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6月26日 メール ver.翔

翌朝、携帯の通知を見ると、Twitterの通知や利用しているアプリの通知の合間に、見知らぬアドレスから、柳田です。というタイトルのメールが届いていた。起き抜けに確認した所為もあり、すぐにその名前を思い出せない。 「……柳田…?……って誰だっけ?」 数少ない友人や親類の中にも、その姓の人物で該当する人間は存在しない。とりあえず、そのメールを開いてみると、年下の学生に向けるような文面とは思えないほど、馬鹿がつくほど丁寧なお礼文と共に、鈴木の無事を知らせる連絡だった。 そこでやっと、昨夜のことを思い出す。こんなことで医者になれるのか?とも思うが、柳田にしても鈴木にしても、自分の患者ではない。悪く言えば、通りすがりのトラブルだ。 『何事もなくて良かったです。ご無事で何よりでした。ご連絡ありがとうございました。』 簡素な返信だと思うが、正直なところ、見ず知らずの他人の報告にそれほど興味があったわけではない。それでも、医大に通う者としては、やっぱり無事を確認できたのは、嬉しい知らせではあったし、いい経験をさせてもらったとも思う。 ところが、問題はここからだった。毎日のように、しつこく『お礼ディナー』のお誘いメールが、迷惑メールの如く届くようになった。 以前にも告げたように、礼をされることではないと、何度断っても、懲りることなく、どうしても、と誘われる。 挙句には、予約をしてしまったから、来てもらわないと困る、と先走った内容に、完全に嵌めれた感が否めない状況に置かれて、結局、お礼ディナーに応えることになった。 2週間に満たない間に届いたメール数は100通を超え、あまりの押しの強さに、こっちはドン引きだ。人との関わりが苦手なオレは、出来れば、そんな礼など、避けて通りたいと正直思っていた。 実際に、医師になった後、そんな事になろうものなら、懲戒レベルの大問題だろう。 どうも、ここのところ、強引に誘われることが多い。 この柳田と知り合ったきっかけになった飲み会もそうだ。 せっかくストレートに大学に入学し、ただでさえ、6年間という長い大学生活を送り、さらに、前期、後期研修医として、見習い期間がある。 少しでもつまずけば、その分、医師としてのスタートが遅れてしまう。何年も大学浪人して、医師としてのデビューを遅らせるリスクは今の翔には高い。 心臓循環器外科医として、研究をしていきたい身としては、スタートを遅らせたくはないし、遅咲きの医師が考える、国境なき医師団への参加は考えてはいない。 特に、親が医師だという訳では無いし、後ろ盾がある訳でもない。これから臨床実習に入るための試験も迫ってきていて、余裕なんてまるでない、と言っても過言ではない。成績が悪いわけではないが、出来る限りのことをしておかないと、その臨床実習の資格が得られない。そうなれば、留年することにもなる。 無理を言って、心臓循環器外科での第一人者、と言われる奥山敬吾がいる大学病院付きの私立大学へ入らせてもらった。だが、決して裕福な家庭ではない。 だから、削れるところは削った挙句、住まいは、壁の薄い激安アパートで、運良く3人兄弟で育った所為もあり、周囲の生活音は、全く勉強の妨げにはならない。 仕送りは最低限だ。雨風を凌いで、勉強と眠ることさえできれば、住居としては、何の問題はなかった。逆に、兄弟が絡んできたり、邪魔されない分、快適とも言えた。 成績を保つようにして、奨学金を利用して入学はしたものの、やはり別にかかるものはかかる。 週に2日ほど、バイトをして、なんとかやりくりしてる状態だ。だから、解剖学はもちろん、学校の授業だけで、できる限りのものは詰め込んだ。 それでも、補えない部分は多い。だから、自習は絶対的に必要になってくるから、こういった誘いに乗るよりも、学習を優先させたいのが本音だ。 元々、家庭を持つ気はないし、遊びや、好きなことをするのは、安定してからでも十分に出来ると思っている。実家はサラリーマンの父だし、ほかの兄弟もいるから、跡継ぎを必要とされてるわけではない。そのへんは気楽だ。 けれど、今、誰かと関わっている場合ではないのだ。 あの合コンサークルもそうだ。入ってるわけでもないのに、強引に連れていかれたのだから。 十分に他人とは一線を引いてるはずなのに、どうして周りが構おうとしているのか、が、よく分からなかった。

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