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第6話

 さらりとした黒髪に銀縁の眼鏡。細い眉の下の物憂げな切れ長の目と、やや薄い口唇。  青葉とはタイプが違うけれど、男性はアルファ種の持つ、ある種の気高さや品の良さをそのまま閉じ込めたみたいな、とても秀麗な容貌をしていた。  この人がそうなのだと、立ち尽くして顔を凝視していると、男性がふと視線を宙に浮かせて、何かに気づいたようにわずかに口唇を震わせた。  それからぐるりと辺りを見渡し、ナオを見てスッと立ち上がる。  真っ直ぐにこちらを見る男性の目からは、ナオを何者か察している様子がありありと感じられる。やはり彼も匂いを感じ取っているのか。 (この人が、僕の「運命の番」……!)  ナオが今まで出会い、いくらかやりとりがあったアルファ種の人間は、助けてくれたバース安全局の局員や、VRで見た学校教師、保護施設の施設長などごく限られた人たちで、ほかには青葉くらいしか知らない。  だからとても不思議なのだが、目の前の男性とは初めて出会ったのに、古くからの知り合いか親しい間柄の人間のように、ナオには感じられる。まるで、ずっと昔から出会うことが決まっていたみたいだ。 「ジュピター」によって選ばれた婚姻相手を、なぜ「運命の番」と呼ぶのか。  ナオは今、それをまざまざと理解した。  懐かしさ、慕わしさ。どうしようもなく惹きつけられていくみたいな感覚。甘い匂いに包まれ、身も心も揺さぶられるようなこの感じは、まさに運命としか言いようがない。  半ば陶然となりながら、ゆっくりと奥のテーブルに近づいていくと、男性が親しげな表情を見せて訊いてきた。 「あなたが、宮城ナオさんですね」 「っ!」 「初めまして。佐野、宗孝です」  柔らかく、それでいて張りのある、優雅ですらあるテノール。  甘い匂いとともに届いた佐野の声は、うっとりするほど良い響きだった。知らず顔が火照ってきて、なんだか頭がぽーっとなってしまう。  でも子供ではないのだから、こちらも名前くらいきちんと名乗らなければ。舌がもつれそうになりながらも、ナオは言った。 「み、宮城、ナオです、はっ、初めまして」 「よくいらしてくださいました。あなたとお会いできて、とても嬉しいです」  佐野がそう言って、確かめるように訊いてくる。 「お一人でいらしたのではないですよね? 付き添いの方などは……?」 「……! 一緒です、ええと……、先生!」  歩いてきたほうを振り返って呼ぶと、青葉が軽く手を上げてこちらへやってきた。  するとどうしてか、佐野がハッと息をのんだ。 「……青葉……?」 「やあ、佐野。久しぶり」 「おまえ……、どうして!」  眼鏡の奥の切れ長の目を見開いて、佐野が驚いたようにそう言ったので、ナオは二人の顔を順に見た。もしや知り合いなのだろうか。 「びっくりさせたかな? 実は私は、彼の後見人でね」 「なんだってっ?」 「オメガの家庭養育プログラムさ。知っているだろう?」 「それはっ……、でも、なぜおまえがっ。一体何を企んでいるんだ!」  声を潜めてはいるが、佐野はひどく警戒心を覗かせている。  企むだなんて、ずいぶんと強い言葉だ。二人はどういう関係なのだろう。  なんとなくハラハラしていると、青葉が小さく首を横に振った。 「やれやれ、まるで天敵にでも会ったみたいだな。企むなんて、そんなことできるわけがないじゃないか」  呆れた口調で言いながら、青葉がナオにテーブルに着くよう促す。  座ってもいいのだろうかと、いくらか戸惑いながらも椅子に座ると、青葉がニコリと微笑んで言った。 「きみたちを引き合わせたのは『ジュピター』だよ。私たちの再会は単なる偶然さ。お互い狭い業界で働いているんだ。こういうこともあるよ」  青葉が軽くそう言っても、佐野の顔には不審そうな表情が浮かんでいる。  だが青葉がナオと並んで席に着くと、佐野も黙って腰を下ろした。  青葉がメニューを手にして、思い出したように言う。 「そういえば、おまえは確か甘いものが好きだったね。実はナオも目がなくてね。ここは何が美味い?」  青葉の気さくな問いかけに、佐野が一瞬面食らった顔をする。  けれどすぐに考えるように視線を浮かせて、真面目な顔で答えた。 「……洋梨のタルト、かな。モンブランも悪くない。いや、でもパンプキンパイも……」 「うーん、そうか。じゃあ全部いただこうか。ナオ、ほかにも食べてみたいものがあったら遠慮なく言いなさい」  青葉がナオに言って、給仕を呼ぶ。  佐野は、甘いもの好き――――。  最初から意外な共通点を見せた佐野の顔を、ナオはドキドキしながら見ていた。 「そうですか、ナオさんは海洋生物に興味が」 「本物はまだ見たことがないのですけど。海も、港くらいしか見たことがなくて」 「では、連れていって差し上げますよ。先日ダウンタウンの外れに新しい水族館ができましたし、車で首都圏を出れば、とても澄んだ綺麗な海が見られます」 「車で、ですかっ……?」  それは噂に聞くドライブというやつだろうか。  オメガのナオは、普段あまりあちこち出歩ける身分ではないので、車でどこかに出かけることなどほとんどない。青葉と暮らしている家もアップタウンで、メトロの駅が近いために、青葉が運転をする機会もない。ナオは車自体になじみが薄いのだ。  でも、佐野は仕事で車を使うことも多く、乗り慣れているらしい。そういう人もいるのだと、なんだか新鮮だ。人と出会って新しい世界が開けるというのは、とても楽しいことだと改めて思う。  佐野おすすめのケーキと温かい紅茶をいただきながら、ナオは佐野と簡単な自己紹介をし合ったあと、互いの趣味や興味を持っていることなどについて、ざっくばらんに話をしている。  佐野は地方の出身で、青葉とは大学の医学部時代の友人同士だそうだ。  医師免許も持っていて、バース安全局には医系技官として入局したらしい。医師になるよりも、三つの種が共存する社会における公衆衛生や生活の安全性を高めるために力を尽くしたいと、そう考えて公務員になったのだという。  かなり多忙で、夜遅くまで庁舎に残って働くことも多いらしいが、仕事には誇りを持っており、日々充実しているようだ。 (とても、ちゃんとした感じの人だな)  青葉はどこか飄々としていて、ときどきとらえどころがない人だと感じることがあるが、佐野は至って真面目で、とても勤勉そうだ。また、物静かな見た目に反してアウトドア派で、休暇には登山や旅行に行くこともあるそうで、ナオもどうかと誘われている。

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