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1章 第3話

「須賀。これ準備室運んで」  入学してひと月経った。  俺も世良も、三月四月は入寮準備やらなんやらで忙しくて、結構バタついた日々を送っていたが、学園生活にも少し慣れ始めて落ち着いてきている。  学園に来るにあたって、いくつかの決まりごとがある。世良と交わしたそれは、俺がこの学園の特殊な一面で傷付かないように守るためだった。  一つは、お互いの関係は公にしないこと。世良のスペックを考えて、決まったこれには理由がある。まず、この学園、顔のいい、特にアルファには親衛隊が付くらしい。親衛隊というのは所謂過激なファンクラブのようなものだ。ちなみに恋愛対象はバース性関係なく、男性同士。  このことから、世良とは意味なく過度な接触をしない方が身のためだということになった。  それから、もう一つ。これは、世良からのアドバイスなのだが、プラチナブロンドの髪と翠色の瞳は隠すことになった。毎朝丁寧にお湯で落ちるカラースプレーで染めている。美容院で染めると言ったが、世良が「折角きれないんだから染めるな」と言ったので、致し方なくこの対処に落ち着いた。ちなみに目はカラーコンタクトの黒色だ。 必要以上に目立つのはよくないというのは分かる。プラチナブロンドの髪なんて目立って仕方ないだろう。  あと、何故か黒縁の眼鏡を渡された。少しでも美人な顔が隠れるようにと言われたが、正直俺はそんな美人ってわけではないと思う。 「毎度毎度呼び出すのに物を運ばせる必要はあるんですか?」  そこに置いといてくれと言われて机に乗せたのは授業に使ったプロジェクター機材である。  この学園はノートの提出などは基本的には行わず、書き取りはあくまで個人の自由。一人一台のパソコンで授業を受けるので提出物の回収もプリントの配布、回収もパソコンでするのだが、世良はいちいち呼び出しの理由付けに何かしら運ばせたがる。  あ、ちなみに世良が俺を頻繁に呼び出しても問題がないのは、俺が文芸部に所属していて世良がその顧問だからだ。かわいい部員を顎でこき使っていると思われているらしい。自分で言った約束を早速忘れたのかと思って初めはめちゃくちゃ焦ったがあまりにも周りが普通だったので、そんなものかと落ち着いた。  ふう、とため息を吐いて世良を見ると、彼は大きく伸びをしてコーヒーと紅茶を入れ始めた。  一年の国語の準備室は世良にあてがわれているため、私物で溢れているし、それを整理しているのは俺だ。 「真澄―。五月に編入生がくんぞ。クラスはSだが、多分お前の同室になんだろ。気を付けろ」 「……急だな」  つい敬語を忘れていつもの口調に戻ってしまう。眉をしかめて世良を見ると理事長の甥っ子だからな。と世良は欠伸をしながら答えた。 「大方問題でも起こして泣きついたんだろうよ。あの人は甥に甘いらしいし、仕方ねーよ」  めんどくせーとぼやきながらカップにお湯を注ぐ世良の横顔を見て、なるほどと納得する。 しかし入学式で見た理事長の姿を思い出すに、厳格そうな紳士といったイメージだったのだが、いやはや人は見かけによらないな。 「で、話はそれだけですか? 世良先生」 「つれねえ態度はよせよ。鍵なら閉めてる。紅茶でも飲んでゆっくりしてけよ」  頭をぽんぽんと撫でられてなんだか照れ臭くなり、俺は黙って準備室にあるパイプ椅子に腰かけた。世良が入れる紅茶は少し苦くて、なんだか安心する。 「困ったらいつでも来いよ。真澄」 「わかってる。あんたも、うっかり生徒の項噛んで退職になったりすんなよ」 「っは、ねーよ」  そんなことはないとわかっていながらつい憎まれ口を叩いた。  世良がオメガの項をそう易々と噛むような男じゃないというのは、もうこの数か月でしっかりと理解っていた。世良は、理性ある大人だと思う。きっと、この世界で今まであった中の誰よりも。  どうして俺なんかにここまでしてくれるのか、ちゃんとした理由は教えてくれないけど、世良はこの世界で一番、信頼できる相手だった。それは、教師と生徒という関係になった今でも変わらない。  失礼しました。と言って準備室のドアを閉める。国語準備室の前は人通りは少ないがどこで誰が見ているかはわからないのでしっかり気を引き締める。  編入生の話はおそらく一部の生徒、つまり生徒会や風紀委員くらいは知っているだろう。  しばらくしたらどこかからか聞きつけた生徒が噂話として広めるんだろうな。 「お帰り、須賀」 「おかえりなさい。須賀くん」 「おかえり~ますみん」  教室に戻ると三人の生徒がこちらを見て声を掛けてくる。俺は手を上げてそれに応える。  顏を赤らめて俺とは目を合わせてくれない我妻悠貴(がさいゆうき)は顔を背けたまま、遅かったねと言った。なんかしらないが、恥ずかしくて顔を合わせられないらしい。  時間を見ると昼休みが終わる五分前だった。準備室に長居しすぎたな。 「ご飯食べる時間、無くなっちゃったね」  少し残念そうな顔で希代頼人(きだいよりと)はこちらにミルクティーを差し出す。受け取って、大丈夫だと答えれば食べたのか問われるが「そもそもお腹がすいてない」と答えると三人は揃って不服そうな顔をした。 「須賀はもっと自分を大切にしろよ」  そういうのは田島伊久(たじまいく)。クラスの中でも運動神経抜群の好青年だ。噂によれば親衛隊もいるらしいが、かなり温厚なタイプらしく、彼の恋を応援しているとか。 その好きな相手というのが、我妻だったりするのは周知の事実だったりする。我妻自身は気づいてなさそうだが。哀れ、田島。  自分の席の方に行って次の授業の準備をしながら、三人と他愛もない会話を楽しむ。相も変わらず我妻だけは赤面した顔をこちらに向けてはくれなかったが。 ***  放課後、俺が向かったのは別校舎にある文芸部の部室だった。  文芸部に入った理由は、何も世良が文芸部顧問だからというわけではない。それもあるにはあるが、純粋に、そもそも元の世界から本が好きだ。いつだって本が与えてくれる知識や世界は新鮮で、心地いいものばかりだったから。 「こんにちは。八尋先輩います?」  部室のドアを開けて声を掛けると、黒髪の美しい青年が原稿用紙に落としていた目線をこちらに向けた。俺の姿を確認するとにこりと笑んで、こんにちはと答えた後、ペンを机に置く。 「八尋(やひろ)はもうすぐしたら来ると思うよ。今日は、希代くんは一緒じゃないんだね」 「頼人は今日用事があるとかで来ないそうです」 「そう。座って、お茶を入れるよ。ダージリンでいいかな?」  綺麗な笑みで椅子から立ち上がって部室の奥にある給湯室に入っていくのは、志波勇矢(しばゆうや)。三年生で、文芸部の部長をしている。美人な見た目も相まって、親衛隊がいるらしいが、その姿が表立って見られたことは一度もない。真の意味で、陰ながら応援していると言ったところか。  礼を言って、席に着く。少ししたら志波がお盆に紅茶と菓子を乗せて戻ってきた。丁度そのタイミングで八尋こと、川谷八尋(かわたにやひろ)がドアを開けて入ってきた。 「真澄くんじゃないか。こんにちは」 「こんにちは、八尋先輩」  にこやかな笑顔の川谷に挨拶をしてカバンから本を取り出す。それは、川谷に勧められて読んでいた川谷の所有している本だ。原文は英語らしいが、少し難しいので日本語訳されている物を借りた。  礼を言って本を差し出す。感想を問う川谷に、簡潔に面白かったことを伝えて、もう一冊の本を鞄から取り出す。 「これ、八尋先輩に。面白いのでどうぞ」 「貸してくれるんだね。ありがとう」  本を受け取って柔らかな笑みを浮かべる川谷と、それを見守る志波と、俺の三人でお茶を飲みながらそれぞれの活動に入る。  川谷は五月にある詩のコンクールへの作品の、志波は書き途中の小説の執筆だ。  ちなみに俺は本を読んでいる。一年は自由活動なので、俺は世良に言われた感想文を書こうと課題図書を読みふけっていた。頼人は活動実績があるので、顔を出すたびに悲鳴を上げながら原稿用紙とにらめっこしている。その時の悲鳴がまた面白いのだがそれは割愛しよう。  このなんとも言い難い静かな空間が、部活動という感じがして、俺は好きだった。

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