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迷い Ver.翔
「どうかしたの?今日は上の空だね?」
徹が顔を覗き込む。参考書を開いているものの、内容が全然頭に入ってこない。まもなく、期末考査がくる、というのに。
臨床実習をしていても、試験はやってくる。
最近は、実習のあと、病室で勉強をしてから帰宅することが多い。一分一秒をも無駄には出来ない。これまでの時間を取り戻すかのように、一緒に過ごす時間を大切にしている
帰宅といっても徹が借りているマンションだ。また、徹の部屋は病院にほど近い家具家電付きのマンスリーマンションの為、自分の荷物を持ち込んで、そこでアパートよりは静かに勉強をさせてもらうことも多くなった。
以前の部屋とは比較にならないほど簡素で、荷物もほとんどない。衣類は、時期によって、ダンボールで保管をしているため、冬物衣類は、現在、数少ないダンボールにしまいこまれ、クローゼットの端っこに置かれていた。
だからといって、夏物の衣類も多いわけではなく、クリーニング済みのワイシャツ数枚とスーツと礼服が1着ずつクローゼットにかかっている他には、サマージャケットが3枚、外行き用のスラックスが数本、部屋着が数着、下着や靴下の他、普段着として使用している服も、数えられるほどの量しかない。
いつもの入院なら、一人用の世話をしてくれる専門の業者がいて、世話をしてもらう必要がなかったらしいが、現在はそれを断ってる為、彼の世話をする人間はほかにはいない。
病院での下着類やパジャマの洗濯物や、私物の持ち込みをあれこれしているうちに、すっかり、徹の新しいマンションの、住人のようになってしまった。
ここぞとばかりに、自分の私物の運び込みも、ついでに出来るのと、すでに一年分の家賃が振り込まれているマンションの居心地は、かなり良かった。自分のボロアパートと大学の通学外にある病院までの交通費がかからない、というのが一番の利点だ。浮いた交通費を貯金して、最低限の生活をした。
こんなことでも甘えてはいけない、と思いつつも、徹のいた空間が心地よかった
『君は食事には無頓着だからね。タダでさえ今はバイトもしてなくて節約生活をしてるんだから、食費は負担させてくれ。』
そう言うと数万円手渡される。昼は病院内の職員食堂で、従業員用の安いランチを食べられるから、それだけでも満足ではあった。
夏物の私服はかさばらないから、1度、宅配便で書物と一緒に送ってしまえば、その部屋での生活は、1人は寂しいが快適だった。
たまに部屋着用のTシャツと短パンは借りているが、身長差のある徹の服は大きかった。
「……えっ?……あ…あぁ……ううん、何でもないよ。今日は少し忙しかっただけ。」
……徹の延命処置の為に児嶋医者に躰を売ることになるかもしれない……なんて、言えるわけがない。でも、考えずにもいられない。
『考えさせてください』
そう伝えたけれど、返事はたぶん、近日中に出さなければならないだろう。
「今は救命だっけ。僕が運ばれた日が初日だったんだっけ?皮肉なものだよね。でも、運命ってやつなのかな……ここは搬送が多いから大変だよね。現場に入ってみてどう?」
かなり深刻な顔をしていたのだろう……
軽い口調で徹から話を逸らしてもらうことすら、いたたまれない。
「オレは見てるか、看護師さんたちの補助しか出来ないんだけどね。ただ、忙しさはハンパないよ。だけど勉強になる。オレがここを選んだのは、ここの救命が目当てだったからね。」
「そのうちに外科にも回るんでしょ?まぁ、先生はひとりじゃないけど、児嶋先生の下についたら、僕のところにも来るのかもね。」
「…そ…そうだね……そうなると…いいね。」
児嶋医師の名前が出て、目に見えて狼狽えてしまい目線を逸らしてしまった。
今、1番出されたくない名前だ……
徹は何かを言いかけてやめる、という動きを数回した。オレ自身のことなのか、徹の病気のことなのか、この病院で何かがあったのか、判断がつかないのだろう。
病状で何かの悪い話なら今は聞きたくないだろうし、話すのはオレのするべきことではない。担当医と直接話すべきことだが、そこを想像しているのなら、それこそ的外れだ。
だが、オレの心がかなりの不安定になっているのも事実だ。これでは余計に徹に負担をかけてしまう。けれど…
「……徹……オレ、本当にあんたのこと好きなんだ。負担がかからない程度でいいから……そ、その……キス…してもいい?」
徹の耳元で小声で聞いてみる。徹は微笑みながらオレの頬を両手で挟んで引寄せた。その力の弱さに胸がチクリと痛んだ。
触れる唇は温かく、泣いてしまいそうなほど愛おしい。
一分一秒を病巣が蝕み、目の前で削られていく命を永久に喪うのが怖かった。
この温かさを、体温を、ただ、ただ、オレは護りたかった。
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