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1章 第18話
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学園の敷地内に併設された大型のショッピングモールに来るのはこれで何度目だろうか。まだ両手で数えられる程度にしか来たことはないが、広くてなんでも揃ってしまうここは生徒、教職員問わず利用率が高い。
勤めている従業員も噂では、学園の厳しい審査の元定められた規定に則って採用されているらしく、驚くほどに男しかいない。しかもそのほとんどがベータというから学園の徹底ぶりが伺える。まあ、間違っても良い所の跡取り息子が、素性の知れない人間との間に子供を作ったなんてことあってはならないだろうから、当然といえば当然なのだろうか。
「おおーーひれー!!」
そういえば狩野はショッピングモールに来るのは初めてだっただろうか。一人その広さに興奮している様子の彼につい笑みが浮かぶ。
「ますみん、本屋は五階だけど先なんか見る? アクセとか服とか」
「あー、その辺三階か四階だっけ? いい、先本屋行こう」
案内板を指さして問う頼人に首を振ってエレベーターの前に移動する。興奮していた狩野も落ち着いたのかすぐ後を追ってきた。
ここは広いので狩野が迷子にならないといいが。なんて思いつつ到着したエレベーターに乗り込む。頼人が五階のボタンを押してドアを閉めると俺たちを乗せた、けして狭すぎない箱は上へと向かう。
高い音とアナウンスの音声を立てて目的地の到着を知らせたそこから降りてすぐのところにある本屋に入る。
落ち着いた内装の本屋は簡単に騒がしい日常から俺を遠ざけてくれる。
適当に参考書の棚付近まで足を運んで気になるものを手に取る。ぱらぱらとページを捲り、内容をよく読んで腕に抱える。
ふと、『性について』という本が視界に止まる。著者は、日本人だ。数学の参考書を中心に並べられたこの棚に並ぶには似つかわしくない表紙をしているそれが気になって手を伸ばす。間違えて置かれたのだろうか。
この本屋は棚自体が高く、けして身長が低いというわけでもない俺でもその本に手が届くかどうかぎりぎりのラインだった。
ムキになってその本を取ろうと背伸びをする。本を手に取れそうだと思った瞬間、後ろから伸びてきた手に本が攫われてしまう。
背後からという時点で、俺と頼人と狩野は大体背が同じくらいなので二人ではないのは確かで。俺の背を超えて本を取れたということは少なくとも百合や世良と同じかそれ以上は身長がある人物が俺の後ろに立っていることになる。
一体後ろにいる人物は誰なのか。何故俺が取ろうとしていた本を取ったのか、代わりに取ってくれたのだろうか、それなら余計なお世話だ。と、俺は少しだけムッとする気持ちを抑えて、黙ったまま相手の反応を待った。
「性について、か。この本結構マイナーだけど書いていることは面白くて俺も好きだよ。須賀真澄くん」
顔の横に本を差し出される。
聞き覚えのない声に百合や世良ではないことが分かって益々相手が誰なのかわからず、俺は意を決して振り返る。
視界に広がったのは鮮やかな撫子色の髪と紅色の瞳。日焼けを知らないようなその肌の色には似つかわしくないが男らしいと言わざるを得ない広くてしっかりとした肩幅。無駄のない筋肉。
柔らかな微笑みを浮かべる彼は今朝、窓から見た、間違いようのない学園の有名人、花見愁だ。
「な……んで……」
「ん?ああ、暇だったから散歩してたら偶然君たちを見つけてね。後をつけたんだよ。君と、話がしたかったからね」
俺の質問の意図を察してかにこりと微笑んでそう答える花見に俺はぱくぱくと口を開閉させる。
俺と、話がしたい? 意味が分からない。そもそも、接点なんてないぞ。
驚いて何も言えないでいると花見が俺の頭をぽんぽんと撫でる。その感触が、妙に優しくてさらに混乱する。
「ダイジョーブ。百合とか、あの編入生とかみたいに性的な意味で興味があるわけじゃないから。どっちかっていうと、俺は世良さんに近い気持ちで見てるよ」
世良に近い気持ち。保護者的な目線ということだろうか。一体なぜ。
俺の不信感に塗れた目線に気付いているのか花見は微笑んだまま俺から少し距離を取る。
「似てるんだよね。須賀くんが俺の知り合いに。だからほっとけないっていうかさ、気になるでしょ。百合みたいな、性格の悪い何考えてるかわからない男に付き纏われていたら」
ね? と下がりがちで切れ長の目が俺を真っ直ぐ見つめる。いや、どの口が言うんだ。
性格が悪いのかどうかは知らないが、何を考えているかわからない部門で言えばアンタも同じくらいじゃないのか。なんて口が裂けても言えない。
何と答えていいかわからず戸惑っていると花見がまたにっこりと笑みを浮かべて俺の頬を両の手で包んだ。
「難しい顔しすぎだね、須賀くん。そうだ、もしよければこの後一緒に買い物をしよう。俺を少しでも知ってよ。ね、嫌なら、断ってくれていいよ」
こてんと首を傾げる仕草は百七十ある俺の身長を超える男がして可愛く見えるものではない。
俺はしばらく悩んで断る理由もないし、断っても面倒ごとになりそうな雰囲気でもないが、なにより本人が自分に恋愛感情を抱いているわけではないというのならまあいいかとその申し出を受けることにした。
***
「というわけで、こちらは花見愁先輩。花見先輩、この二人は希代頼人と狩野雅貴です」
少し話した後、花見からは好きなように呼んでいいと言われたのでとりあえず名字で呼ぶことにした。なんだかんだこの人も親衛隊の規模がでかい。生徒会に匹敵するそれを敵に回したくはない。
花見自身も俺への影響を考えているようで親衛隊にはすでに話をつけていて、親しくしていても制裁は来ないってことだけれど、今日のような事例もある。用心に越したことはない。
花見からは、親衛隊だけではなく、今日を覗いて自分からの接触を俺が好ましく思わないのであれば二度としないということも言われた。そもそも周りの目を俺が気にしていることに気が付いているようで、自分の影響力も考えて、教室に来て声を掛けるとかそういう目立つ行為はしなかった。ここに来ている生徒もなんだかんだで一部だからな。まあ噂としては広まるだろうけど。
「よろしくね。希代くん、狩野くん。俺のことは好きに呼んでいいよ」
「おう! よろしくな! 愁」
「は、は~~ダーリンったらいつの間に花見先輩にまで…!」
「落ち着けよ、頼人。現実に帰ってこい」
一人だけ意味不明な妄想の彼方に飛び込もうとしているのを呼び止める。
本当にこいつの目の前でだけは至近距離で話すとかしない方がいいな。後で花見にも伝えておこう。
「あ、俺、ちょっとピアスが見たいんだけどいい?」
さてどこにいこうかとお互いの顔を見合っている三人に声を掛ける。自分用ではないのだが、良いのがあれば買いたいのだと言うと、三人はそれを了承した。エレベーターで三階を目指す。
気に入るものがあればいいんだけれど。
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