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1章 第25話
「どうしてイケメンで金持ちのアルファじゃないとダメなんですか?」
ふと黙っていた我妻が尋ねた。聞いていいことか悩んでいたようだが、特に重い空気でもないので疑問を口にすることにしたようだ。問うと、橋爪がパスタを食べる手を少し止めて何かを考えたのち答えた。
「僕の家、元々貧乏だったんだよね。離婚した父は顔がよかったんだけどベータだったからさ、母が今の父と浮気した時さっと身を引いたの。経済力でも男としても母を幸せにできないって。でも再婚したその男がさえない顔の癖に妙にプライドだけは高くて、見た目に気は使えない癖に偉そうで……ほんと最悪だったわけ。美意識低いのは罪だよ……まったく……。でも、金だけはあったからさ、おねだりして鴻上に入れて貰っちゃった。ここなら顔も経済力も文句なしでしょ? 二人の父のせいで僕は嫌な思いしたんだから、身を引くようなベータや、ぱっとしないアルファとは付き合いたくないって思ったんだよね。実の父の顔は好きだし、美意識は高い方だからさ、ここでいい男捕まえて幸せになってやるの」
つらつらと家庭の事情を語る橋爪に我妻が申し訳ない顔をすると橋爪は不快そうに顔を歪める。そんな顔しないでよという橋爪の中ではそんなにつらい過去でもないんだろう。
ふんっと鼻を鳴らして橋爪がパスタをまた口に運ぶ。
俺はその横顔をじっと見て何となく頭を撫でようと手を伸ばそうとしたが、その手を誰かに掴まれてそれは叶わない。
頭を上げて確認すると顔のいい黒髪の男、この時間にここにいるはずのない世良と、養護教諭の佐藤 がにこっと笑って立っていた。
「……なんですか?」
「世良先生……!!」
「よお、お前ら。一緒に飯か? 仲いいな。俺と佐藤も交じっていいか?」
「え……」
「勿論です!!」
「サンキュ」
何故ここに世良がいるのか、何故一緒に食べるのか、理解できなくて頭に疑問符を飛ばしていると俺の隣に座った世良が笑みを浮かべて口を開いた。
「須賀と我妻と橋爪の三人は今回のテストも心配なさそうだが、希代と田島。お前たち、赤点取ったらどうなるか分かってるな?」
背中に黒いオーラが見える。自分のクラスから赤点取得者が出ないように脅し、いや、発破を掛けに来たのか。二人の食事を取る手が止まる。
頼人に至っては先輩たちからの指導が入っていることは勿論世良の耳に入っているので、尚恐ろしいだろう。
「俺のクラスでは赤点を取ったら補修にプラスしてグラウンド二十周と三日間の勉強合宿があるとテスト範囲を配った時に説明したが、まさか俺の手を煩わせたりはしないよな?」
もはや脅迫だろう。こんなところでのんびり飯を食っている場合なのかという世良の心の声が聞こえてくる。邪悪なオーラを纏う世良に辺りが凍り付く。世良様、佐藤様とキラキラしていた目を向けていた生徒たちもその恐ろしい空気にピタリと固まっている。
その様子を見ると段々世良がわざわざ食堂に来て一緒に食事なんてふざけた真似をした理由が読めてきた。
つまるところ、補修を受けることになっても世良との接点が欲しくてわざと赤点を取ろうとするような『悪い子』を牽制することが目的だったんだろう。その為に俺の友人を使うのは正直腹が立つし教師として如何なものかと思うがこうでもしないとどうにもならないのも現実か。
「まあまあ、世良先輩。その辺にしませんか」
重い空気を切り裂いたのは穏やかな声の佐藤だ。優しそうな見た目で微笑む男は世良の後輩らしいがこの学園での歴は新任の世良よりも少し長い。高校の時の先輩後輩だからか立場は世良の方が上のようだが、とても仲がよく見える。
よく二人で食事を取ったり楽しそうに談笑していたりするのを見ると多数の生徒から聞くし、中には二人は深い仲ではないかと疑っている者もいるらしいがどう見たってそんな関係ではないことは確かだ。
「佐藤。お前、先輩って言うのやめろっていつも言ってるだろ」
「そういえばそうでしたね。気を付けます。ところで今日は世良先生の奢りですよ? もう腹ペコなんですが」
「分かってるよ。好きなの頼め」
ため息を吐く世良に佐藤がにこりと微笑む。黒いオーラを纏っていた世良から、一気に圧力を感じなくなった。その場の空気が和んだとも言うべきか。
元々世良自身もあまりこういうことをしたくてしているわけではないだろうし、それも分かっていてこのタイミングで止めたのだろう。世良のことだから、ため息こそ吐いてはいるが佐藤を連れてきたということは、途中で止められることも織り込み済みだろう。
ふと、世良越しに佐藤と目が合う。こちらを見てにこりと笑ったのを見て俺もペコっと頭を小さく下げた。
「世良先生は何を食べるんですか?」
「俺は天ぷら定食だな」
「はは、じゃあ俺は照り焼きにしようかな」
佐藤が視線をパネルに戻してさっさと手慣れた様子で二人分のメニューを注文する。仲のいい二人を見ているとまあ噂が流れても仕方ないかもしれないと自分に自信が持てなくなってくる。
ちらりと隣に座る世良を見ると向こうも俺を見ていたのか視線がぶつかる。
「やりたくない仕事お疲れ」
少し見つめ合ってからそう囁くと世良が小さく笑った。
***
「あ、須賀君」
食堂を出て寮部屋に帰ろうとすると急に佐藤に引き留められた。驚いて振り返ると柔らかな笑顔を浮かべた佐藤が俺に紙袋を差し出した。手渡されたその中身を確認しようとすると佐藤が俺の手を抑える。驚いて顔を上げると優しい笑みの佐藤が顔を近づけ、耳元で言った。
「開けるのはここじゃないほうがいい。それオメガにしか渡されないものだから。出来たら一人で見てね」
「…なるほど」
保健医だけあって俺の性別について知っているのだろう。病院からのデータもあるし当然か。
「何かあったらいつでもおいで。力になれることならなんでも助けてあげる」
「ありがとうございます」
佐藤は優しい笑顔を絶やすことなく俺の頭を撫でた。人目のあるところであまり目立つ行為は避けてほしいものだけれど、と思ったが、周囲の反応はそんなに酷くなく、てっきり悲鳴があがると思っていた俺は少し拍子抜けした。
間抜けな顔でもしていたのだろう俺に頼人がそっと耳打ちしてくる。
「佐藤先生はみんなに対して優しいから聖母って呼ばれてるんだよ」
聖母ってなんだよ。聖母って。
世良と佐藤と別れて寮へと帰る。頼人と田島と我妻と別れ、同じ三階の橋爪と二人エレベーターを降りる。中央に位置するその箱を降りると橋爪は左側を指した。
「僕こっちの端っこの方の部屋なんだよね。君は確かエレベーターから近いあそこでしょ?三三八号室だっけ……まあいいや。またね、須賀」
ひらひらと手を振る橋爪になんで俺の寮部屋を知っているんだと目を開くがこの間の騒ぎと言われて納得した。百合と狩野が言い争っていた時橋爪もみていたのだろう。
鼻歌を歌いながら背を向けて去っていく橋爪を見送って俺も部屋に入る。手に持った紙袋が気になって足早に自室に向かうと先に部屋に帰っていた狩野が不思議そうにこちらを見た。
「あれ? 真澄。おかえり。何持ってるんだ?」
「いや、別になんでも」
ソファーに座ってテレビを見ていた狩野が首を傾げる。咄嗟に紙袋を隠して笑みを浮かべると、ふうんとイマイチ納得いってない様子の狩野だったがそれ以上なにも言ってくる様子はなかったので俺はいそいそと部屋に向かった。
部屋に入ってベッドに腰を下ろし、紙袋を開ける。小さめの箱と、それから小さめの封筒が入っていた。
箱を開けると至ってシンプルなデザインのチョーカーが入っていた。黒地に銀色の金具がついている。センサー付きで、説明書を見ると指紋認証で外れるらしい。
チョーカーを一旦置いておいて、封筒を手に取ると何やら固い感触がある。疑問に思って封を切ると中から病院の診察券と医者らしき人物の名刺が出てきた。首を傾げているとひらりと封筒から紙が落ちた。拾い上げて目を通す。
佐藤から俺に当てたそれには以前来たヒートについて書かれていた。
ヒートが来たことを考えると、これから先、抑制剤が必須になるだろう。特に性別を隠して生きたいのなら尚更だ。佐藤は生徒のバース事情に詳しいのか、世良から話を聞いているのか、俺の抑制剤の手持ちが少ないのではないかと手紙に書いていた。
確かに持っている抑制剤の数は残り少ない。性別検査した病院で念のため処方された薬の数は少なかった。そもそもあれは初めてヒートが来た時必要であれば飲むように渡されたものであって、副作用も心配される薬なのだからそう易々と中高生に大量に渡すものではない。
その抑制剤について、必要なら学園の敷地にある病院にいくといいと書いてある。俺が性別を隠していることも知り合いの医師に話してあるので特別に時間外でも見てくれるらしい。処方箋を貰うために必要だろうと書いてある。まあ確かにこれがないと困ることはあるし、ありがたく頂いておこう。
追記にチョーカーのことについても触れられている。もしヒート時に何かあった時、これをつけるようにと書いてある。同室者がアルファであるということから望まれない番関係を結んでしまわないように最終手段として渡されたこれは、特殊な作りが施されていて自分自身の意志でしか外せないと書いてある。
本で読んだことがあるが見るのは初めてだったのでついまじまじとチョーカーを見てしまった。
試しに着けるか、サイズとか気になるし。
部屋にあるクローゼットを開けて全身が映る鏡を見ながらそれを装着してみる。ちょんと綺麗に収まったそれは不思議なことにサイズがぴったりで首周りを動かしても苦しくない。
「なんでこんなにぴったりなんだ…」
少しドン引きしながらチョーカーを外し、箱に入れて机の引き出しに片づけて、小さくため息を吐いてそのままベッドに倒れこんだ。
橋爪のおかげで逃れられたがあの時の百合の暗い瞳が頭にこべりついて離れない。
まるで人を殺してしまいそうなほど冷たい表情。どうしてそんな表情をするのかさっぱりだ。その大きな感情を向けられているのが何故俺なのかわからなくて、混乱する。
(めんどくせぇ)
ごろりと転がって目を閉じる。身体から力を抜いてだるくなった意識を手放した。
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