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◯Ωには節操がない。

 感傷の下に塗り潰していたものを不意に突き付けられて、ひやっとした。 「知玄(とものり)……!」  素で気付かなかった。いつの間にか背中を知玄の体温が覆っていた。怖い。αが……いや違う、Ω(おれ)の業の深さが。どうして気を弛めた? 本当は無意識に、入って欲しかったじゃないのか、俺の領域に。あんなことがあった昨日の今日で、俺は一体何を欲しがっている?  さっき、カシャンと音がした。部屋の内鍵の下りる音だ。親父やお袋にバレないようにか。  壁を向いて寝ていたのを、無理と仰向けにされる。俺を見下ろした知玄が途端に狼狽えだす。俺、今どんな顔してるんだろう。 「あっ、ああ! ごめんなさい、そんなつもりではなくて」  知玄は俺を腕の中に抱き込んで、宥めるように背中をトントン叩いた。胸の奥で心臓が嫌な感じに速く鼓動を打つ。こんなに密着していたら、知玄に聴こえてしまう。 「ごめんなさい、驚かせてしまいましたよね。本当にそんなつもりじゃないんです。襲ったりとかしませんから。ごめんなさい、ごめんなさい」  ふわふわの癖毛が、頬や首筋に当たる。 「いや、お前が落ち着け」  俺は何とか言葉を絞り出した。  少し経ってから、知玄は言った。 「お腹が痛いのかなと思って」  あぁ、つい癖で、手を腹に当てたまま、うたた寝をしていた。病院からおチビを連れ帰ったら、どっと疲れが出て。展開が速い。一日が長い。昨日の今頃はここにまだおチビはいたのに、どうして……って思ってるうちに寝入っていたんだな。 「ねぇ、お兄さん」 「何?」 「僕……僕は……あ、やっぱりいいです。何でもありません」 「お前、誓二さんから何か言われたろ」  じっと知玄を見ると、知玄は目を逸らしはしなかったが、へらっと、どこか疲れたような顔で笑った。やっぱ言われてんじゃん。ま、泣き付いて来ないんだから、我慢出来る程度のことなのかな。 「お兄さん」 「何?」 「赤ちゃんが出来たのが分かった時、どう思いました?」  あー、最初は驚いたし、ぶっちゃけおろした方がいいのかと思った。でもさ、病院でエコー見せられて、小さい心臓がピコピコ動いてるのを見た時……、 「なんかもうどうでもいいやって思ったよな。俺の中の拘りとか迷いとか全部、棄ててさ。そんでコイツを生かしてやろうと思った。だって、すげー頑張って生きてるし」  エコーって結構赤ん坊の色んな姿が見えて。短い手足を踊ってるみたいに動かしたり、よっこらせって、おっさんみたいな寝返りしたり。そういう姿見ちゃったら、もう、生きるのを邪魔する気、なくなるじゃん。 「あはは、本当なんですね。お兄さんは『単に生き物が好きだから、きっと赤ちゃんをお腹の中で育てるのも楽しんでたよ』って」  誓二さんに言われたのってそれか。むかつくけど、その通りだ。だからきっと、俺は知玄の側にいたら、何度でも同じことをしてしまうだろう。  離れなきゃ、ダメなんだ……。

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