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3月 Ver.徹

翔に別れを告げた翌日、携帯電話を解約した。会社を去る少し前のタイミングで行動を起こした為、押しかけられたらどう対処するか、も考えたが、翔自身が忙しい時期に入ったのもあり、退職も引越しも無事に終えた。 実家の姉夫婦と会社の経理部長と、大学時代の友人数名と、担当医の児嶋が、新しい僕の番号を知る数少ない人たちになった。 あの日の別れ話を考えるのは一苦労だった。 本当は別れたくない気持ちが強すぎて、決定的な台詞が浮かんでこないのだ。 結局、ネット検索で見つけた言葉を利用することになったのだが、自分から別れておいて、その夜からの未練は、予想以上に精神的ダメージの大きさに身が引き裂かれる思いをし続けた。 けれど、一緒に過ごし続けたら僕が一度決めた『死』に対する覚悟が崩れてしまうのではないか、ということが1番怖かったのかもしれない。『生』にしがみつき、よろよろになった、みっともない姿は見せたくない。 総てを後回しにして、僕の為に献身的になるであろう、恋人の……彼の夢の足枷にはなりたくもなかったのだ。 『おまえの存在を枷になるか、糧にするかは、彼が決めることだ』 義兄の言葉が、頭に響く日が増えるけれど、今になって思うのは、やはり、決めるのは彼ではなく僕自身だったのだ、と。 頼ってしまったら死にたくなくなってしまう。諦めた人生なのだから、そのまま静かに逝こうと思う。 退職後、ゆっくりと自宅療養をするのがいい、と児嶋と話し合い、しばらくは久々の静かな休みを満喫していたが、それでも限度はくる。 翔のことが気になりだしたら考えがまとまらない。義兄の言葉が、呪いのように、隙あらば頭に浮かぶ。それでも、会いに行くことは出来ない。そんなジレンマと闘い続けていた。 残された時間がどれくらいあるのか、同じ病気でも症状や症例、ステージによって違いはあるものの、闘病記録を綴られたブログは予想外に多かった。 人それぞれの記録や状況などを閲覧していると、興味深く、参考になることが多かった。 けれど、しばらくの間、更新が止まったブログが次に更新された時には、大概が身内からの訃報の報告だった。 これが現実だ。 僕には残された時間も、治療に向けて動くことも出来ない。唯一、モルヒネで痛みが出たら誤魔化すくらいだ。まだ、躰も動く。 働いている時は、時間のなさに焦っていたけれど、いざ、時間が有り余ると、最初の数日はいいが、仕事人間で趣味もなかったのだから、だんだんと時間を持て余してくる。 時間がありあまり過ぎて、翔への未練ばかりがどんどん募っていく。 最初はそれを投げやりにパソコンのメモ帳を開き、打ち込んでいたが、ふと、ネットブログにそれとなく載せてみよう、と思い、 彼でも、彼女とも書かず “あの人” と称して、僕の病気のこと、それが原因で一方的に別れたこと、それでも未練があって、それを断ち切れないことを殴り書くように打ち込む。 “Melagis” リトアニア語 “嘘つき” 日本語 僕のH.Nは嘘つき。僕にはうってつけのハンドルネームだ。ネット世界は広い。 でも、ネットに疎い翔が僕のブログを見つける確率は低いだろう。いつか、僕がこの世を去った後でもいい。僕の未練を知って欲しい気持ちも芽生える。けれど、汚いことは書けない。 その気持ちはメモリースティックに保存してしまう。これは、僕だけのストレス発散方法だ。時が来たら消去すればいい。 この世界に文章を投げ出すことで、誰かに話してる気分になり、少しだけ気分が晴れた。 定期的に出さなければならない診断書を会社へ提出するついでに、足を運んだ。 郵送でもいい、とは言われていたが、残り少ない生命の時間を、誰かと共有したい気持ちと、有り余る暇な時間の潰し方がわからず、歩ける内は、なんとか誰かと接触していたかった。 まだ、離れて二週間経つか、経たないかくらいなのに、訪れた会社内はひどく懐かしかった。 提出を終えて、元同僚との昼休みを近所の喫茶店で過ごした後、僕は一人残り、コーヒーをゆっくり飲みながら、余命宣告を受けた後から、何となく吸い始めたタバコを薫らせながら、ぼんやり外を眺めていると、見覚えのある気配がして、そちらに目を向けた。 会社の前に翔が立っていた。立ち上がってしまいそうなほど驚いたが、そのまま、窓越しに彼の姿を眺めていると、一度、受付に向かったらしい。再度、会社のビルを見上げる表情は、今にも泣きそうだった。 逃げたのは僕。 なのに、少しでも未練を残してくれているのが嬉しい。反面、恨んだり、憎んでくれていた方が、僕も悪役でいられるのに…と思う。 いつの間にか降り出した、この時期の冷たい雨が降りしきる中、彼は微動だにせず、ビルを見上げていた。傘を差し伸べたい気持ちを抑え、彼が立ち去るまで、僕は彼を見つめたまま、その場を動くことが出来なかった。

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