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●犬のさんぽ。

「こらっ、アキちゃん! 起きなさいったら」  上掛けを剥いても剥いても兄が出てこないので、母はむきーっと金切声を上げ、知玄(とものり)は笑ってしまった。兄は掛布団の下にもう一枚掛布団、お気に入りのふかふかの毛布、知玄がバレンタインデーにプレゼントした毛布、そして知玄の「ターボレンジャー」柄のタオルケットを頭から被って寝ていた。 「るせぇ。日曜ぐらい、昼まで寝かせろよ」  ついに掛け物を全部剥がれ、兄は文句を言いながらも起きた。 「春絵(はるえ)叔母さんが、犬の散歩をしてくれないかって」 「えぇ」  散歩係の智也が足を捻挫したらしい。そして、力の強い大型犬「サイトウくん」とやんちゃな幼犬「花六(はなろく)」を連れて歩くのは春絵叔母さんには無理だそうで、兄に散歩の代行を頼みたいという。無闇に断ると後が面倒臭いと言い、兄はもそもそと服を着替えた。 「お前まで着いてこなくてもいいのに」  兄はあくびまじりに言った。晴れているが、真冬のように厳しい寒さ。春眠暁を覚えずというにはまだ早いのに、兄は立ったままでも眠れそうだと言うから、知玄は心配で着いてきたのだ。  まだ丈の低い苗が生い茂る麦畑の間の農道を、二人と二匹でのんびり歩く。犬たちは思ったよりも兄に従順で、知玄に対しても無駄に吠えてこない。時々、サイトウくんは花六にちょっかいを出す。花六が油断している隙をついては後肢で立ち、花六の腰に前肢をかけて乗ろうとする。その度に花六は「キャン!」と果敢に吼え、サイトウくんに対し牙を剥き、威嚇する。サイトウくんは「すみませんでした」と言っているのがありありと分かる表情で後ずさる。だが二匹の仲直りは早い。すぐに鼻と鼻を突き合わせて舐め合い、上げたしっぽをピピピピピと振る。 「ふん、『まだおあずけよ』だとさ。人間よりもしっかりしてら」 「んー」  何気ない兄の一言が、ちょっと当てこすりのように聞こえてしまう。知玄よりも、犬のサイトウくんの方が「待て」が出来るのだと。兄の首に巻かれたマフラーの下には、知玄が(かじ)りついて出来た傷が痣になって残っている。元は小さな痕だったそれは、最近になって急速に拡大し、まるで血で描いた花のようになっていた。 『もしかして、僕はお兄さんに何か悪い病気を移してしまったのでは?』  知玄は内心、不安で仕方がない。感染源が自分自身ならば、まず自分が病院へ行き検査を受ければ、兄に移してしまったものが何なのか、分かるはずだ。だがそうする勇気が、どうしても湧かなかった。 「何?」 「いえ……」  つい、兄の横顔を凝視していた。なんとか他に話題を探さなければ。 「お兄さん、この二匹はαとΩだって、前に誓二(せいじ)さんが言ってましたよね」 「ん? あぁ。それが?」 「αとΩの特別な繋がりのことも、番って言うんでしょ」 「そうだな」 「もしかしてお兄さんがよく僕に言う番って、そういう意味なんですか?」  さっと、兄の顔色が変わった。

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