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第78話

深月の家に着くと、彼は冷たい麦茶を出してくれた。いくら車の中や家の中が冷房で涼しくなっていたとはいえ、まだまだ残暑が厳しい時期はそう簡単には終わらない。 口に含んだそばから染みわたる涼しさに、悠星は一気に麦茶を飲み干した。 「あー!めっちゃ美味い!」 まるでお酒でも飲んだかのような口ぶりに、深月はくくっと笑って自分も麦茶を飲み干した。 「だな。外は相変わらず暑かったし…」 ぱたぱたと服で風邪を送りながら、深月は椅子に座った。 「んで、どうだった?」 もう一杯麦茶を注ごうとしていた悠星の手ははたと止まる。 「どうって、何が?」 注ぎ終わりを見失った麦茶はどんどんコップへ注がれていく。しかし深月によってお茶は零れずに終わった。 「旅行だよ。楽しくなかったのか?」 「いや、楽しかったけど…」 一体何と答えるのが正解なのか。確かにものすごく充実した3日間だったし色々やれて楽しかった。ただ、深月に雅樹との思い出を語るのが何となく|躊躇《ため》らわれたのだ。 自分だけのものにしておきたいとか、そういう独占欲ではなく。 雅樹から離れたいと思っているくせに、今の関係に甘んじている自分の弱さをこれ以上自覚したくないという身勝手さで―――――…… 胸の内の決まりの悪さから逃れるように、悠星は注がれすぎたお茶へ慎重に口をつける。 そんな悠星の心情を知ってか知らずか、深月はニヤリとしながら悠星に問いかけた。 「キスマ。バレた?」 ゴフッッッ!!! なん、………とか噴き出す事だけは逃れた悠星は、盛大にむせた。むせすぎて涙が出てくるくらいに思い切りむせた。 いや、まじで、俺エラい……!! 必死に呼吸を整えながら自画自賛している悠星の正面では、深月が満足げにこちらを見つめていた。 「深月……!…ごほっ、ごほ」 「悪ぃ悪ぃ、大丈夫か?」 「大丈夫じゃねぇ……!」 キッと深月を睨みつけるが、その表情が変わることはない。しかし、息が落ち着いてきた頃にもう一度お茶を差し出してくれた。 自分から狙ってやって来たくせにこういう所腹立つ……!! 彼の優しさに納得がいかないながらも、差し出されたお茶を今度はゆっくり飲む。わざと大げさに深く息を吐き、ようやく落ち着いた。 「深月ほんと…、タイミング考えろよ…!」 「あんなに動揺するとは思わなかったし。誰にバレたの?」 「………」 言わなきゃダメかそれ。 じと、と深月を見るが、相変わらず楽しそうな表情を隠さない。これは言うまで終わらないか…と腹をくくった悠星は、彼から顔を背けながら小さく呟いた。 「…翔太と雅樹」 「…へぇ、てっきり雅樹クンだけかと思ってた」 「さ、最初に気付いてくれたのが翔太だったんだよ!彼女いるのかって疑われたんだからな!」 「いーじゃん俺"彼氏"みたいなもんなんだろ?」 「そ…れは電話の時の冗談だろ…!」 無駄に"彼氏"という言葉に反応してしまった悠星を、深月はフッと笑って見つめてきた。 先程とは違う、色が濃くなった瞳に自然と縫い留められる。目を逸らすことも許されず、段々と内側から熱が上がってくるカラダを見透かされているようで、羞恥に眉が寄せられる。 「…そんな顔すんなよ」 その言葉と共に、深月の手がするりと悠星の頬を滑る。 は…と小さく息を吐いた時、ちゅっと優しくキスされた。 「なあ悠星…俺ずっと待ってたろ?」 「……っ」 「ゴホウビ、くれるよな」 この、熱い視線から、求めてくれる声色から、誰が逃れられるのか。 悠星が小さく頷いたのを合図に、深月は深くキスをした。

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