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救命救急 ② Ver.翔

どこをどう通って救命まで戻ってきたのかすら記憶にない。呆然とふらつく足取りで、なんとか気持ちだけで身体を支え、救命に戻ってきた時に救急車が到着した。 ガラガラとストレッチャーの音がする。佐川にカルテを渡してから、彼ではない、同姓同名の柳田徹であることを祈りながら、運ばれてきた人物をナース越しに見る。かなり痩せてはいたが、間違いなく本人だった。酸素マスクはされているものの、呼吸不全で唇は紫がかり、チアノーゼが出ていた。 どうしてこんなところでこんな姿になっているのか… 胸が締め付けられる痛みに、立っているのも辛い。そんな姿を見ながら、何もしてやれない自分がもどかしくてたまらなかった。半ばパニックを起こしていたのだろう。 いつの間にか、救命に到着していた、担当医の児嶋医師がオレの耳元へ小声で声をかけてくるまで、気付かなかったのだが…… 「高宮くん、彼のこと知ってるの?」 児嶋医師は、他のスタッフからオレが見られないように遮る位置に立っていた。ハンカチを出され「拭きなさい」と渡された。いつの間にか、眸から、とめどなく涙が溢れ出ていたらしい。カルテを受け取った時から、不安定になっていた心がセーブできなくなっていた。 ほかの医師たちは、今にも息絶えてしまいそうな徹への処置に追われていて、こちらのことなど気にもとめてられていられないほど、事態は深刻だった。 そのまま息を引き取ってしまうのではないか?と思うほどの徹をなんとか蘇生させ、そのまま意識を取り戻さない徹は、酸素マスクをつけて病棟へ移動することになった。 通常なら救急のICUに入ることが多いのだが、外科のICUに運ばれることになった。 そちらの方が、より専門的に診ることが出来るから、という理由らしい。 なにかを感じ取ったのか、児嶋医師は、徹を外科病棟に移動する時に、徹が前もってわかっていたのか、持参した入院用品一式を、オレに持たせて同行させてくれた。縋り付いて泣いてしまいたい衝動と、攻め立てて怒鳴り散らしたい衝動を必死に堪えながら、徹の顔を見る。 痩せたのはもちろんのこと、顔色も未だかつて見たことないほど、かなり悪い。紙面で学んできた内容であてはめるなら、もう、残された時間は僅かだろう…… 医師免許も取得出来ていないオレに、こんなタイミングで再会したというのに、自分には何で何も出来ないんだろう……? 児嶋医師に、カルテを片手に呼ばれる。 「本来なら実習生に話すような内容でもないんだけど、個人的に柳田さんを知ってるみたいだから少し話を聞かせて欲しいんだけど、柳田さんとはどういう知り合いなの?」 どう説明したらいいのか、パニクった頭では考えることができない。情けない表情で黙り込んでしまった。 「そんな表情をされると、こちらが困ってしまうよ。これ(カルテ)を見たんだよね? ここにある通り、彼のガンはステージ4。 しかも進行ガンで、最初は膵臓、肝臓と転移していて、健康診断で引っかかっていたんだけど、なかなかに検査には来てくれなくてね。 会社にお願いをして半ば強引に検査に入ってもらったんだが、そのガンが発見できた時には、すでにリンパに転移していて、末期だったんだ。当時で余命半年、今はもう、二ヶ月あるかないか、だろうね。もう、全身が癌に侵されてる状態だよ。」 頭がグラグラする。あまりのショックに、体が揺れる。児嶋医師に椅子を勧められ、そのままへたり込むように座り込んでしまった。 この再会ですら、確率的にだって、かなりの偶然だったのに、また、徹は自分の前からいなくなってしまう。 ーーーしかも永遠に。 涙がまた溢れてしまった。 「今だけの特権だ。好きなだけ泣きなさい。君が医師になった時には、個人的な感情で左右されてはいけないよ。 患者さんや、そのご親族を不安にさせてはいけない。人としての感情を捨てろ、なんて話じゃないからね。ただ、その都度、感傷に流されていたら、精神がもたなくなってしまうよ。 だけど、まだ、君は医者じゃないからね。」 そう言って、抱き抱えるように背に手を回され、胸を貸してくれた。その自然な動きに、(ほだ)されて自分でも驚くほどに声を上げて泣いていた。 その自然すぎる動きに、オレは何も感じていなかった。それは、その時の児嶋の優しさなのだと勘違いしていた。 「まだ目が真っ赤で腫れてるから、タオルで冷やすといい。それが落ち着いたら救命に戻りなさい。私がこき使ったことにしておくから。」 目を腫らして、思う存分泣き終えたオレにそう告げ、いたずらっ子のような笑みを残し業務に戻って行った。 「ありがとうございます」 児嶋医師は何も聞いてはこなかった。 そしてこのこの時に児嶋医師が何を考えているのかも理解してなかったのだ。 たぶん、この人も過去に何かがあったのだろう。他人の痛みは完全にはわからないけれど、分かち合うことは出来る。けれど、あの人は担当医だ。何かを相談できるような立場でもないし、オレは時間の許す限り、徹のそばにいたいと思った。 けれど、この後、徹に会って何を告げたらいいのかは、さっぱりわからなかった。

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