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1章 第16話
ざわざわと騒がしい教室内で俺はため息を吐きたいのを堪えながら紙パックのミルクティーを持つ手につい力を込めた。じろじろと俺を見る不躾な視線と、話し声にただ黙って耐える。
そりゃあ、あれだけ派手に百合と接触したりすれば色々言われるだろうとは思っていたが、それにしたって視線が痛い。
横に立っている頼人が「今朝の会長とのやり取りも遠巻きに見てる子いたしねー」なんて言っているので恐らく会長の親衛隊も混じっているのだろう。
「サヨナラ、俺の平穏な生活」
うっと涙ぐむ真似をしながらスマホを取り出してラインを起動する。
うっかりしていたが、百合にメッセージを送らないとまたあいつが教室に来てしまうかもしれない。
さっさと簡潔に文章を入力して送信ボタンを押す。送ったことを確認してすぐに画面を閉じようとしたら、すぐに通知音が鳴った。
「うわ、はや……」
「なになに? 百合先輩?」
「そう。昨日交換させられてな」
「僕の知らないところで連絡先交換イベントが…」
「人の人生をゲームのイベントみたいに言うな」
嬉しそうに笑う頼人の腹部に一発軽い拳をお見舞いして再びスマホに意識を集中させる。簡潔に朝の挨拶を書いた文面に一分も立たずに返ってきた返事は挨拶の返事と今何しているかという内容だった。
―あんたのせいで……動物園の猿にでもなった気分だよ。
返事を打とうかと指を動かそうとした時、教室の前のドアが開かれる音がする。顔を上げて確認すると、出席簿を持った世良が生徒に着席を促しながら教室に入ってきた。
返事を打つのを止めて、スマホを閉じて机の中に滑り込ませる。始業の合図のチャイムが鳴った。
あれだけ教室の周りにできていた人だかりも、世良の登場により蜘蛛の子を散らすように消えている。
「日直ー。号令」
世良のだるそうな声に答えるように俺の席の最前列から二つ後ろの生徒が号令を掛ける。クラス全員が立ち上がってお辞儀をした後、号令に従って着席をする。と、世良が出席簿を見ながら生徒の出席確認を取り始めた。
窓際の一番後ろの席を運よく手にできたのはラッキーだったと思う。
欠伸を一つ零しながら退屈な出席確認の時間を窓の外を見て潰す。
肘をついてぼーっと校庭の奥の方に生える木々を眺めていると、その木々の間にこの時間帯にはあるはずのない人影がぼんやりと見えた。
誰だろうと目をぎゅっと細めて見るが遠すぎて顔まではよく見えない。が、風に揺れるピンク髪は目立つ。
あれは、恐らくー
「須賀ー窓の外になんかいいもんでもあるか?」
「いえ、特には」
「そうか、話はちゃんと聞いとけよ」
世良に呼ばれて慌てて顔を教卓の方に向ける。何人かの生徒がこちらをちらちらとみているが、俺はそれよりも窓の外の人物が気になった。
ちらりと視線をやる。と、先ほどまでそこに居たはずのピンク髪はもうどこにもいなかった。
「じゃ、ホームルーム終わりな」
世良の声を皮切りに教室がざわつき始める。
机の中に滑り込ませたスマホを取り出してラインを起動すると百合とのトーク画面を開く。
何をしている、の返事を打てていなかったので仕方なく、『この後歴史、矢野の授業です』と打って送信ボタンを押す。
スマホを閉じて再び窓の外に目を向けた。校庭には体育の授業なのだろうまばらに生徒が出てきて体を動かしている。
「ますみーん。なんかいいものでも見つけたー?」
「うおっ」
耳元にふぅと息を吹きかけられて驚いてスマホを机の上に落とす。
俺の両肩に両手を乗せた頼人のにやついた顔が、俺の顏のすぐ横にある。ぐいっとその顔を押しのけて何でもないと言えば頼人は唇を尖らせて不服そうな声を漏らした。
「だってますみんめちゃくちゃ外みるじゃーん。いつもと違ってなんか探してる感じだし?」
「んなことねえって」
「あるよーう」
うりうりと俺の頬に人差し指を押し付けてくる頼人に俺は鬱陶しいと手を払う。されてばかりは癪なので頼人の尖らせた唇をつまんで軽く引っ張ってやった。
「いだいいだいいだい!!」
「ふん、もう授業始まるぞ。席戻れよ」
パッと離した手をしっしと振って肘をついて前を向くと頼人がなにかぼやきながら席に戻っていった。
机の上のパソコンを起動してパスワードを入力すると、タイミングよくチャイムが鳴り矢野が教室に入ってくる。
プロジェクターを起動して授業の準備を整えて号令を呼びかける矢野の声を、カチカチとシャープペンシルの芯を出しながら聞く。
ちなみに、俺はテスト対策用にノートに書き取りする派だ。
授業が始まって今日の授業内容がまとめられたフォルダがクラス全員のパソコンに配られた。
ついっと窓の外に視線を送る。どうやら体育を受けているのは二年のようだ。百合や唯川がいないところを見るとSクラス以外と見える。外周を走らされているのをぼーっと眺めていたが、見知った顔がなかったので教卓に視線を戻そうと思った時だった。
ふと、ホームルームの間見ていた木のあたりに視線が向く。そこに、ピンクの頭を見つけてついじーっと見つめてしまう。
―あれは、確か三年生の花見愁 ……。
じっとそのピンク頭を見ていると、件の人物が突然視線に気が付いたかのように顔を上げて、俺のいる校舎の方に向けて小さく手を振りだした。
まさかこちらの視線に気が付いたのだろうか。
―そんなまさかな、俺じゃないだろ。
校舎から花見の居る場所までは結構な距離がある。視線に気が付いて手を振るなんて現実的ではない。スマホかなんかにメッセージでも入って手を振っただけに違いない。
視線を教卓に戻して俺は珍しいピンク頭を頭の中から除外した。
花見愁は不思議な男だ。
噂がたくさんあって、百合と同じく誰とでも寝る。なんて話もあるが、それ以上にふわふわとつかみどころのない男という話の方がしっくりくる。
花見愁の親衛隊は、生徒会クラスに規模がでかく、会長に匹敵するレベルらしい。そこまで人気があって、頭もいいと言うのに、生徒会に入らなかったというのだから、変人と呼ばれるのは致し方ないだろう。この学園に置いて、生徒会と風紀は忙しくはあるが、それだけの恩恵があり、実績を積むということは、卒業後あらゆる面で評価されるということ。それをわざわざけるのだから、相当な変人である。
それに加えて、授業を受けているところをあまり見たことがないなんて三年生の生徒が話していたのを聞いたこともあるが、先ほどのように校庭の木の近くで座り込んでいるところを見ると本当の話なんだな、と思った。
「須賀、ちゃんと聞いてるのか?」
ばんっと机を一本の腕が叩く。
その腕を目で辿って持ち主を見ると、不機嫌そうな矢野の、端整な顔が目の前にあった。
うわ、とつい顔を歪める。失敗したな、そういえば矢野の授業だったっけ。少し怒った様子の矢野に吐きたくなるため息を我慢して言う。
「聞いてませんでした」
「お前っ……はー、新歓終わりで浮かれんな。松井、須賀にさっき説明したこと教えてやれ」
ぽんと頭を教科書で小突かれる。
珍しくあんまり絡んでこねえなと矢野をまじまじと見るが、その視線に気が付いた矢野がなんだと聞いてくるのでなんでもないと答えておいた。絡まれねえことに越したことはない。
隣の席の松井という生徒に説明されたことを聞くと、どうやらテストについての話だったようでテスト範囲や注意事項などをまとめたテキストファイルを配ったとのことだった。
―テストか、めんどくせえな……
中間考査のテスト範囲をみてまたため息が出そうになるのを我慢する。
学生の本分は勉強だと思うので今日からテストに向けて勉強をしなければならない。百合も、テスト期間中くらいは大人しくしてくれたらいいんだが。まあ、そうはいかないだろうな。
気を抜くと出そうになるため息を堪えて項垂れていると、授業の終わりを告げるチャイムの音がした。
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