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最終話④ 皓月千里
ついにこの日がやってきた。
レンはどうしているだろう。
早く会いたいけれど、やらなきゃいけないことがまだある。迎えに行く段取りも、ベニヒコとクロを抑える手筈も整った。だいぶ強引なやり方だしちょっと賭けみたいなところもあるけど。
あとはーーーー
僕は"帝愛妃"と書かれた看板を見上げた。雷文や唐草模様のネオンが絡み付くビルが僕を見下ろす。たった一つの"武器"が入ったアタッシュケースの持ち手を握り直した。
アポイントメントを取った時間になると中に入り、受付で名乗って責任者に伝えてもらう。
暴力団の人に会う時はこういう正攻法が1番だ。公的機関や弁護士に応援を頼んだり、警察官に身辺警護についてもらえたりすればもっといいのだけれど。事を大きくして正面から堂々と来る相手には、暴力団の人は攻め込みにくくなるものだから。
礼儀正しくエレベーターまで案内され、オーナーの部屋に通される。
壮年の男がいた。天保組幹部の一色という人だ。
「では話を聞こうか」
硬質な声で言いながら、膝の上で手を組む。シャープな輪郭の中の目から鋭い視線が送られる。触れれば切れそうな空気感を放つ人だ。
そんなのはどこ吹く風という風に、対面のソファに腰掛ける。ボイスレコーダーを取り出し会話を録音してもいいか聞いてみた。
「どこに持っていこうっていうんだ?他所に聞かせられるものではないだろう」
「お守りのようなものです。小心者なので」
「こんなとこまで1人で乗り込んでくるガキが何言ってんだ」
彼は鼻で笑い、「まあいいだろう」と了承する。
ボイスレコーダーのスイッチを入れる。これで言った言わないとか、言葉尻をとらえて誤魔化される確率がぐんと減った。立場が危うくなると話をすり替えたり、屁理屈をつけて「そっちにも非がある」と責任の転嫁をしたりするのも暴力団の常套句だ。
さて、ここからが本番だ。
僕は微笑みながら、"武器"の入ったアタッシュケースを開けた。
ーーーーーーーーー
月泉楼は盛況を極めていた。照明の強さは変わっていないのに、店の中はいつもより一層明るく見えた。
広間はカジノテーブルが並べられ、クラブには樽酒が用意される。キャストは次々とやってくる客を迎え、さっそく個室に引っ込むやつもいれば大部屋に入ってクスリだのゲームだのに興じるやつらもいる。
カーディスは姿を見せない。
今日、アイツが俺を連れていくと言っていたはずなのに。
黒服もキャストも忙しなく廊下を行き来し、客は享楽に耽っている。厨房に酒を取りに行くフリをして、キャストの宿舎にもどる。
「どこ行くんだよ」
飾り布を引っ張られ足が止まる。砂のようにざらりとした声。ベニヒコか。
「休憩だよ」
「嘘つけ」
振り返りながら回し蹴りを出した。腕を盾にして防がれる。下がろうとすれば袴の裾を踏まれて尻餅をついた。袂を掴まれベニヒコの顔が近づく。
「相方はどうした?ヤられたか?」
「知らない」
腹を踏みつけられた。胃液が逆流しそうになって口を塞ぐ。
「じゃあ、見切りをつけられたのかもな。まあゆっくり"休憩"していけ。テメエらには借りがあるからな」
ベニヒコの口が凶悪に吊り上がる。
見切りをつけられたって?俺が?スイに?
アイツの執着と束縛のヤバさを知らねえんだな。
たしか迎えに来るようなことも言っていた気がする。でも、カーディスから聞いただけだ。
スイを信用してないわけじゃない。年下のガキの助けを待つだけなんて男がすたる。俺が、スイに会いに行く方が早いじゃないか。その為にはなんだって|誰だって利用してやる。あの胡散臭い情報屋でもな。
ベニヒコの足を掴んで横転する。ヤツは俺と一緒に床に伏せた。
今度は店の方に向かう。この格好で動くのにだいぶ慣れたがやはり追いつかれた。中庭に飛び込む。クソッ、カーディスは何やってんだ。
古琴の音色が流れた。
中庭に注目が集まる。客は催し物だと思っているようだが、黒服やキャストは予定にないことにざわついている。
黒服を着たカーディスは俺と目が合うと笑った。そして指が小型のスイッチの上に乗る。
打ち合わせ通り、俺は地面に頭をつけ目を塞いだ。
それでも閃光が目に滲み入る。庭の照明器具に紛れ込ませてあったライトから、宿舎の壁に電子ドラックの映像が映し出された。窓のない造りは格好のスクリーンだ。
そりゃあもうパニックになった。客もキャストもなく床に転がったり嘔吐したり頭を押さえて身悶えたり苦悶を全身で表していた。そんなヤツらが遮蔽物となり、ただでさえまともに動けなくなった黒服は役に立たなかった。顔を伏せていた俺ですら少し目がチカチカする。カーディスの「行くよ」という声を道標に手を伸ばす。
カーディスは俺の手を引き、いとも簡単に抱き上げ肩に担ぐ。宿舎を抜けて駐車場に来た。カーディスは空中に向けてペンライトのようなものを振る。すぐ番犬どもが追ってきた。クロまでいる。
しかし、空から嵐が降ってきた。プロペラ音を轟かせ、小型のヘリから放たれる強い光と暴風に番犬たちも足が止まる。
その中から、スーツ姿の男が現れた。
そいつの黒のショートカットの髪とジャケットの裾が暴れる。澄んだ目が俺を捉えた。
「わあ、レン綺麗だね」
降りてきてニッコリ笑うスイにあっけに取られる。
「おいで。帰るよ」
スイはこっちに歩いてきて、俺の身体を引き寄せる。思わずカーディスを見た。
口の動きと微かに聞こえた声から、だから言ったでしょ、と苦笑したのがわかった。
「レンはもう僕のものですから」
俺の肩を抱いたまま、スイは番犬どもに言う。
「借金は、僕が全部支払ったので」
腰が抜けそうになった。だって、借金は百万単位であったはずだ。利息だってエグいことになっている。そんな数日でーーーー
ベニヒコも訝しげな表情だったが、スイが取り出したボイスレコーダーから幹部のオッさんの声が流れ顎が落ちた。俺を引き渡すことを認める発言をしていたものだから疑いようがない。
何か言いたげな俺の顔を察してスイは目を細める。
「僕はね、初めてレンに出会 った時から どうすればレンを 手に入れられるか ずっと考えていた んだよ」
「初めて・・・って・・・」
「これでもう、誰にも邪魔されないよね」
いまだに何も言えないでいると、
「ーーーーその通りだな」
ざらりとした声と銃声がスイと俺を引き裂いた。
スイは俺を突き飛ばし、俺はクロに腕を引っ張られる。ベニヒコが距離を詰め、スイの頬に拳を振り抜く。ヘリに身体を押し付けられたスイの額に銃口が突きつけられた。
「これで、テメエらは帝愛妃となんの関わりもなくなったわけだ」
嗜虐性に満ちた笑みを浮かべながら、ベニヒコはスイの掌を銃口で縫いとめる。
「次にツラ見せた時は、こっち もサービスしてやるっつったよな?」
指に引き金がかかると同時にやめろと絶叫していた。クロを振り払い駆け出す。懸命に手を伸ばすが、体も足も指先すらも届かない。
乾いた銃声が虚しく響いた。
ただし、虚空に向かって。
ベニヒコの襟をクロが掴み、スイから引き剥がした。腕は跳ね上げられ銃口は空に向いていた。スイは口元に笑みを浮かべる。
「ありがとう、用心棒 さん」
「さっさと行け。目障りだ」
クロはベニヒコを羽交い締めにしながらスイに言う。
「っの駄犬!タダで済むと思うなよ」
「コイツらが行ったら離しますよ。そういう取り決めなので」
「ああそうかよ裏切り者」
ベニヒコはクロの首輪をつかんで頭突きをかました。肘でクロの胸を抉り拘束を抜け出す。だがクロはその手を掴んで背中で捻りあげる。
スイが、クロだけを雇ったのか。
番犬どもの攻防を無視して、俺はスイに駆け寄る。
スイは俺を抱きとめて、存在を確かめるように深呼吸した後、そのままヘリに乗り込んだ。
扉が閉まり切らないうちに離陸する。カーディスは地上でヒラヒラと手を振っていた。アイツなら残っても上手くやるだろう。でも絶対この世界に向いてないよな。人が良すぎる。
小さく手を振り返せば、漢服の袖が膨らみ飾り布がはためく。天に帰る嫦娥 のように、俺たちは月の浮かぶ空へ昇っていった。
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