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治験の条件 Ver.翔

椅子を勧められ腰を下ろす。 訳がわからず身構えていると、 児嶋が背後から近づいてきながら、 オレの肩に手を置き、用件を語り出した。 「柳田さんのことなんだけどね。 今の大部屋からナースステーション傍の 個室に移して、私が中心になって、 彼を管理した方が安心だと思うんだけど、 どう思う?」 質問の意図が全くみえなかった。 どう思う?とは? 個人的に柳田を診る、ということなのだろうか?肩に置かれた手が、首をたまに 擽るように動くのが、気持ち悪い。 「それは外科のICUではなく、ですか? それに、質問をする相手が違うのでは ないでしょうか?まずはご身内に話されて、 了承を得るべきなのでは? 他人である自分が、簡単に 『はい、そうですか』 と返答出来る内容ではないと思うんですが…」 何を言い出すのだろう?戸惑いながら返す。 顎をつかまれ、上を向かされると、 ニヤリとイヤな嗤いを浮かべる児嶋が視界に 入る。その表情にオレは凍りついた。 その貌はいつもの医師としての表情ではなく、雄の貌をしている。嫌な予感しかしなかった。 「いや、君で良いんだよ。君と柳田さんは 恋人同士だったね?柳田さんは、 君と再会してから、少し気持ちが 変わったみたいでね。 MRとの治験も兼ねて、個室に 移ってもらおうと思うんだ。 病状も良くない。今のままでは、 いつ逝ってもおかしくないほどには。 けれど、薬が合えば、現状よりも 長くは生きられる、と言われたら 君はどうする?」 最初の言葉に目を見開いてしまった。 肯定したも同然だ。 ……どうする?………そりゃあ、少しでも長く一緒にはいたいとは思う。けれど…… 「……抗がん剤治療という事ですか? これ以上辛い思いをするのはイヤだと 本人は言ってますけど……」 ※ 「うん。そうだね。現状で他の患者に 使用している抗がん剤よりも、 効果は弱いけれど、代謝拮抗剤の中では、 副作用が少ない、というものかな。 モルヒネも併用して使用するから、 本人が不安がっている、痛みは 多少減ると思うよ。けどね、 DNA(デオキシリボ核酸)、 RNA(リボ核酸)の効果は 期待できるものなんだよ。」 「……自分はまだ、紙面でしか学んでませんが、そうなれば、やはり本人への負担はかなり大きくなると思いますが? それだけに、それは本人が決めることでは ないんでしょうか?柳田さんもそれを 判断出来ない子供じゃないし、 自分は保護者ではありません。 まして、まだ医師でもない自分に、 治療方針を話されても、 何の役にも立ちませんよ?」 「柳田さんは費用面を心配していてね。 それに、治験とはいえ、ある意味、 病状からして、新薬の投薬はギャンブルだ。 万が一のことがあっても良いと、 彼は了承しているけれど、 心配している費用面は心配しなくていい、 と言ってある。 最初はもちろんICUからスタートするけど、 落ち着いたら、個室で、と思っているんだ。 僕が、精一杯、そのフォローに回る、と 約束しよう。その代わり、君にも 協力をしてもらおうと思ってね」 肩に置かれた手が、ずっと頬を撫でる 「私が頑張った分、私の腕の中で “君にも啼いて“もらうよ? それが、この治験の報酬だ。」 ……はっ?何を言い出してるんだ? 「……啼くって……」 「私とセックスするってことだよ。 君は、彼と肉体関係があるだろう? 君が彼を好きな気持ちは理解してるから、 恋人になろう、なんて言わない。 けれど、彼にはもう、君を抱くだけの 余力はないよ。君も若いんだ。 躰が疼くだろう? 君が私の腕の中にきてくれるなら、 彼の延命に、精一杯の努力をしよう、 と言ってるんだ。君にもわかるだろ?」 意味がわからない。オレは顔から 血の気が引いた。 確かに一秒でも長く生きて欲しいと 願ったのはオレだ。 けれど、交換条件がオレ? この男に抱かれろ……と? 即答など出来る訳もない。 ただ、一言だけしか浮かんでこなかった 言葉を舌の上に乗せた。 「………少し時間をください。」 ☆※☆ ※抗がん剤と言われている投薬治療の全てが、細胞のDNA(デオキシリボ核酸)、RNA(リボ核酸)に作用して、たんぱく質の合成を阻害し、細胞の増殖が出来なくなるもの。 ※リアルには無い拮抗剤です。

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