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居酒屋 6月25日 22時18分 ver.翔

この居酒屋は、雑居ビルの6階に位置していた。小さな雑居ビルのエレベーターにはストレッチャーが、入り込むスペースはなく、救急隊を含む数人で、鈴木を抱え込むようにして、なんとかストレッチャーの待つ、一階部分へと降りた。ただでさえ、ガタイのでかい、気を失った男を運ぶのは一苦労だった。 救急車に乗せて、優男と自分が乗り込む。仲間には後で連絡をする、と告げて、自分の荷物を鷲掴みにし、鈴木を運ぶ人員の1人として、飛び出すように居酒屋を後にした。 受け入れ先病院との連絡もスムーズに行われ、横向きに寝かされたまま、救急車はその場を離れた。未だ意識を取り戻さない鈴木の腕から、点滴で水分をいれつつ、余分な水分を含む血中アルコール濃度を下げる為に、手早くズボンと下着を下ろして、尿道に管を入れられ、その排泄を強制的に促される。 見る見るうちに黄色い液体が袋に溜まっていく、その様を目の当たりにした優男は、複雑そうな表情をしていた。気を失った時点で漏らさなかった鈴木は、むしろ立派な方だとオレは思っていたが。 もちろん、救急隊の方がプロだ。オレらができる最低限の処置の補助を行っていると、意識を取り戻さないまま、嘔吐が始まった。オレは鈴木に馬乗りになるように、彼の上を陣取り、彼の背中をさすりつつ、それまでの経過を、救急隊員に話すうちに、至近距離の病院の受け入れを要請していたおかげもあり、病院に辿り着いた。 病院へ前もっての連絡はあるが、現状の意識レベル、症状、血圧から外傷に至るまでの報告を、救急隊と共に詳細に行っていった。 「高宮くんがいてくれて、良かったよ。」 救命のドクターに言われて優男はまた、不思議そうな顔をした。救急搬入口で待機していた救命のドクターやナースに足早に処置室に連れて行かれる。ここから先、ストレッチャーで運ばれてからは医者の仕事だ。 あとは、顔面蒼白で佇んでいる優男を待合のベンチに座らせて、その横に自分も陣取りながら、詳細を聞き、初診書の記入を行う。未だカタカタと震えている彼に文字を記入させるのは、さすがに躊躇われた。 それでも、病歴や、飲んでる薬があるかどうか、など、ただの同僚が知る由もない。それ以上の情報は身内でないとわからないだろう。かろうじてアレルギーはない、ということだけは、彼も知っていたらしい。 「たぶん、アルコールを抜くための点滴だけでも、一時間半から2時間くらいは、待つことになると思います。あとは自分で水分を取れるようになれば、問題も無くなるでしょう。なので、しばらくは待つことになると思います。 ただ、倒れた時に、外傷はありませんが、後頭部を打ってるので、少し検査をするかもしれませんが。 一晩くらいの入院が必要になるかもしれませんから、相手の方のご身内に連絡を取った方がいいかもしれません。必要な情報が足りない可能性もありますからね。 それくらいの時間はありますから、ずっとそこで待っていなくても大丈夫ですよ。必要なら、連絡を取るくらいの時間であれば、オレがここで待ちますから。 ただ、ここでは携帯の使用は禁止ですから、外に出られるか、通話可能スペースに移動して下さいね。 それと、貴方も早目に帰られた方がいいと思います。今にも倒れてしまいそうな顔色をしてますよ。」 ここの病院はそれなりの歴史と実績を積んでいるが、新しく建て直されているのもあり、空調もしっかりとしていて、真新しい救命外来のベンチの座り心地は、決して悪くない。辺りは静かで、普段なら決してうるさくはないはずの空気清浄機の音が、無駄な雑音がない所為で、大きく聞こえてくる。 反対側にあるICUの方へ行けば、命を守る為の機械音が仕切りなしに鳴っているのだろうが、ここは静かすぎるほど静かだった。 かなりパニックになっているような表情をしていた彼も、気が抜けたら倒れてしまいそうに蒼白な顔をしていた。 すっかり酔いなど冷めてしまっているのだろうと思う。 少し先に見えた通話スペースで、携帯から電話をかけ、誰に向かうでもなく、頭を下げながら通話をしている様子が、なんだか笑えた。人の良さが滲み出ている気がする。 通話を終え、戻ってきた優男は、何かを言いたそうに、少し逡巡してから、 「…あのっ…ありがとうございます。僕一人では、なにも出来ませんでした。感謝してます。本当に、なんてお礼をしたらいいのか……僕より若いのに、凄く対応が早くて、本当に助かりました。 そ…それで、後日お礼をさせてください!!今は手持ちが少ないので、すぐに、というわけにはいかないですが…」 頼りなさそうでいて、不安げな面持ちで、彼は、言葉を選んでいるのだろうが、たどたどしくそう言ってきて話す姿は、好印象を与えるが…これは偽善じゃない。 「年齢は関係ありませんよ。あの場で冷静な判断を出来たのが、たまたま貴方ではなく、第三者だっただけで、処置方法の基礎を、たまたま知っていただけの人間が、対応するのは至極当然のことなんです。 近くで、ムチャな呑み方をしてるのを見てましたからね。なんとなく、こうなる予感がしてただけのことです。 お礼なんて必要ないです。そんなことよりも、今後、あんな呑み方しないように、彼の方を注意してください。」 そう告げても納得はしてくれてないようだった。彼は胸元から名刺ホルダーを取り出し、オレに名刺をさし出した。 「僕は柳田徹と言います。個人の携帯の番号もアドレスも裏面に書いてありますので、もし良ければ、連絡先を交換しませんか?」 いったい、どんな場面でプライベートな番号を記載した名刺を出すのかと、心の中で苦笑いをしつつも、グイグイと押し付けてくるその名刺をつい、受け取ってしまった。 170センチとオレはそれほど背は高くないが、柳田は180センチ超えをしているだろう背の高い男だった。けれど、気弱そうで、優しそうな微笑みが、自分を見下ろしている。どんな人でも、警戒を解いてしまいそうな人だった。 実際、優しい人なのだろう。明らかに年下の自分に、すがるような目を向けてくる。運ばれた人間に礼を言われたとしても、この人はただ、倒れた男と一緒にお酒を飲んでいただけの人だ。飲み過ぎを止めきれなかったかもしれないが、相手も大人なのだから、そのへんの常識を持たなかった当人の責任だろうと思うが、それを自分のことのように、礼をさせてくれ、と言ってきているのだから、お人好しにもほどがある。 何度、断っても、必死に訴えてくるその姿に、最終的にオレは陥落してしまった。 「……わかりました。連絡先の交換はします。オレも結果を一緒に待ちたいのはやまやまですが、この後、用事もありますので、これで失礼します。」 本当は用事なんてない。しいて言えば、途中放棄した飲み会の席へ連絡するくらいだ。だからといって長居するような義理もない。電車がなくなる前に帰りたかったし、初対面の相手と話す内容すら見つけることが出来ないだろう。 その時は、礼、と言っても、お礼文か、菓子折一つで終了なのだろう、くらいの気持ちでいた。 学生なので名刺はない、と伝え、手帳を取り出して、高宮翔、と名前を書いた後、携帯番号とメールアドレスを書いたメモを渡してその場を去った。 もらった名刺を帰りがけに見ると、一流有名企業に勤めていることがわかった。けれど、もう会うこともないだろう人間の名刺に、それほどの興味なく、もちろん、携帯へ、なんの登録もせず、手帳のポケットにその名刺を入れて、その存在すら、翌日にはすっかりと忘れていた。

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