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リストランテ ルチェーラ ver.翔

彼……柳田は実に性格のいい人物だった。オレよりも7歳年上の29歳、かなりの一流企業の社員で独身だという。 あの鬼のようなメール攻撃で、押して押して押しまくるような人物には、外見上は全くわからないほど、柔らかな印象の男だ。 連れていかれた食事もイタリアンとはいえ、学生のオレにはかなりの敷居の高さだ。貧乏大学生が同じフロアにいるような居酒屋で呑んでいた人物とは思えなかった。 薄暗い店内は、間接照明でうっすら照らされているが、造りはかなりオシャレだということは、いくら高級店に疎いオレでもわかる。緊張しない訳がない。テーブルマナーだってイマイチだ。そんなオレに柳田は 「そんなにガチガチに緊張してたら、味もわからないんじゃいかな?」 優しく微笑む。彼がワインを口に運ぶ様は、とても慣れたようにも見えて、少し羨ましくなった。 「そう言いますけど、オレは学生です。しかも、どちらかと言えば貧乏学生です。こんな高そうな店、そんな学生が簡単に来れるような所じゃありませんよ?」 柳田は、微笑みを崩さないまま、オレを見つめた。何を思ったのか、急に吹き出したかと思うと 「あはは、僕だって簡単には来られないよ。これはお礼だからね。少し奮発したんだよ。君は学生でも大学生だよね?お酒は合法で飲める年齢だよね?」 「……童顔ってことですか?これでも大学四年生ですよ。」 「童顔……とは、ちょっと違うかな。美人?」 「……褒められてる気がしません。」 オレは少し歯痒い感じがして、目線を逸らす。それでも、そう微笑む笑顔に、世の中の女性はもちろん、身近にいる会社の女性たちが、なびかない訳がない。 どんな人でも、その笑顔ひとつで口説き落とせるのではないだろうか?と思う。一流企業の社員で、超美形、というわけではないが、その笑顔は人を安心させる。 かなりのお買い得物件だろう。 どうも、天然なのか、わざとなのか、わかりかねるが、たぶん、ぽやーっとし過ぎてて、そういう感覚には疎いんだろうなぁ、と思う。 「4年生、ってことは、就職活動中なのかな?それとも内定してる?」 「…いえ。オレは医学部なので、最低あと2年は大学生です。」 その言葉に目を丸くしたかと思うと、何かを納得したように頷いた。 「そうか。だから、あんなに迅速に対応してくれたんだね。ああいった場面で、冷静に対応出来るんだから、将来、絶対にいいお医者さんになれると思うよ。あの時、僕自身のケアまでしてくれたんだから、凄い優秀な学生だと思うよ。」 「……褒めすぎです……そこまで凄いことはしてないし……でも、こちらこそありがとうございます。いい経験をさせてもらいました。」 そう言うと、また、柳田は微笑む。褒められると擽ったいけれど、柳田の言葉はオレを安心させてくれた。 「前々から思ってましたけど、どうして柳田さんなんですか?お礼を言われる相手が違う気がするんですけど」 そう告げると彼はきょとん、という表情をした。 「そういえば、そうだね。鈴木にもお礼を言うように伝えなきゃ、ね。あいつは妻子持ちだから、ちゃんとしたお礼は出来ないだろうからね。僕が代理で。」 お礼をするのは柳田で、本人には言わせるだけなんだ… ーーお人好しすぎる。 半ば呆れながら、その読めない笑顔を探る。 けれど、あの日、オレが早々にあの場をあとにしてから、一晩中待っていたこと、奥さんが来てからその説明をして、飲み過ぎを止められなかったことを謝罪したこと、意識を戻した鈴木に説教をしたこと、そこに加えるように、奥さんに激怒されたこと、当人が反省していること、などメールには書かれていなかったことも教えてくれた。 けれど、それを面白おかしく話す柳田に、オレは、その敷居の高かったはずの店で、リラックスし、その話に耳を傾け、笑いながら食事をしていた。 そして、こともあろうに、彼に興味を持ってしまった。 「お互いにムリをしない程度に、今度は気軽に行ける店で、軽く飲みに行きませんか?お礼とか、そういうのを抜きにして、同等な立場で。」 今度の誘いの言葉をかけたのはオレの方だった。 柳田は嬉しそうに 「そうだね。でも、君は貧乏学生宣言をしたよね?店だと結局、高くつくから、今度は好きなお酒を持ちあって、ウチで飲まない?時間も気にならないし、無駄な雑音がない分、うるさくもないし、敷居も高くないよ?そのまま眠くなったら寝てしまえるし。 その方が楽じゃない?あの居酒屋レベルのツマミなら僕でも作れるし。好きな惣菜とかで、食事も兼ねて呑むのも楽しいかもしれないね!」 と微笑んだ。顔見知り程度の人間を自宅に招くなど、警戒心というものがないのか、と呆れもしたが、その話を本気で詰めだした柳田は楽しそうだし、互いに話していても、食べ物や酒の好みも合うようだった。 たぶん、この時からオレはこの人が好きだったんだ。

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