乗り上げられていて動けない。どこにも行けない。 「それとも僕が怖い?」 カーディスは微笑んだまま、俺の横に手をつく。甘いマスクが近づいた。 「残念だけど、君とはセックスしちゃダメだってさ。依頼主が言うんじゃ仕方ないよね。 あと、僕は人を殺せない( ・ ・ ・  ・ )。 だから、君には何もしないよ」 ちょっとは安心した?って人好きする笑みで首を傾げる。 コイツの手口が分かってきた。わざと相手を不安に陥れて、そこで安心するような言葉をかけたり手を差し伸べたりして自分の手中に収めるんだ。 確かスイが同じようなことやっていた気がする。借金の回収人のフリした俺がターゲットの元に通って精神を追い詰め、金融会社の社員に扮したスイが「借金の一本化をして負債を減らす」とか騙って負担金や手数料と称した金をぶんどっていた。 得体の知れない男の輪郭が見えてきて、段々冷静になってきた。 この男の懐に入れば食われる。なら、俺が主導権を握ってやる。 「アンタ、いつ仕事終わるんだよ」 「おや、デートのお誘いかな?」 「してやってもいい」 カーディスは目を丸くする。よし、少し動揺を引き出せた。カーディスの胸ぐらを掴み顔に引き寄せた。 「俺がアンタを雇う」 「へえ」 カーディスは青い目を爛々と輝かせる。新しいオモチャを見つけた子どもみたいに。 「"対価"は?君に払えるの?」 「払う」 金なんていくらでもくれてやる。何もしないでいたら時間を無駄にするだけだ。『帝愛妃』にいた時だって、がむしゃらに稼ぐだけじゃダメだった。 「だから、俺をここから出せ」 カーディスは笑みを深め、愉快そうに喉を鳴らした。 「じゃあ、さっそく対価を貰おうかな」 「は?今は金は」 「お金はいらないよ。僕は僕の欲しいものを貰うことにしてるんだ。まあ特になかったらそれなりの金額を貰うけど」 タダより高いものはないってことか。何を要求されるのかと身構える。  「僕が欲しいのは、レンくんのーーーー」

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