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1章 第14話

 部屋から出ると、ソファーの上で狩野が仰向けに寝転び、雑誌を胸に広げて眠っていた。 すやすやと眠るその顔をじっと見る。もさもさの鳥の巣みたいな髪の毛を少しだけ掃って、興味本位でその顔を覗き込んで瓶底眼鏡に手を掛けた。 「んー……」  一瞬眉根を寄せた狩野だがそのまますうすうと寝息を立て続けるので、俺はほっとしてその眼鏡を外す。  分厚く大きな眼鏡に阻まれて今まで気が付かなかったが、よく見ると狩野は整った顔立ちをしている。この髪も整えて綺麗にすればいいのにもったいないことをしているな。  じっと狩野を観察していると、不意に狩野が少し唸って目を覚ました。はっとして俺は顔を逸らす。 「うーん、あれ……真澄?」  目を擦りながら俺を見る狩野にふっと笑っておはようというと狩野がふんわりと笑って「ん」とだけ返事をする。  細められた瞳が深い青をしていたのは驚きだったが、綺麗な顔立ちによく似合っている。本当にこの鳥の巣頭がもったいない。 「俺、眠って……って、眼鏡!!」 「あ、ごめん。取っちゃった」  少し悪いなという気持ちがあって手に持った眼鏡をさし出す際に、少しばかりしゅんとしてしまう。それに狩野がわたわたとした様子で手を落ち着きなく動かしながら笑った。 「い、いいんだいいんだ。おじさんがくれた伊達だから! この鬘だってほら! な!」  そう言って髪の毛を引っ張って黒いもじゃもじゃの鳥の巣頭を取り去ると、綺麗な金色の髪の毛が現れる。それに俺は目を見開いた。  なんということだろう。狩野はもじゃもじゃの鳥の巣頭にビン底眼鏡のもっさいオタクと言われていたが、とんでもない。  出てきたのは、美少女と言われても疑いようのない綺麗な顔の少年だった。 「狩野……お前も変装してたのか」 「はは、実はな!」  つい素が出た話し方をしてしまったが、それには気が付いていないのか、にっと笑って見せた狩野を優しく撫でて、顔を真っ赤に染めあげた彼を放置して俺は立ち上がる。 「そろそろご飯でも作るか」  振り返って言うと、はっとした狩野が「俺も手伝う!」と元気よく引っ付いて来た。 ***  二人でご飯を食べた後、狩野が先に、俺がそのすぐ後に、風呂に入った。あとはもう寝るだけだという頃になって時計の針は十時を指している。  ソファーに座って雑誌を読んでいるとスマホが鳴る。  誰だろうと思って通知を見ると、ラインに百合からのメッセージが来ていた。 『やほー! 今日の話忘れてない? 明日から連絡待ってるからね!』  スタンプと一緒に送られてきたこてこての絵文字入りのチャラい文章を見て、俺はげんなりとした気持ちを隠しもせず、すぐに返信を打った。 『わかってます。今日はもう寝ますので、また明日。おやすみなさい』  絵文字もスタンプも使っていない質素なメッセージを送ると数分もせずに返信が返ってくる。明日を楽しみにするというその内容に俺は返信を打たずに既読だけつけて、ソファーから腰を上げた。  目の前に座っていた狩野が顔を上げる。半乾きの金髪からぽたりと雫が落ちた。部屋に戻るのかという視線に俺は軽く頷く。 「おやすみ、雅貴くん」 「お、おやすみ! 真澄」  部屋に戻って雑誌をしまう。  ベッドに腰かけスマホを開いてラインで世良の画面を開いて、少し悩んで何も打たず、閉じた。  なんとなく世良と話がしたいと思ったが、今日あんなことがあったのに余計な心配をかけるのはよくない。  ベッドに横になってスマホをサイドテーブルに置いて目を瞑る。明日からも面倒なことが起こるのだろう。そう考えると、少し頭が痛くなったように感じた。  朝、目覚めは最悪だった。  夢の中で三人の百合に追いかけまわされるなんて、悪夢以外のなんだというのだろうか。サイドテーブルの目覚まし時計を確認すると、時計の針は五時を少し回ったところを示していた。  もう一度眠る気にもなれないのでベッドから降りてスマホをスウェットのポケットに押し込み、キッチンに向かう。  狩野はまだ眠っているようで、個人の部屋の扉が閉まっている。  冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して口を付ける。  スマホを開いてネットニュースのページを開き、朝のニュースを確認して、めぼしいものはなかったので再びスマホの電源ボタンを軽く押して画面を暗くする。リビングにミネラルウォーターを置いて顔を洗いにいくと、洗面所に狩野の眼鏡が置いてあることに気が付いた。  いつもは自分の部屋に置いているはずなんだが、俺に素顔を見せたからもう部屋の中では隠す必要もない、ということだろうか。 「狩野、素顔だとこの学校じゃ親衛隊すごいことになりそうだし、隠すのは得策だと思うけど、流石にこの眼鏡は視力落ちそうだよな」  じっと眼鏡を眺めて誰に言うわけでもない独り言を漏らす。  中々厚みのあるその眼鏡は本人曰く度が入っていない特注品らしいが、狩野のおじさんとやらはもっと他に方法を思いつかなかったのだろうか。  手に取って顔に掛ける。特注品というだけあって、クリアな視界のそれは綺麗に世界を映しだした。 「これなら大丈夫だ」  一人で納得して、眼鏡を元に戻し、顔を洗ってリビングに戻る。時刻は五時半過ぎ。特にこの時間はテレビもいい番組がなく、することがないので読書でもするかと立ち上がった。  ふああ、と大きな欠伸が零れる。目から滲む涙を手で拭って頼人と二人、寮から教室への道を歩く。 「なになに? 寝てないの? ますみん」 「あー、いや、悪夢見て早起きした…眠ぃ……授業中寝そう……」 「そっかー。でも残念、今日の一限矢野だよ」 「まじか……」  頼人に言われた言葉に、溜息がでる。一限は寝て過ごそうと思っていたのに残念だ。  矢野晃己(やのこうき)とは狩野のクラス、一年S組の担任でホストみたいな見た目をした教師のことだ。  矢野は世良が嫌いらしく―希代曰く嫌い嫌いも好きのうち、らしいが―そのお気に入りというかよく国語準備室に呼ばれている俺を目の敵にしてくる。教師が私情を持ち込むなよ、とは思うが噂によれば矢野はなにやら理由があって世良をライバル視しているとか。なんでも、同じ高校の出で、挑んだ勝負、悉く敗北した覚えがあるとか。  世良にその話をしたら覚えていないなんて言っていたけど、相手にすらされてないのは流石に少し哀れだ。 「真澄くん矢野に目付けられているもんねー。なんか、狩野っちのことお気に入りらしいし、ますます絡まれそうだね」 「めんどくせえ」  げんなりした顔で校舎に入ると、どんと誰かの胸にぶつかる。誰だよと思ってみると赤茶の髪がよく似合う生徒会長、原田浩一が俺を見下ろし、凝視していた。  げっと内心声を漏らす。とりあえずすみませんと口にすると、原田がハッとしたように首を振った。隣でテンションが上がっている頼人は無視しよう。 「あ、ああ……いや、こっちこそ悪かった。怪我ねえか?」  会長の言葉に目を見開く。この男、噂では俺様で人に謝るとこみたことないって話だったが。やはり噂は噂か。  大丈夫ですと返事をして俺はその場を去ろうと頼人に声を掛ける。と、会長が焦ったように俺の右手首を掴んで待ったを掛けた。 「す、が……だったか? その、あー、いや、やっぱなんでもない」 「はあ……」  するっと離された自分の手首を反対の手で掴む。何を言おうとしたのか分からないが用がないのなら一刻も早く立ち去りたい。  なにせ今は登校時間。人目もそこそこにあるわけで。周囲をちらりと確認すればこっちを見ているチワワの群れがあちらこちらにある。 「じゃあ、これで」  ぺこりと頭を下げて、俺は思考がどこかにぶっ飛んでいる頼人を引っ張ってそこを離れた。 その後ろ姿を、会長、原田浩一がじっと熱のこもった目で見ているとは俺は知らない。

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