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最後の入院 Ver.徹

彼と再会してしまったあの日…… 僕は息苦しさを感じて救急車を呼んだ。病院までは僅か数百メートル。これだけ近くに引っ越したのに、すでに自力で病院に行く体力は残していなかった。近距離なのに申し訳ないと思うけれど、部屋を出る事さえ困難な状況なのだ。 多臓器不全による呼吸困難は何度か経験がある。もう、この状態になれば、自力で辿り着くことは出来ないだろう。そこまで体力も落ち、身体もボロボロになっていた。 覚えのある感覚に、救急車が来てくれるまでに、意識をどれくらいもたせられるか、わからなかった。たぶん、救急車が辿り着くまで、意識はもたないだろう。 本気で死のうと思えばこのまま自分を放置するだけで良いのだけれど、気温や湿度の高いこの時期に数日放置すれば、腐食はかなりの速さで進むだろう。 僕は後片付けまで考えてて選んだこの部屋を、事故物件にすることだけは避けたかった。 だから都度救急車を呼んでしまう。 首から病院、担当医を記載したプレートを下げ、必要なものは鞄に入れて抱えた。入院準備のカバンはいつも、玄関に置いてあった。それだけ、救急車の常連でもあった。 救急隊の人がスムーズに行動をおこせるように、玄関の鍵を開けて、閉める為の鍵を握ったところで力尽きた。僕の意識があったのがここまでということだ。 すっかり慣れた救急隊の人たちは、意識と呼吸のない僕を連れ、入院用の荷物を持ち、部屋の鍵をしっかりとかけて運んでくれる。 救命の佐川医師には、もう、運ばれてきても、 蘇生をしなくてもいい、とは伝えてあるが、 「運ばれてくるのだから、それは出来ない。」 と返された。それが嫌なら救急車を呼ばずに、孤独死を選ぶべきだ、と。 部屋を事故物件にしたくない僕と、命を救うための救命医師との会話は、永久に平行線のままだろう。 余命宣告からすでに四ヶ月が経過した頃、僕の身体は、かなりのガンの進行が進み、全身に広がったガン細胞の所為で、頻繁に入退院を繰り返していた。そして、この入院を最後に、僕があの部屋に戻ることはなかった。 呼吸も楽になり、ゆったりと意識が浮上する。 いつものように病院に運ばれて、頼んでもいない蘇生処置をされ、いつものように処置後は数日の入院になるのだろう、そう思いながらも、ゆっくりと意識が浮上する。 いつもだったら、感じない人の気配がした。 握られた手の温かさと震える振動が、翔の存在を教えてくれた。うっすら目を開けて確認すると、拗ねた子供のような表情をして俯いている翔が座っていた。 再度目を閉じて、一言発した。 「……見つかってしまったんだね……」 本人も怒りたいのか、泣きたいのかわからない状態なのだろう。あともう少しだったのに、こんなところでバレてしまった。 もう、彼を突き放した意味はなくなってしまったのだから、傷つけることはわかっていても、話さなくてはならなかった。 「…こんなとこで、なにやってんの?結婚するんじゃなかったのかよ?」 涙を浮かべた顔で、切なそうにそう言う 「一世一代の名演技だったろ?」 僕は、茶化すように、翔を見つめながら微笑んでみせた。あの時の言葉は、僕が一番勇気を出して伝えた、元気でいた頃の僕の最初で最後の嘘だったのだから。 「…な…んで?…一緒に…乗り…越えようって…おもっ……うぅっ…」 涙を流し、しゃくりあげながらも、文句をいう姿は、彼の若くて未熟な部分を見せてられているようだった。 ただ、意地っ張りなところがあるから、こんな姿を見れるのも、貴重なのかもしれない。 他の人には見せないであろう姿を見せてくれる彼には、驚かされるけれども嬉しくもあった。そんな姿が愛おしくて仕方ない。 ここの病院は翔の大学とは関連のない病院だから、と侮っていたが、まさかの実習をここでやっていて、救急にいたタイミングで運ばれたことは、僕のシナリオからは外れてしまった出来事だった。 救命か児嶋によって、確実に病状は知られてしまっているだろうことは予測できた。彼が幼い頃に負った傷を抉ってしまうかもしれない……それが気にはなったが、彼の主張は別のところにあった。 何故、病気を受け入れたのなら、一緒に病気と闘う、という選択肢を勝手に一人で排除したのか、という方を彼には責められた。逆の立場で考えたら、僕も翔と同じように考えていただろうと思う。 冷静でいたようで、僕自身が余裕を持てずに、身勝手に考えていたのだと知らされた。義兄の言う通りだった。 『枷にするのか、糧にするのかは、彼が判断することだ』 翔は、『糧』になる方を選択したことになる。無駄にしてしまった時間はかなり多いけれど、こうなったからには、残された時間は、できる限りそばにいたい。もう、感じることの出来ないと思っていた、この腕の中に抱きしめた懐かしいぬくもりが愛おしかった。

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