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闘病記と恋心 ① Ver.翔
ある時期から大学の仲間内でも、勉強になる、と、闘病記の話題があちこちであがっていた。患者本人の心の動き、医師との綿密な会話、治療方針、処方薬まで詳細に書かれたブログは勉強にもなるが、切なくもなる。
読み続けていると、毎日更新されていたブログが数日、更新されなくなる。次にやっと更新されたブログは、突如、身内から、本人が亡くなった、という報告に変わるのだ。
残された時間をどんな風に生きていくのか、余命宣告をどんな風に受け止めたのか、も書かれている。
それでも、遺される誰かのために、少しでも長く生きられるように、何かを残せるように、時に力強く、時に弱音を吐きながら、日々を一生懸命過ごしている。言葉の重みがひしひしと伝わってくる。
そのブログもそんな中の一つだったらしいが、片思いをしてる相手への未練が書かれたラブレター式の、一風変わったものらしい。
教えてもらったURLを開く。
『僕の余命は長くない。
けれど、忘れられない大切な人がいる。
こんな僕があの人に今でも好きだと伝えたら、
あの人は、なんと応えるだろう?
いつも遠くから眺めているだけの
僕に気付いてすらいないであろう、
あの人への愛の告白なんて夢のまた夢。
すべてを告白しても、すぐに別れがくる。
そんな僕のことなんて知りたくもないだろう。
生まれたのだから、死ぬことは仕方ない。
遅かれ早かれ、それは誰にでも訪れる終焉なのだから。
けれど、あの人が幸せになることを、
見届けられないのが残念で仕方ない。』
最初の書き出しはこんなものだった。その他のブログは医者とのやりとりだけの日もあれば、思いを語るだけの日もある。積もっていくばかりの思いに、やり場のない思い。
ストーカーのように、影からその想い人を見ていたこと。ただ、ひとつ引っかかったのは、ぼやかしているがその場所や行動に心当たりがある自分がいることだ。
『残りの時間の少ない今になって、後悔している。あの人は、僕にとても優しい人だった。
僕にだけではなかったかもしれない。
誰にでも優しい人だったかもしれない。
接せられた間に、告白して、病気のことも告げて、傍にいて欲しいと願えば、いてくれたかもしれない。
同情で傍にいてくれるくらいの猶予はくれるだろう。
それくらい、僕には時間がないのだから…
けれど、僕にはそんな言葉を告げる勇気も、
あの人と向かい合う勇気もない。
あの人の涙など見たくないから。
そんな勇気があったら、
僕の最期の時間を共に過ごしてくれないか?
とあの時、言えていたかもしれない。
自分勝手に、恰好悪く逃げたのは僕。
あの人の涙など見たくない、そう思いながら、
その涙は、美しいほどに僕の胸に焼き付いた。
惨めな姿を晒したくなくて、あの人の中で
出会った頃のままの姿でいたかったんだ。
どれだけ泣いても、幸せだった時間は戻らない。
それを捨てたのは、僕自身なのだから。
この気持ちは、もう届かない。
こんな苦しい気持ちが続くなら、
僕は、もう、時間なんていらない。』
だんだんと増えていくブログに応援コメントが付き始める。告白してしまえ!!や、一緒にどうすればいいのか考える者、あの人はナゼ、そんな思いに気付けないでいるのか?など、感想は様々だった。
その人のハンドルネームが
“Melagis”
いったいどういう意味なのか?と普通にネット検索するとバイアグラがヒットする。何がしたいのか、が、わからないが、下ネタ掲載のブログでは無いはずだ、と、再度目線を変えて検索をかけてみた。リトアニア語での意味は
“嘘つき”
本心を書いてるブログのはずなのに、何故、嘘つきなのだろう?これは、誰かの妄想なのか?
そして、読み進めていく。途中でオレはその文章に釘付けになった。そして嘘つきの本当の意味を理解した。
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