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2月 砕けたガラスの関係 Ver.翔

それから、オレの学業の関係で、しばらく会えない日々が続いた。 臨床実習のための試験対策と、学期末テストも控えて、覚えることがたくさんあった。 ある程度までは大丈夫でも、模擬試験で満点を取ることもなく、合格点ギリギリのライン、というのがオレ的に大問題になっていた。 それでも、どうしようもなくなって、息詰まってしまったオレは、この日だけ、息抜きに、と渋る徹を強引に誘ってみた。 どうせ、気分転換なら、と、ドライブを提案された。面白おかしく話をして、目的地も持たないまま、1日を楽しく過ごした後、送ってくれたオレのアパートの近くの公園脇に車を停めて、別れを惜しむかのようなキスをした後、なにかを言いづらそうにしていた。 数分の沈黙の後、決心がついたように、目を開いて、俯いてハンドルに預けていた頭と顔を上げて、見たこともない真剣な表情の徹が、重たい口が開いた。 「……翔、ごめん、君以上に好きな女性が出来たんだ。結婚を前提に付き合うことになった。本当はね、年末は、親兄弟に彼女の紹介も兼ねて帰郷してたんだ。 だから、今までみたいな関係は、もう続けられない。これからは君に会う時間も取れない。不貞を続けられはしないだろう?翔も愛人なんて嫌でしょ?だから、今日限りでこの関係を終わりにしたいんだ。」 「はぁ?なんの冗談…?」 あんなに激しいキスをした後の言葉とは思えなかったが、恐れていたことが現実になる。 突然すぎるその言葉に、ショックで声が震えてしまう。『愛してる』と言って抱き合ってからまだ、一ヶ月だ。 年末年始から、それより、少し前から、すでにそんな関係になっていたのなら、二股をかけられていたことになる。 信じられない、と眸で訴えるけれど、徹の表情は変わらない。いつもの笑顔は消えて、真っ直ぐに翔を見つめて、真剣だけれど、切ない表情をしていた。 年が明けてから、たまに見せていた切なそうな表情は、この所為だったのか。疲れていたのは、平日にも、その女性と抱き合っていたからなのか? 会えなかった年末年始の一ヶ月の期間は、やはり、そういう事だったのか。そう思うと、じわじわと心にどす黒い感情が溢れてきて、悔し涙が浮かぶ。 「……だから、最近は外で会ってたの?」 「そうだよ。鉢合わせしたくないでしょ?」 徹は平然と言い放った。見開いた眸から涙が零れ落ちた。 ただ、ただ、悲しくて、悔しくて、拳を握りしめ、殴りたい衝動を抑えて車から飛び出した。 当然、徹は追いかけてくることもなく、自分のアパートまで、たどり着いてしまった。 その後ろを車は無情にも、徹の運転する車が通過していってしまった。互いに振り返ることなく、その関係を終えたのだった。 少なくても、車を止めて、冗談だった、と笑い飛ばしてくれれば、許したのに。 愛人でもいいから、とすがれば良かったのかな……? アパートの前で、声を出すこともなく、しばらく立ち尽くし、涙を拭うことすらできないまま、俯き、ポタポタと流れ落ちた涙は、コンクリートの上にその染みを広げていくだけだった。 二週間後、宅配便が届いた。帰宅時間を把握してるのか、夜間配達の手配までされていた。中身は徹の部屋に置いていた荷物が送られてきていただけなのだが、中には簡素な便箋に綺麗な字で一言添えられていただけだった。 『翔、ごめんね。短い間だったけど、今まで本当にありがとう。僕に人を愛する気持ちを与えてくれたように、翔は絶対に、いいお医者さんになると思う。夢に向かって頑張って。僕が言うのもなんだけど、幸せを掴んでください。お元気で。』 と、タバコの匂いのする荷物。タバコを吸わない徹が、タバコを吸う女を選んだことを教えているようで、悲しいような、腹が立つような、不思議な感覚に捕らわれた。 愛人でもいい!! やっぱり別れてなんかやるもんか!! そう思ったオレはアパートを飛び出した。 夢中で電車に乗り、走って行き着いた徹の部屋には、外から見ても電気はついていない。なにか違和感を感じながら部屋へ向かう。オートロックマンションなのだが、オレは通い慣れたそのマンションの抜け道を知っていた。 そこから中へ入り込み、徹の部屋の前に立つ。ドア横にあったはずの表札はなくなっていた。ドアには見慣れない電子ロックの鍵がぶら下がっていた。 チャイムを押すが、音すらしない。通電していない、ということだ。嫌な予感と違和感は的中していた。そこにたまたま通りがかった近所の部屋の住人が 「あ、その部屋にいた柳田さんに用?残念だね、一足違いだったよ。先週、急に引っ越されましたよ。」 「そう…なんですか…あはは、久々に遊びに来たもので、知りませんでした。お話してくださってありがとうございます。どちらに行かれたか、ご存知ないですか?」 「ごめんね、申し訳ないけど、そこまで親しかった訳じゃないから、そこまでは聞いてないんだ。」 「すみません、ありがとうございました。」 頭を下げて、その場をあとにして、エレベーターに乗り込んだ。眩暈がする。頭から血の気が引いていくのがわかる。そこまで徹底して逃げられたとは… 少し貧血を起こしかけて、ふらつく足取りでそのまま携帯を取り出して、徹の番号をタップする。携帯会社の呼出音の後に、耳に届いたのは、ある意味、聞きなれた女性の声だった。 『お客様がおかけになった電話番号は、現在使われておりません』 「……マジかよ……」 ため息混じりに言葉が漏れる。 翌日、もらっていた名刺を片手に会社に乗り込む。受付嬢にお願いをして、担当部署へ連絡を入れて、呼び出してもらう。が、受付嬢から申し訳なさそうに返ってきた返事は 「申し訳ございません、柳田は先週末付で、退職しております。」 ………目の前が真っ暗になった。

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