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契約と罪悪感 翔Ver.

夏が来る。 実際、現場にいるだけで、邪魔にしかならない実習生には、風当たりがきついと言われていた看護師から風のあたりも少なく、無事に過ごしてきた気がする。 以前お世話になった小児病棟の看護師長の矢橋と廊下で遭遇して挨拶をした。 「夏休みは就活?そんなのしなくても、ウチにくればいいじゃない?どこの科でも、大歓迎だけど、小児病棟じゃ、また、イケメン高宮くんが来ないのかって、盛り上がってるわよ。特に子供たちでなく奥様方が。」 そう言ってケタケタと笑う。 そう言ってもらえるのはありがたいが、この病院に実習には来ているものの、ここの病院で働く気はない。 「ありがとうございます。でも、オレは、とりあえずウチの大学の病院へ行きます。 ここへの実習の許可もそれで貰っているので、とりあえずは自大に顔を出しておかないとならないんですよ。 教授とも相談中ですが、もしかしたら、まだ、しばらくは大学の研究室に残るかもしれないですし、今はなんとも言えないですね。」 当たり障りないように、大学での立場も匂わせながら、やんわりと断りを入れた。矢橋は心底残念そうな表情をして、わざとらしいため息までついてから、 「あら、残念。高宮くんみたいな子が、ウチに来てくれたら、みんな活気付くのにね。」 「あはは……ありがとうございます。でも、お世話になってきた、どの科のDr.もナースも十分に頑張っていらっしゃって、たくさん学ばせてもらっていますよ?」 みんな、自身が身につけた知識をフル稼働させて、患者(クランケ)と向き合っていることを、目の当たりにしてきたのだから、本心でそう思っている。 「そういうところが良いのよねぇ〜。メンタル強い子は好きよ。それじゃ、この夏休みはどうするの?」 「まだ、学生ですからね。試験もありますから勉強します。あと、外科病棟に入院してる友人がいるのでプライベートで出入りはしますよ」 「たまには、ウチにも遊びに来てね。子供たちも待ってるわよ。」 そう言ってヒラヒラと手を振り去っていく。彼女はシングルマザーだと言っていた気がする。 アラフィフの貫禄を出し、誰にでも平等な態度で接する裏表のない人物だ。 そういった彼女の気質も、ここのナースたちが裏表なくサッパリしている理由かもしれない。 全ての科のナースがテキパキと仕事が出来るのも、そういう環境であるということなのかもしれない。 そういった声をかけてもらえるのは、とても恵まれたことだと思う。けれど、オレにはやりたいことがある。 医師を目指すきっかけになった医師、目標としている医師の元で学ぶこと。そして、末期ガンの患者への対処法、愛しい人を、どれだけの間、繋ぎとめておけるのか…… 本音を言えば、徹は児嶋の言った通り、余命宣告されたリミットを、すでに超えている。けれど、そのことに、安心をしてはいられない。 更にあと、どれくらいなのか、一人のデータに捕らわれる理由にはいかないのだが、徹の電子カルテをコピーしては、自宅のパソコンで、その進行状況を確認する。 『患者に感情移入をしてはいけない』 そうは言われたが、患者である前にオレにとっては愛しい人なのだ。 けれど、自分はその『愛しい人』を最悪な形で裏切り続けている。 愛しい人ではない男の腕の中で、乱れ、悦んでいる。あの時以来、好きでもない男と関係を持つことなどなかった。 けれどこれが愛しい人の命を繋ぎとめる為の最善の行為なのだろうか? それでも、『契約』は守られている。 心の中で申し訳ない気持ちが渦巻いている。 きっと、徹は何かに気付いている。けれど、 それを追求出来ずにいる。 あとどれだけの残されに時間があるか分からないが、その僅かな時間が愛しく、そのささやかな時間を護りたかった。

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