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柳田 馨 Ver.翔
オレの夏休みが終わる前に、徹は静かに息を引きとった。
なるべく徹のそばに居たかったオレは、出来る限り病室に居座っていた。
その日、突如、バイタルを知らせる機械が警報を鳴らした。急いでナースコールのボタンを押し、外科のナースを呼ぶと、児嶋も駆けつけてきた。
本来の徹の望みではなかったけれど、最期を看取ることが出来た。それは、オレの自己満足でしかない。
徹の手を取り、その手をオレの頬にあてながら、徹の耳元で、ゆっくりと話をした。
「オレは徹に出逢えて、すごい幸せだったよ。本当にありがとう。徹との時間はずっと宝物だよ。少し遅くなるかもしれないけど、また逢おう。また、来世でも出会いたい……」
徹は最期の力を振り絞って、うっすら微笑んだ気がした。
刹那、彼は息を飲んで、生命の機能を止めた。
心電図モニターの音が、ピーーと鳴り響き、心臓の停止を告げた。慌ただしく看護師が動き出し、聴診器片手に、児嶋も心音と呼吸音を確認した後、ペンライトで瞳孔を確認する。腕時計で時間を確認しながら、
「8月21日 午後2時28分、死亡確認。」
淡々と児嶋が医者としての仕事をこなす。
その声を他人事のように聞き流しながら、握った手を離せないまま、我慢していた涙が、涙腺が壊れたように溢れ出した。握った指先から、徐々に下がっていく体温がオレに現実を伝えていた。
なんとか徹を看取れた。最初こそ、拒絶されたことだけれど、しなければ後悔していた。
けれど、もう動くことのない徹の亡骸を見て、実感は湧いてこないのに、看護師たちがエンジェルセットでの身支度をテキパキと整えられていく徹の姿を、切ない気持ちで見続けていた。
生前、頼まれたとおり、徹が亡くなった、という連絡を、一通りの相手へ連絡をした。数時間後、義兄だという男性が、病院の霊安室に現れた。
ただ、ひたすら線香と蝋燭の火を絶やさないように、交換の度にその布を外して眠ったように死んでいる徹を見つめた。一体、あれからどれくらいの時間が経過したのかすらもわからない。時間の経過も気にせず、オレは椅子に腰掛けたまま、顔に白い布を掛けられた徹を見つめていた。
不意に霊安室のドアが開いた時は、誰が来たのかわからなかった。徹は30歳で、この世を去ったが、それよりも、15歳は年上だと思われるが、オレと同じくらいの身長で、普通の外見の男性だった。
「柳田清隆と申します。徹の姉の夫なので、徹とは義兄弟になりますが……義弟から話は聞いています。高宮くんですね。いつも義弟についていてくれてありがとう。
俺の忠告を無視して、こいつは1度別れたそうですね。辛い思いをさせてしまって本当に申し訳ない。再会をしてからは献身的に看病をしてくれたそうで、本当にありがとうございます。子供の頃から、物や人に執着をするヤツじゃなかったから、貴方の存在を知った時は驚きましたが、高宮くんと出逢ってからの人生は、とても楽しかった、と義弟は言っていました。」
遺品については、好きなものを好きなだけ持っていってください。残ったもので、身内だけの思い出の品以外はすべて処分しまうので、と言われたので、笑ってる写真数枚とよく身につけていたアクセサリー数点と、洋服、オレの名を書かれたメモリースティック、家具、家電は備え付けだが、個人的なものなど、パソコンを含めてすべて処分するとのことだったので、お願いして、ノートパソコンと携帯プリンターと遺髪と布団一式を貰った。
徹の葬式は都内で行われることになった。通夜から参列して、その日は徹の部屋に泊まり、彼のブログにピリオドを打った。こんな形でクロージングをすることになるとは思わなかったけれど。
彼の匂いのついた布団で泣きながら眠った。
翌朝、葬儀の時間より早く斎場へ入り、すでに棺の中で瞳を閉じている顔色の悪いその顔を見て、もう、優しく微笑むこともない、愛しそうに見つめてくれる瞳も、もう、開くこともない。棺の中の徹の顔をひたすら網膜に焼き付けた。もう、実体のある徹に会えるのは、これで最後だ。葬儀場に誰もいないのを確認してくちづけた。その冷たさに涙が出るほど切なくて、亡骸の徹に向かって、ただ、ただ、泣き続けた。あの暖かいぬくもりは失われてしまったのだと思うと切なくて悲しかった。
「これが、人間としての最後の姿になります」
火葬場 で、葬儀会社の人に言われて、顔の部分の窓から顔を覗き込む。切なかったけれど、無心で見送っていたつもりだった。火葬場で棺を中に入れられるのを見て、一緒に入ろうと無意識に足を進めていたらしい。
手を伸ばして向かって行って、数人の身内に止められたらしい。乱れていた。なにもわからなくなるほど。イヤだ、を連呼して追いかけようとしていたという。
オレより大きかった徹が小さなツボに収まってしまうまで、ほんの2時間あまりの時間だった。喪主でもある、姉の馨 の誘いで、一連の葬儀、荼毘、初七日法要まで参加をさせてもらえたことを不思議に思いながらも、参列させてもらった。そのあと、帰る間際、徹の姉の馨が遺骨の箱を持たせてくれた。
「抱きしめてあげてくれる?あの子、こんなに軽くなっちゃったけど、高宮くんに一番触れていて欲しいと願ってると思うのよ。それに、高宮くんが触れられるのは最期になっちゃうかもしれないから。徹もそれを望んでると思うの。闘病中、献身的についていてくれてありがとう。四十九日には埋葬してしまうけど、お墓にくる時はいつでも連絡してね。案内するし、徹の部屋も当面はそのままにしておくつもりだから。」
徹の実家は、東京からは遠い。たまに病室で会うことはあったが、親の介護や子育てをしていた姉、地元で働いている義兄が徹の見舞いに来るのは、かなり大変だということは承知していた。だから、そのことを苦に思ったことも、疑問に感じたこともなかった。
そして、馨は手のひらに乗っても小さな骨壷に少しの遺灰をわけてくれた。
「本来なら、身体を分けるのは良くないというけれど、徹が望んでる気がするから、あの子を思っている間だけで良いの。持っていてくれる?吹っ切れたら、ウチに持って来ても、送ってくれてもいいし、あの子が好きだった場所に、散骨してくれても構わないから。」
彼の姉の気持ちが嬉しかった。喜んで、泣きながら、その骨壷を抱きしめた。
そして、葬儀から2日後、徹からの手紙が届いたのだった。
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