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第5話
車はすぐに目的地に着いた。歩けばいいのに、と思ったが、やはりそれが嫌な自分が嫌になる。黒沢もたまの休みに外へ出たいだろうに。ぼんやりしていると車から降りるよう促された。二人で歩く時はだいたい黒沢が先になるのだが、今日は違った。妙な気分で少し先を歩いていると急に黒沢の片腕が桐島の肩を抱き込んで、むりやり左を向くよう仕向けられた。目の前の光景を見た瞬間、桐島はなんとなく嫌な予感がして後ずさった。
「はい、前へ」
「黒沢さま、いらっしゃいませ」
ドアマンが満面の笑みで扉を開いた。
「……黒沢、どういうこと」
「おまえの服が必要だ」
濃紺のブリティッシュスーツを着ている黒沢に違和感があったが、こういうことだったのか。
「ちょっと、待って」
「待たない」
「黒沢」
「俺に恥をかかせるようなこと、おまえはしないよな?」
人前でもいつもこんなふうだ。ノーはない、とばかりに背を押され、桐島は覚悟して店内に入った。
五階まで上がると知り合いなのか、同じくらいの歳の男性が歩み寄ってきた。
「黒沢さま、いらっしゃいませ。本日は……」
「これからディナーですがドレスコードが。すみませんが仕事の電話が入っていますので、お任せします」
「ちょっ……黒沢!」
「大丈夫。落ち着け」
黒沢はスマートフォンを片手にその場を後にした。
「……へぇ……」
「……なに」
「いや、似合う似合う。ありがとうございます」
「お気に召していただけて、光栄です」
ベージュのイタリアンスーツに、インは白に近い水色のシャツ。無地の濃い、ワインレッドのネクタイ。しかも靴まで揃えて。
桐島はすっかりハイになっていた。わけがわからず、鏡の前に立たされて。長い長い時間だった気がする。
「……ちょっと…これって……」
「おまえ、結構スーツ着て、仕事行ってたんだろ?」
そう言ってから、黒沢は失言、とばかりに黙り込んだ。桐島も黙り込む。確かに仕事は相手の要望に応えた格好をしなければならない。特に金のある年上の男が多かったせいか、スーツで来るよう言われることが多かった。黒沢と暮らす時に、それらは捨ててしまった。客にもらったものは、すべて。黒沢が、嫌がったからだった。
「食事って、そんな、ドレスコードなんて……」
「人が大勢いたら、おまえが嫌がるだろう」
痛いところをつかれて、黙り込む。黒沢は面白そうに笑う。
「じゃ支払い済ませて、さっさと食事に行くぞ」
黒沢と店員が親しげに話しているのを横目に見ながら、桐島はため息をついた。
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