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1章 第8話
部活を終えて寮に帰るかとカバンを整理して部室を出たところで、近くの教室が騒がしいことに気が付いた。文芸部付近の部活は今日はもう部活を終えて寮に帰っているはずだからこの付近に生徒はいないはずだ。
制裁かなんかだろうか。そう考えて巻き込まれたくないが見過ごす訳にもな、と息を吐く。スマホを出して時間を確認すると、十八時五十一分だった。この付近の風紀のパトロール時間はもう終わっているので連絡して来て貰わないといけなさそうだ。生徒は風紀室の番号をスマホに登録するのを義務付けられているので、何かあればすぐに通報が可能だ。
とはいえ、俺は風紀の電話番号なんて面倒なので登録していない。義務とはなんぞや精神でいたことを少し呪いながら、こそこそと歩き出して別棟にある風紀委員室に向かおうと思ったところで、ガラリと前方の教室のドアが開く。
悔しまぎれの言葉を放つチワワ二人組と気絶した体格のいい男を支えて逃げていくこれまた体格のいい男。
なんだあれはと見送った後、その教室を覗く。
「………須賀、くん?」
中にいたのは金髪の美少年。頬を赤く腫らせ、口端を少し切っている彼はこちらを驚いたような目で見ている。不可思議なことに、彼との面識は俺の記憶している限りでは全くと言っていいほどに無い。
俺の名前を呼んだその人に近付いてとりあえず黒色のハンカチを差し出す。差し出されたそれをじっと見て彼は小さく礼を言うと、恐る恐る受け取り、傷口に当てた。
「制裁、ですか?」
「ああ……うん。まあ、そんなとこ。須賀くんは部活帰り?」
「そうですけど……どうして俺の名前を?」
綺麗な笑顔でふわりと微笑む彼に頷いて先ほどから気になっていた疑問をぶつける。あーと少し歯切れの悪い言葉を口にして少し悩んだ素振りを見せた後、照れたように笑う。
「ずっと、見ているからね」
「鈴木 ?」
美少年が言い切る直前、俺の背後から遮るようなタイミングで聞きなれた声がした。振り返ると、志波が川谷を連れて歩いてきている。部活を終えて戸締りをした二人が気付いて声を掛けてきたというところだろうか。
志波はこの鈴木と呼ばれた美少年と面識があるのか、親しげな様子で手を上げて挨拶をしている。そういえば、美少年のネクタイは三年生のものである緑色だ。
「また呼び出されたの? 懲りないね、親衛隊の子らも。鈴木もほどほどにしておきなよ」
「学習しないところを見るとチワワというより猿だよ、まったく」
この空間の顔面偏差値が高いな。なんてことをぼんやりと考えながら、やはり先ほどの四人は親衛隊の人間とそれに連れて来られた腕っぷしの強い奴らかと納得する。おそらくこの人はそのうちの一人を伸して、たった一人で全員返り討ちにしただろう。人は見かけによらないな、と、感心して顔をじっと見ていると彼がそれに気が付いてにこりと笑う。
「そういえば僕の名前を名乗ってなかったね、初めまして。僕は鈴木紘 、三年A組だよ。よろしく」
「あ、はい。須賀です。一年B組です」
「ふふ、知ってるよ。ああ、このハンカチ、洗って返すね」
そう言った鈴木に、志波がまだ名乗っていなかったのかという視線を向ける。その視線を意に介せず俺に微笑みかけて鈴木は俺のハンカチを自分のポケットにしまいこんだ。
綺麗な癖毛の金髪がふわふわと揺れる。百六十くらいの身長から微かに金木犀の匂いが鼻先をかすめた。
風紀に報告に行くかと聞くと別に未遂だから構わない、と鈴木が慣れた口調で答える。困って志波に視線を投げると、志波もうんうんと頷いていたので、結局風紀には報告を入れることはなかった。
川谷がお腹すいたねと一言口にしたのをきっかけに、俺たち四人は寮の食堂へと足を向ける。鈴木が本当に一緒してもいいのかと問うので、是非、と答えると、うれしそうな笑顔で笑うので、今日一日荒んでいた俺の心が癒されていくのを感じた。
そんな訳で、俺は美人な先輩三人と寮の食堂に来た。本当に驚くくらい顔面の偏差値が高い。
「なんか林と話していたのが気に食わなかったんだって。前もおんなじ理由で呼び出されたけど、興味ないんだよね。彼のこと、クラスメイトとしか見ていないし」
「ふふ、林のトコは熱心だからね」
「迷惑だよ。本当に」
鈴木が呼び出されていた理由を志波に話すと志波が苦笑する。ふんっと鼻を鳴らして鈴木が夜のみ五十食限定のステーキ定食を口に運ぶ。俺はというと右隣の川谷から唐揚げを守っている。唐揚げは川谷の大好物だ。
鈴木は、ベータだけれど、端整な顔立ちをしているからか、結構目を引くようで、密かに隠れファンが多い川谷や、文化部の美人どころである志波がいるのも相まって、今この空間はすごく視線を集めていた。三人は慣れているのか気にせず話を続けている。
「それにしても林は自分の親衛隊員に言わないんだね、紘くんは関係ないからやめてくれーとか言えばいいのにね」
そう言ったのは川谷である。それに鈴木はうんうんと頷くが、まあと前置きを置いて言葉を続ける。この空気の中でまだ俺の唐揚げを狙う川谷の今日の晩御飯も、唐揚げ定食なのは触れないでおこう。
「彼も彼でいろいろあるんだろうね。仕方ないよ」
「仕方ないって……ベータとはいえいつでも万全に対処できるわけじゃないよ、鈴木」
「そうだよ。紘くんが強いとはいえなにかあったら大変だよ、ね! 真澄くん」
「え、あ………そうですよ。気を付けてくださいね、鈴木先輩」
急に川谷が俺に話を振るので少しばかり慌てる。その隙に唐揚げを取られたがもう諦めて追加で残り二つも押し付けておいた。
俺が川谷の皿から視線を上げて鈴木に言葉を投げると彼はふんわりと微笑んで「じゃあ、気を付ける」と笑う。
その時だ。ふと、食堂の入り口が騒がしくなる。これはまずいのではないか、と俺はちらりと視線だけを入り口付近に向ける。
そこには編入生、狩野と生徒会会長の原田、副会長の湊、書記の唯川、双子の補佐青井 兄弟が居た。
「生徒会の皆さんお揃いで」
ポツリと川谷が呟く。全く同じ感想をここにいる残り三人は浮かべていただろう。
俺たちが座っているところは入り口から結構距離がある奥の方の席で、恐らく彼らには見えない位置だ。それでもわりと大きめの声の狩野はここまで聞こえてくる。
「ほんとに広いよなー!! この食堂!!」
「雅貴、何食べますか?」
「真澄部屋に帰ってきてなかったんだよなー!! 飯、来てんのかな!!」
何故俺を探すんだ。気のせいなのか、いや気のせいじゃない。三人の視線が俺に刺さっている。会長も双子補佐も真澄って誰だという顔をしてる。副会長と書記は一度会っているので、顔を思い出しているようだ。
俺は視線を外してご飯を食べる手を再開する。早く食べてさっさと部屋に戻って風呂に入ろう。鈴木も川谷も志波も食事の手を再開する。
狩野たちは俺を見つけられずそのまま役員専用の二階へと上がっていった。
「あれが噂の編入生くんだね」
さっさと食べ終えた志波が口をナプキンで拭きながら言う。そういえば三人は会う機会が中々なかったのか。と思ってこくりと頷く。
ちらりと志波から向けられた目線がぶつかる。
「気に入られたのかな?」
「……みたいですね」
最後の一口を食べ終えて、俺も口を拭こうと紙ナプキンに手を伸ばした時、そう聞かれた。何故かはわからないと言えば志波が大変だねと苦笑する。
隣の川谷とその向かいの鈴木が食べ終えたのを見て、すっと立ち上がって食堂を出る。寮のエレベーターで三人と別れると俺は自分の寮部屋のカギを開けて中に入った。
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