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第62話
「悠星ここに来ていいの?」
「…亮介先輩になだめて来いって言われた」
「あいつ…」
はははと苦笑した雅樹が、改めて悠星に向き直る。
「…頭に血が上った。あと、お前に嫌な思いをさせた。ごめん」
ぐっと頭を下げた雅樹に、悠星は慌てて彼の肩を掴んで顔を上げさせた。
「もういいから!つーか雅樹のせいじゃないだろ!」
悠星と雅樹の視線が絡む。こんなまじまじと彼の顔を見たのはいつぶりだろうか。雅樹の顔をじっと見ていると、不意に手首をそっと取られる。茶髪の男に触られた時はあんなに不快だったのに、今は触れられた手首が熱い。
…雅樹がそっと手首へキスをした。
ドクン…!と、心臓が高鳴って、一気に体が熱くなる。手首から心音が伝わっていきそうで手を引っ込めようとした時、雅樹と視線が交差した。こちらの何もかもを見透かすような彼の瞳からどうしても目が離せない。雅樹と出会ってから自分の事がどんどん分からなくなるばかりだ。…いい意味でも悪い意味でも。
時間にして僅か数秒の出来事だったのだろうが、ひどく長い時間の流れを感じた。
雅樹がゆっくりと手を離し、椅子から立ち上がる。
「じゃあ俺は怒られてくるから先行くよ。…来てくれてありがとな」
くしゃ、と頭を撫でて、雅樹はスタッフルームを後にした。
…その後ろ姿を見て、今度は悠星が机に伏せるのだった。
何とか無事に一日目を終え、辰正の家で焼肉をたらふく食べ、悠星が風呂から上がった時のこと。
ふと、翔太が指摘した”キスマーク”の事を思い出した。恐る恐る洗面台の鏡で見てみると、ギリギリ髪の毛で隠れきれない場所に一つの赤い跡が残っていた。しかもまだ付けられたばかりのもののようだった。
「深月か…」
ため息をつきながら首元を抑える。と言うことはあのパーカーも深月が仕込んだのか。…薄々気づいてはいたが、そのパーカーに助けられたとは素直に思いたくなかった。そもそもこんな余計な事をしなければ必要無かったのだから。
しかし、深月はこんなに独占欲が強い方だっただろうか。来る者拒まず、去る者追わずの深月だから自分を側に置いてくれていると悠星は思っていたのだが…。これも、深月の家に行くようになってから。…悠星が高校に入ってから。雅樹と再会してからより顕著になった気がする。
ぼんやりとそんな事を考えていると、脱衣所の扉がガチャリと開いた。
慌てて首元を抑えて振り返ると、そこには着替えを持った雅樹が立っていた。
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