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1章 第24話

「あ、あの時の」 「指ささないでくれる……なんでここにあんたがいんのさ。須賀真澄」  つい指をさす。びっくりした様子の美少年は気の強そうな眼を大きく開いて抗議の声を上げた。疑問は尤もだ。俺ですらなんでここにいなきゃいけないのかわからない。  大事な書類らしきものが挟まったファイルを胸に抱えた美少年は首を傾げる俺を怪訝な表情で見つめた後、会長の席に歩み寄り、じろじろと会長を品定めするように見てにっこりと笑った。 「矢野先生に頼まれました」 「ああ、ありがとう」  笑顔の美少年はお辞儀をするとくるりと振り返ってすたすたと歩きだす。目指す場所はこの部屋の出入り口だろう。俺はこのチャンスを逃すわけには行かないと咄嗟に手を伸ばして彼の制服の裾を掴んだ。  眉を顰めて美少年が振り返る。不快だと言わんばかりの顔に頼むから助けてくれと必死に目で訴えると、彼はちらりと百合の方を見てすぐ目を逸らした。俺もそっちに目を向けたくはない。 「何」 「あ、いや、君に話があって……」 「……ふーん。僕にはないんだけど。ま、好きにしたら」  俺の必死の訴えが通じたのか美少年は顔を逸らしてそういった。百合のことをどうするか考えて俺は後ろを振り向き、へらりと愛想笑いを浮かべる。  ニコニコと笑ってはいるが先程までの上機嫌はどこへやら、ピリピリとした空気を纏う百合に俺は上手く言葉が出ない。出ていくなんて選択肢ないよねと言わんばかりの重い空気が少しの間生徒会室を包んでいたが、俺は意を決して口を開いた。 「じゃ、じゃあ、今日はこれで失礼します」  腰を軽く浮かせて立ち上がる姿勢を取ると、不意に手を取られる。強い力で握られて驚いて息を詰めた。反射で顔を上げると、百合が俺の背後の少年を暗い顔で睨みつけている。暗く、冷たい表情に背筋がぞくりとした。 「……ッ」 「また遊びに来てね。真澄くん」  ぱっと手を放して、先程の暗い顔が嘘のように明るい笑顔で百合は笑う。そこに違和感は感じられない。睨まれていた美少年も、周りにいる生徒会の者たちも何も変わった様子もなく、百合のその表情に気付いた気配もない。俺の見間違いなのだろうか。  握られた手を反対の手で擦りながら、百合の言葉に小さく頷いて俺は後ろに立つ美少年と生徒会室を後にした。 *** 「君って、一体何者なの」  美少年、橋爪瑛里(はしづめえいり)は不機嫌そうな顔でそう言った。この数十分、一緒に居て分かったことは、この顔が彼のデフォルトであることと、名前くらいだろうか。  何者かと問われても、一般生徒としか答えようがない。返答に困る俺に橋爪は、人通りのない廊下の真ん中で立ち止まって、ふんっと鼻を鳴らして言葉を続けた。 「僕はね、イケメンで金持ちのアルファの番になりたいの。性格なんてどうだっていい。顔と権力がすべて。特に生徒会の皆様は条件にぴったりだね。だから機会を伺ってたのに……君とあの転入生はあっさり関わり持っちゃってさ。ほんと、なんなのさ」  腕を組んでぷんと頬を膨らませる橋爪に前ほどの敵意は感じられない。が、やはり少しは目障りに思われているのだろう。目を細めてこちらをじろりと睨んでくる。 「狩野君はともかく、俺はよくわからない。百合先輩が何を考えているのか」 「ふーん? まあ、百合先輩はそうだろうね。でも、君にだって理由あんじゃない?」 「理由?」 「そのいけ好かない猫かぶり! 気に食わない! 整った顔立ちだってそう。いかにも優等生です! って言っているような態度のくせに妙に気だるげで冷めた目つき。君周りからなんて思われているか分かってる?」  胸に人差し指を突き立てられる。至近距離でそう言われてたじろぐ俺に橋爪は眉を顰めて分かってないんだねと呆れた様子で言った。  猫を被っているのは波風立てないためなんだから仕方ないだろう。そもそもこの学園で妙に目立つことは場合によっては制裁対象になるんだから当然のことじゃないか。事実、お前だって俺が生徒会に目を着けられたという点で目立ったから呼び出しをしたわけだし、とは口には出せない剣幕。 「正直に言うけど、君のこと狙ってるやつも多いんだからさ。百合先輩が牽制するのも当然でしょ。好きな子なんだから。さっきの態度見ててわかんないの」 「好きな子……いや、うーん……」 「なんで納得いかないの? 意味わかんないんだけど」  ため息を吐く橋爪に俺はなんと返していいかわからず押し黙る。百合に好かれていること自体は分かっているけど、それを自分で認めてしまうのは自意識過剰というかなんとも言えない感じがして嫌だった。  橋爪は黙ってしまった俺を見てまた小さく息を吐くとやれやれといった態度を取る。 「橋爪くん」 「呼び捨てでいいよ……。ていうか、そのむかつく猫かぶりやめてくんない? 君みたいなやつと仲良くするのは癪だけど君付けされるのはもっと嫌なんだよね」  何か言うべきかと思って名前を呼ぶと、橋爪は少しムッとした様子でぶっきらぼうに言った。キッとこちらを見る目は厳しいが、少しだけ、以前よりも友好的な気がする。明確には分からないが、もう俺を敵視して害を与えようという意思はないように見えた。 「わかった。ありがとう橋爪」 「…………この間は、ごめん」  唇を尖らせて謝罪を口にする橋爪につい笑顔がこぼれる。悪い奴ではないと分かったというのと、あの場を連れ出してくれたというのに心が安堵したからだろうか、俺の笑みに橋爪もゆっくりと口角を上げた。 「ますみんってさ、本当に警戒心がないというかなんというか……」  食堂の前で頼人たち三人と合流した俺が橋爪のことを軽く紹介すると呆れた顔で頼人がため息を吐く。隣でその言葉を聞いていた橋爪もうんうんと深く頷いた。  仮にも一度制裁のような目的で呼び出してきた相手と友人を交えて食事等正気の沙汰ではないという頼人に対し、少々弁解しようと口を開くが、いくら橋爪が良い奴でも確かに呼び出された事実は変わらないのでぐうの音も出ない。何を言おうともただの言い訳のようなものである。俺の愚かさを嘆く頼人の言う通りなので俺は反論せずに黙る。 「はあ。まあいいや。橋爪君だっけ? 僕、希代頼人。こっちが我妻悠貴でその横にいるのが田島伊久。A組の君とはあんまり接点ないから話すことなかったけど、まあよろしく」 「……どうも」  再度ため息を吐いた頼人が橋爪に向き直って自分と、無言で事を見守る友人二人を紹介する。橋爪がそれを見てコクっと小さく頷くと、軽く息を吐いて大きく伸びをした後頼人が食堂のドアを開けた。  適当な席を陣取ると俺と橋爪、その向かいに頼人と我妻と田島が腰を下ろした。  今日の日替わり一覧を見る横でタッチパネルを操作しながら、頼人が橋爪に話しかける。探るような声に平然とした様子で橋爪は答える。 「以前とは違って真澄くんを敵視してはいないんだね」 「まあね、僕は金持ちのイケメンアルファと結婚出来たらそれでいいから、須賀にそういう気がないってわかった以上敵視する意味はないかな。それに……」 「それに?」  チラッと二人が俺を見る。今日の日替わり親子丼定食を注文し終えた俺がすっと顔を上げたのを見て、じとっとした目の橋爪がため息を吐いて言葉を続ける。 「恋愛面に疎すぎるんじゃあ会計様たちが哀れになるでしょう」 「あー……なるほどね」  察したといいたげな頼人の表情にむっとするが特に言える言葉もないので黙る。話が盛り上がっていく二人の姿をただじっと見ていると、ウエイターが我妻の前に大盛の定食を二つ運んできた。  相も変わらず、すごい量を食べる我妻に、見慣れた俺と田島と頼人は特に気にすることもないが、それを初めて目にする橋爪は驚きに目を見開いている。引き攣った顔で我妻の目の前にあるステーキ定食とから揚げ定食を指さす。 「君……その量一人で食べるの……?」 「? そう、ですけど……」 「信じらんない……どうなってんの」  まあ、はじめてみたらそんな反応するよな。我妻の胃袋は同じ男としても異次元だ。俺も初めて見た時はびっくりした。それで食欲が失せたことも何度かあったっけな。  橋爪がドン引きしている。自分の前に運ばれてきたボロネーゼを食べる手が一切進んでない。  橋爪の周りにはこんなに沢山食べる人間あまりいないのだろう。この学園は付き合う人間によっては小食の女子かと言いたくなるほどのわずかな量で満足している光景が日常になる。彼はそういった交友関係か、もしくはそもそも人付き合いを得意としていないか。といっても、我妻くらいの量を食べる人間はそうそういたものではないので普通の交友関係を送っていてもドン引くかも知れない。 「ゆーたんの爆弾胃袋は置いといてさ、橋爪君……瑛里ちゃんでいい? 瑛里ちゃんは親衛隊とか入らないの?」  引き攣った顔をしている橋爪に話しかける頼人が即座にあだ名を確認すると橋爪は小さく頷く。次いで気になっていたらしいことを聞くと橋爪はガラスコップに入った水を一口飲んで言った。 「群れるのは趣味じゃない。馬鹿が移るでしょ。僕一人でも可愛いんだから引き立て役とか、くだんない隊測とか、そういうの要らないじゃない? それに」 「それに?」  希代が橋爪の言葉に首を傾げる。にやりと笑う橋爪の顔は自信に見合うだけに整っていた。 「僕、イケメンで金持ちでアルファがいいけど、相手を決めかねているからさ」  ああ、と頷く頼人に橋爪がにっこりと笑う。そういえばさっきもそんなこと言ってたねというと彼はくすりと笑みを浮かべた。

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