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決断 Ver.翔

「僕の意識がはっきりしてる今のうちに、翔にお願いしておきたいことがあるんだ。」 徹はそう言って一枚の紙を出した。 「今更といえば今更なんだけど、もし僕に何かあった時に、ここに書かれた人に連絡をして欲しいんだ。」 それを手渡され、悲しい気持ちになった。 オレを気遣ってストレートな言葉を選ばないのが、徹らしい。 確かに、余命宣告を受けてから八ヶ月の時が経過している。予告されていた半年はとうに過ぎているのだから、それ以前に渡されていても仕方が無いものではある。 ただ、死ぬことを前提としての会話は、やはりオレには辛いものでしかなかった。 「そんな顔しないで?本来なら、もっと早く纏めておかなければならなかったものなんだ。」 そう言って、あの優しい微笑みがオレを見つめている。名前を見ると、徹の実家だと思われる名前と電話番号。兄弟と思われる家の番号。会社の上司だと思われる番号。そして、友人と思われる名前と番号。 「最後の人、姓だけで名前書かれてないけど、この、奥山さんって、友達?」 「あぁ、高校と大学が一緒だったんだ。学部は違うけど、たまに連絡をとったりしてたんだ。先週、ここにも来てもらったから、病状も知ってるんだ。 口が悪い奴だから、翔も連絡をしたら驚くかもせれないけど、仲間内にはヤツから連絡をしてくれるだろうから、奥山が適任だと思ってね。昔から僕が一番信頼している男だから、翔の力にもなって欲しい、とも頼んであるから、」 意味深な言葉で締めくくられた言葉と、綺麗な字で書かれたそのメモがとても切なかった。 その頃から徹は少しずつだが、急激に症状が悪化したようにおかしくなっていった。 外科のステーションに飛び込んでいき、ナースにお願いしたのは、その日から3日経った頃だった。自分では冷静でいたつもりだったが、客観的に見ると、かなり焦って、余裕のない姿をみせていたようだった。 「柳田さん、薬や点滴、ちゃんと受けてますか?出来たら、飲むところまでチェックして欲しいんですけど。なんか、今までよりも、病状の進行が早いように思えるんですけど、なにか、変わったことはないですか?」 「わかりました。だけど、一人につきっきり、っていうのはできないから、出来る限りよ?そこはわかってね?」 他にもたくさんの患者を抱えてる病院なのだからそれは仕方のないことだと思う。 けれど、もうその時には徹は思いも寄らないことを児嶋に告げていた。それを聞いていた看護師が、驚いてオレにも確認しに来たのだった。 「柳田さん、薬の投与をやめたいって言ってて、高宮くんがナースステーションに来た時には投薬がストップされていた状態だったの。あの投薬で、病状は抑えてはいたけど、多少の進行があるから、もう、苦痛が出始めて辛くなってきたって。本人の意思だから、モルヒネだけに移行の方向で、って話になってるみたいなんだけど、高宮くんもそれで良いのかしら?」 ――オレも唖然とするしかなかった。 また、勝手に徹は決断してしまった。看護師にも震える声で伝えたが、 『オレには、なにもいう権利などない。』と。 ただ、何故突然、死に急ぎ出したのか?その疑問だけが胸の中で渦巻いていた。 「ごめん、なんか病院なのに不衛生だなぁ、前はこんなじゃなかったのに、なんだっけ?この虫。こんなに大量発生してるのなんて見たことないのに、気持ち悪い!!虫だらけじゃないか。翔、虫大丈夫だっけ?」 オレには見えない虫を、嫌そうな表情で腕を振って、おいはらっていた。かなりはっきりとみている幻視。 病状を抑えていた分、投薬をやめたことで、それまでの時間を取り戻すように、一気に進行した状態だ。これが見えはじめたら、もう、残された時間は少ない。 毎日の見舞いは欠かさず通った。残り少ない時間を無駄にはしたくなかった。あれだけ院内を歩いていた徹が、日々身体も動かなくなり、寝たきりになり、話すことも出来ず、こちらの言葉にうなづいたり、首を振ったり、それくらいの動きしか出来なくなるまで、一週間とかからなかった。あまりの進行の速さに心がついていけなかった。 万が一の時にあっては困ってしまうのはオレなので、例のオモチャを探したが見当たらなかった。早々に処分したらしかった。そんなことまで先手を打たれていたと思うと切なくなった。 病室に行っても、オレから話しかけては、見つめ合うだけ。この人のすべてを覚えておきたくて、率先して全身をタオルで拭きながら脳裏に焼き付ける。食べることも困難になってきた身体は、胃瘻(いろう)といって流動食を鼻から胃に通した管で栄養分を補給する、といった状態だ。日々やつれていく身体が痛々しい。 体温を感じたくてキスをしたり身体に頬を寄せる。朽ちていく愛しい人を見つめ続けるのは精神的にかなりきつかった。でも、離れたくない一心だった。一秒でも長くそばにいたかった。 けれど、これは自分の選んだ道だ。 徹の前ではゆったりと、まだまだ余裕だという表情を見せて、トイレや給湯室、我慢出来る時は家に帰ってから、ひたすら泣いた。 現実を認めたくなかった。 徹を失いたくない。神様がいるのなら、お願いします。 もう少し、もう少し………少しだけでも、長く一緒に居たい。 出来るなら、もう一度だけ、話をしたかった。 ……声が聞きたかった。

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