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1章 第13話
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騒がしさに目を覚ますと、俺は保健室のベッドの上にいた。小一時間ほど眠っていたようで、枕もとで点灯したスマホを見ると時刻は鬼ごっこ終了予定時刻からだいぶ過ぎていた。
ずきりと傷む頭を軽く手で押さえて体を起こす。
カーテンの向こう側では何人かが話しているようでその声に覚えしかない俺は、さらに増した頭痛を抱えベッドから両足を下ろし、サイドテーブルに置いてある眼鏡を掛けて、座ったままカーテンを開いた。
向こう側で話していた頼人と狩野だけじゃない、俺が予想していた人数より多い顔がこちらを見る。俺はきょとんとして頼人に説明を求めようと視線をやった。
「ますみ~ん! 目、覚めた? 体調大丈夫?」
「真澄!! やっと起きたのか!! 体は大丈夫か!?」
二人は同じような反応をして俺に抱き着いてくる。まるで何日も目覚めなかったかのような反応をしてくれるなよ、という意味を込めてその体を軽く叩く。
頼人と狩野以外のメンツを見ると、生徒会の会長、原田浩一と書記の唯川桔平。それからつい数時間前に会った風紀委員長の槙と、副委員長の山本緑 、そして、担任だから当然か、世良が立っている。
なんでこんなに多いんだと世良に視線を送ると、奴はにやりと笑った。仕方なく息を吐く。
「大丈夫、どこも異常はないよ」
よかったと目に見えて安心する二人にふっと微笑んでやる。その様子を、腕を組んで見守っていた槙が、つかつかと近づいてきて俺の額に手を当てた。
「熱はねえな。体温も落ち着いているなら大丈夫そうだ」
「君がヒートを起こしているのを、近くに居た世良先生が発見して保健室まで運んで下さったんだよ。自分で薬を飲んでいたらしいけど、身体に異常はないかい?」
槙の言葉の後に続けたのは風紀の副委員長の山本である。
彼はこちらへ近づいてくるとベッドに腰かけた俺の視線に合わせて片膝を立てた。
長い髪を一つに縛って、陶器のような白い肌に綺麗な顔をしている彼は丁寧な言葉使いも相まって、非常に上品な生徒のように感じた。山本の質問に異常がないことを伝えると彼はこくりと頷いて、では、と立ちあがる。
「報告書にはそのように。いいね、委員長」
「ああ」
にっこりと笑んで山本は保健室を出ていく。不思議と嫌な感じはしないその態度の良さに、俺は今日一日のストレスが緩和されたような気がした。
感動に身を震わせていると、狩野が「あっ」と声を上げるのでそちらへと視線をうつす。生徒会長と書記という凄まじいビッグゲストの手を掴んで狩野は俺の方へ彼らを引っ張ってくる。
「紹介するな! 俺の友達になった浩一と桔平だ!」
にっかりと笑う狩野に頭痛が増した気がする。部屋の隅で世良が肩を震わせて笑いをかみ殺していた。頼人に至っては萌えイベントと何かの間で葛藤しているようだ。
俺は紹介も何もその二人は生徒会役員だしなあという気持ちを隠しもしないでじっと狩野を見る。
その瞳に何を勘違いしたのか、狩野は威張るように胸を張った後、仲良くしてやってくれよなと笑った。
―その人たちは生徒会の人だから、関わり合いたくはないんだけど。
ぼうっとした目でじっと原田に視線を移すと、ばちりと目線があった瞬間にばっと逸らされた。なんだこいつと思っていたところで、隣の唯川が口を開く。
「君が、須賀真澄……」
呟かれた言葉にそうですけどとしか言いようがない。何を思ったのか唯川は澄んだその碧い瞳でじっと俺を見つめて何か思案した後、こう続けた。
「百合が、追いかけまわして……カード、手に入れてた子」
それを聞いた俺の絶望という感情は計り知れないだろう。この中の誰が俺に代わってこの感情を受け止めてくれるだろうか。思い返せば俺は百合から逃れたい一心であいつにカードを押し付けたような気がする。
今になって後悔は先には立たない。心中で頭を抱える。
世良に救われたからそれ以上のことはなかったにしろ、ヒートを起こした代償は大きい。
まあ、二年が買収されていなければ、そもそもこんなこともならなかったんだけど。そう俺はこっそりとため息を吐いた。
ゲームでカードを渡してしまった以上、今更どうしようもないということは分かっている。しかしこの先どうしたものか。
そもそも百合の願いがなんなのかわからない。一応、叶えられる範囲内という規定が決まっているらしいが果たして彼のお願いというものはどのレベルなのか。考えたところで答えは出るわけないんだが。
「本当に、綺麗な顔、してる」
まじまじとこちらを見ていた唯川がぼそりとそう呟いた。
整った顔立ちの唯川の澄んだ碧い瞳が俺を射抜く。じっと見られていることに自然と体が緊張して強張った。
俺が興味津々とばかりに見つめてくる唯川になんと返せばいいか悩んでいると、ずいっと顔の前にマグカップが差し出される。
マグカップの持ち主へと視線を辿るとにやにやと笑みを浮かべた世良がいつの間にかすぐそばに立っていた。受け取って中のお茶をこくりと一口飲む。
以前聞いた話だと、保健室を我が物顔で歩き回る世良が言うには、養護教諭は世良の後輩で、彼は世良に強く言えないとかなんとか。世良の横暴な態度を想像して俺は数度しかあったことのない養護教諭にご愁傷様と心の中で唱えてお茶を飲み干す。
その様子を見ていた世良が、俺の頭をわしゃわしゃとかき混ぜて立ち上がって言う。
「おい、お前ら。そろそろ寮に戻れ。ほれ、邪魔邪魔。そろそろ後片付けも終わるだろう。須賀は俺が送るから。さ、散った散った」
俺以外の全員を立たせて、ぶーぶー文句を言う狩野と頼人を無視して無理矢理保健室の外へと追い出した後、ピシャリと扉が締め切られる。
頼人がまだ外でぶつくさ文句を言っていたがしばらくするとそれも静かになった。
全員が去った頃合いを見て世良が扉の外を開け、誰もいないことを確認してから再び扉を閉めて今度は鍵を掛ける。
俺の元へとやってきて、すぐそばの椅子に腰を下ろし腕を組んだ。
「体調は?」
「ああ、もう平気だ。ありがとう世良。心配かけたな。助けてくれてサンキュ」
「本当にお前は…………はー……、心配かけさせやがって」
心臓止まるかと思ったぞ。そう言って世良が俺の頭を優しく撫でる。俺はなんだか照れ臭くなって目を逸らした。
「嫌な予感がして探しに行って正解だったな」
ニッと笑って立ち上がると養護教諭の机を漁り始めた世良に首を傾げる。この辺だったはずなんだがな、と引き出しを漁っている姿は生徒の手本となるべき教師の姿ではない。
あったあった。と取り出したのは二本の棒付きキャンデーだ。
「佐藤がタバコやめんのに飴に置き換えてるつってたからな。俺も、流石にここじゃ吸えねーし、代わりにな」
佐藤とは養護教諭の名前だ。おまえの分。と言われて差し出されたストロベリーミルク味の飴を俺は口に放り込む。
甘い味が口の中に広がる。世良を見ると「あめえ」とだけ呟いて棒付きキャンデーを噛み砕いている。悪癖が出てるぞ、噛み癖という悪癖が。
俺と世良はしばらく他愛無い話をして棒付きキャンデーを食べきってから、二人で保健室を後にした。
***
「ほんと、気を付けろよ」
別れ際、世良に言われた言葉である。
甘いキャンデーがなくなった棒を捨てて寮まで送ってもらう道すがら、世良がその言葉を口にした。
「元の世界ではヒートなんてもんもなくてただの男だったかもしんねえが、今は違うんだ。迂闊な行動は身を滅ぼすからな」
言われて俺は深く頷く。それは、ヒートがき始めた時からぼんやりとは考えていたことで、今回の件で尚更強く頭にこべり着いた。
百合の目を見た時、自分の種としての存在をよく理解できた気がした。と同時に怖いとも思った。本能にあらがえない。それが、こんなにも恐ろしいものだと、俺は今の今まで知らないかった。
「肝に銘じておくよ、ありがとう。世良」
誰もいないエレベーター内で呟く。
自分の部屋の階層に到着したのを確認して降りると、廊下がやけに騒がしいことに気が付いた。なんの騒ぎだろうかと喧騒の中心を覗き込む。と、ここ数日で聞きなれた大きな声が廊下に響く。
一緒にいるのは誰かよく見えないが話を聞けばわかるだろうか。
「なんでそんなこと言うんだよ!! 大体、真澄になんの用だよ!!」
話の相手はどうやら俺に用があるらしい。
憤慨している様子の狩野がぎゃいぎゃい喚くのを簡単にいなしているらしく、狩野の怒りのボルテージがどんどん上がって行くのが声だけでも感じ取れる。
今部屋に戻るのは得策ではないような気がして踵を返した時、目の前に見知らぬ生徒が立ちふさがった。きょとんとしていると、野次馬をかき分けてきた二人の可愛らしい生徒が両サイドをがっちりと固め、俺はその場に捕らえられる。
この三人、どこかで見たことがあるな。と頭の中で考えていると、正面の生徒が俺の部屋に向かって―正確には部屋の前にいる人物に向かって、口を開いた。
「須賀真澄くん、確保です!」
「ほんと? でかした! 琉生 ちゃん」
「あ! 真澄!」
琉生と呼ばれたその生徒の名前と顔と、その呼んだ声にギクリとする。
目の前の生徒、水城琉生 は生徒会会計―つまり百合成瀬の親衛隊、副隊長だ。彼を褒めた声の主は勿論、百合のものである。
「さっきぶりだねぇ、真澄くん」
「あ……はい、さっきぶりです」
にっこりと笑って見せる百合と狩野や野次馬たちの視線が俺に刺さる。
正直返事なんてしたくないが、この現状、何か返さないと、と思ってなんとか絞り出す。さっさと部屋に戻りたいのだが、腕を捕らえられてしまっているので逃げ出すことはできない。
「今日のゲーム、真澄くんは捕まったでしょ? 俺からのお願い、聞いてくれるよね?」
「はあ……まあ、ノーとは言えないんですよね」
「まーね」
後ろで騒ぐ狩野をBGMに百合がそう尋ねるものだから、諦めも半ばに確認すると同意された。あと少しだったのにねと言う百合に殴ってやろうかとも思うがそんなことをしたら明日から俺の日常は地獄になる。
まあ、することと言えば一つか。さっさと願いを聞いてこの場を抜けてしまおう。
「それで、お願いって何ですか?」
掴まれた腕の感覚が死にそうだと思っていると、百合が離すように指示してくれてパッと手が離れていく。百合の顔をじっと見ると、にこっと笑みを深くした百合はポケットから最新型のスマホを取り出して目の前に突き出す。
「はい。連絡先、交換して」
「は?」
そんなんでいいんですか? と口から言葉が零れ落ちる。当然だろう。生徒会会計の情報網があれば電話番号くらい手に入るだろうし、聞きたければしれっと聞けばいいだけのことをわざわざこんなお願いを使ってまで知ることか?
ぽかんと言う表現がぴったりなくらい間抜けな顔をした俺に、百合が眉を寄せて少しふくれ面をして言う。
「だって、こうでもしないと教えてくれるかわかんないしー? ね、早く教えて」
なんだそれ。教えなかったら後々怖そうだから教えるだけは教えるぞ。返事するかは別だが。
まあいいか、と俺はお願いが軽くなったことを喜びながらスマホを取りだす。
ラインのQRコードを画面に出して読み取らせていると、百合の後ろにいた狩野がついに爆発した。
「ずるい! ずるいぞ!! 俺も真澄の連絡先知りたい!!」
ぎゃーと大声を上げた狩野はスマホを取り出してカメラアプリを起動する。まあいいけどと俺はコードを差し出す。
読み取って嬉しそうな狩野を横目に、百合がじとっとした目で俺たちを見ているのが感じ取れた。
「真澄くん、すごく簡単に教えるんだねぇ…」
うんうんと頷く親衛隊に、気温がぐっと下がったのを感じ取ったのか百合から目線を逸らす野次馬たち。これはもしかして怒りを買ったか?
とはいえ、交換しないと狩野が五月蠅かっただろうし、俺にどうしろっていうんだ。
今すぐここから離れたい気持ちになっている俺に百合がニコリと微笑む。
「やっぱお願いかーえよ。毎日真澄くんから、自主的におはようライン送ってくるか、今すぐ俺にキスするか選んで」
むすっと頬を膨らませた百合は、新しいお願いを提示するとにこりと笑った。その目は全然笑っていないのが不気味だ。
選択肢を与えているようで与えられていないようなその言葉に俺は顔を引きつらせる。
苦々しく笑いをこぼしながら俺は連絡先を交換し終わって用事の済んだスマホの画面を閉じてポケットにしまう。
「はは、じゃあ、ライン……送る方、で」
苦笑いを浮かべて言う俺に今度は綺麗な笑みで百合が約束ねと念を押す。こくりと頷けば満足そうに笑って百合もスマホを制服にしまった。なんだかんだで帰ろうとしない百合と、面白そうなことだと観戦に徹している野次馬たちをどうにもできずにいると、槙が騒ぎを聞きつけてやってきた。
その槙が的確に野次馬たちを散らしていき、最終的に百合とにらみ合いになる。
「なーに? 槙先輩も真澄くんに目を付けてたの?」
「…お前には関係ない。須賀が困っているだろう。いい加減にしろ、百合」
うんうんと頷きたい気持ちを抑えて会話を見守る。
槙が無表情で百合を窘めているが、当の本人は何食わぬ顔でおどけて見せている。ちらりとこちらに視線をやった槙と目が合う。
「もう部屋に戻っていいぞ、須賀。百合は俺がなんとかするから」
ニコリと微笑む槙にお辞儀をして部屋のドアノブに手を掛ける。後ろをくっついてくる狩野と部屋に入っていく時、何か喚いている百合の言葉は聞かないことにしておいた。
***
部屋のベッドで寝転んでいた時、一つの通知音が鳴り響いたので俺は重たい体を起こした。
パソコンデスクの上に置いていたスマホを手に取って確認すると、無視している百合のメッセージ通知に紛れて"宗一郎"というアカウントからメッセージが来ていた。
これは槙のアカウントだ。新歓中に渡されたメモに書かれていたIDを検索してコンタクトを取って礼を送った返事が来たのだろう。
『さっきはありがとう。助かった』と書いたメッセージの下に新着メッセージが来ている。
『当然のことをしたまでだ。気にするな。今度、よかったらまた話をしよう』
簡潔に書かれた槙らしい内容に俺はつい、くすっと笑う。
二、三回ほどメッセージのやり取りをして、槙が仕事があると言ったので、俺は返事を打ってスマホを部屋着のポケットにしまった。
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