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2章 第32話
「おはよう」
ガラリとドアを開けて教室に入る。すると、俺の方へ一斉にクラスの視線が集まったので、驚いてつい後退る。まあ、一週間も休めばそんなものか? と、そろりそろりと視線を集めながら自分の席に向かうと、その途中で小柄な可愛らしい生徒が声を掛けてきた。
「す、須賀君! その……もうお身体は大丈夫なの? 山本先輩がお世話するほど重症だって聞いたけど」
「え…………ああ、うん。もう大丈夫だよ、ありがとう」
「あのね、僕たち心配してお見舞いに行ったんだけど、風紀から許可が下りなくて部屋に入れてもらえなかったんだ」
「そうなんだ……」
体調を気遣う言葉に精一杯柔らかく微笑んで返事をすると、その生徒の後ろに座っていた気の強そうな生徒が続く。誰が見舞いに来ていたのか知らないが全員追い返していたのか。まあ、秘密を守るためならそれが一番か。
もう大丈夫だよと笑って話はこれで終わりだなと席に着こうとする俺を、まだなにか聞きたいのか、気の強そうな生徒が呼び留める。
足を止めてなんだろうと首を傾げて見せると、その生徒はちょっと躊躇った様子で言った。
「花見先輩が、唯一お見舞いの許可下りたって聞いたんだけど……須賀君とはどういう関係なのかなーって」
「え……あ~~~」
尻すぼみになっていく言葉にどう返そうか悩む。教室中の視線が俺に突き刺さっていて居心地が悪い。その空気を割いて、助け舟を出してくれたのは、窓際最奥の俺の席の二個前に座る頼人だった。持つべきものは友達と言うやつか。
「だから言ってるじゃん。花見先輩とますみんはお友達だって! 僕が忙しかったから代わりにお見舞いに行ってもらったの! ね? ますみん」
「え? あ、ああ。そうだな」
「花見先輩なら山本先輩ももしかしたら許可下ろしてくれるかもしんないしさ。適任でしょ? ね?」
「でも、花見先輩と須賀君が仲良くしていたとこなんて見たこともない……」
「それはあれじゃん? 花見先輩のお心遣いってやつだよ! ね? 百合先輩に熱烈アタックされてるますみんの傍に花見先輩がいたら親衛隊がいい顔しないでしょ? 疑っているようなことなんてナイナイ!」
頼人の言う、彼らが疑っていることと言うのはつまり俺と花見の仲が所謂そういう関係だってことだろう。まさか、ありえないという顔をしてみせたら、クラスメイトは様々な表情をして見せた。残念そうな顔をするものや、ほっとした顔をするもの。いろいろだ。
やれやれと息を吐きながら説明する頼人にクラスの連中は揃って確かにと納得して頷く。俺が 花見を友人と認めたこともあってかその言葉が信ぴょう性を増したのだろう。ものの見事に言いくるめてしまった頼人に小さな声で礼を言うと頼人は顔の横で人差し指と親指でわっかを作ってニコッと笑った。
「はい、みんなおはよう~」
ガラリとドアが開く音がして後ろを振り返る。世良が棒付きキャンディを咥えながら教室に入ってくる姿を視界に入れて慌てて自分の席に向かう。
「委員長~~~」
怠そうな声で呼びかけられたクラスの委員長は慌てて号令をかける。確か、彼の名前は相模 だったか。
挨拶を終えた世良はめんどくさげにプリントを配る。手に渡ったそれを見ると、体育祭という文字がでかでかと書かれていた。
「先日新歓があって大変だったかと思うが、六月の終わりに体育祭がある。今日は出る種
目を決めてもらう。じゃ、体育委員、よろしく頼むわ」
丸投げじゃねえか。
説明の途中で放り投げられた体育委員こと田島と、坂下 という生徒がため息を吐いて教壇に立つ。田島が指揮を執り、坂下が板書を取ることになったらしく、それぞれの位置についてプリントを見ながら説明を始めた。
それを満足そうに見た世良は窓際に立てかけてあった教師用の折り畳み式パイプ椅子に腰かけて鑑賞モードに入っている。
「えーと、まず体育祭の組分けなんだけど俺たちB組は赤組になった。今年はB、D、Fに加えてEとS組の半分が赤だそうだ」
田島の説明を聞きながらプリントの組分けのところを見る。S組は生徒会や風紀などの役職持ちが多く所属しているため半分に分ける必要があるというのは分かる。そのS組を半分に分けてしまうと、残りのクラス数が奇数で割り切れないことから、毎年どこかのクラスが半分に分けられているんだろう。今年はそれがE組だったということか。
頬杖をついてプリントを見つめていると田島が一通りの説明を終えたらしく、次の項目に移る。
「組分けは以上。出る種目の話なんだけど、騎馬戦は全員参加だ。あと、リレーに関しては体育の記録順にこっちで決めてみた。あとは適当に出たいものを選んで被ったら抽選という形でどうだろう?」
田島の提案に特に反対意見も出なかったので種目別にリレーの選手が黒板に書かれていく。ざわざわとクラスメイトが騒がしくなる中、頼人がこそこそと席を離れて俺の元へとやってきた。
「ねね、二人三脚出ようよ。ますみん」
「あー……めんどくさそうな種目だな」
「借り物競争よりマシだよ」
「……まあ、確かに」
「決まりね、立候補しよーっと」
周りの声にかき消されるくらい小声で喋る。頼人の嬉しそうな声を聞きながら黒板をじっと見ていると、百メートル走の欄に俺の名前があることに気が付いた。意外にも俺はクラスの中で足が速い方らしい。アルファの生徒もいるし、田島のようなスポーツ特待の生徒もいるからてっきり入らないと思っていた。
へえ、と感心していると隣でしゃがんでいる頼人がそういえばと思い出したように手を叩く。
「ますみんの足の速さ、クラスで五番目だわ。確か」
「そうなの? 何で知ってんだよ、そんなこと」
「えへへ、企業秘密ー。二人三脚で足引っ張らないようにしないと」
ぺろりと舌を出して笑う頼人に男がやっても可愛くないぞと呆れる。そもそも企業って、お前そういう職業営んでないだろう。
種目は次々と決まっていき、残すところ応援合戦のみとなった。見たところ希望者も多いし、俺には関係ないだろうと安心しきっていた時だった。隣でしゃがんでいた頼人が両手を上げた。
「はい! はい! 応援合戦はますみんを、須賀真澄くんを推薦します!! 」
「はあ?」
「みんなもみたいよね? このクールな顔で熱い応援、たまにくるファンサービス……絶対出てもらった方がやる気出ると思います!!」
「おい、頼人やめろって」
熱弁している頼人を抑え込んで黙らせようとした時、我妻が手を上げて立ち上がった。救いの手か? と思ったが、どうやらそうではないらしい。
「ぼ、僕も、須賀君の学ラン姿見たいです……」
「それは僕だって見たいかも……」
「確かに我妻君が言う通り、学ラン姿は見たい……」
普段あまり喋らない我妻の言葉に同意する生徒がちらほら出始めて、最早田島の視線があとはお前の同意待ちだと言わんばかりの物になってしまった。観念して、小さくため息を吐きながら答える。
「頼人が出るなら、デマス……」
やったーとクラス中が歓喜に満ち溢れる。両手を上げて喜んでいる頼人は、後で絶対シメる。
押し切られてしまったことで、出場種目が予定外に増えてしまったことに不貞腐れているとチャイムが鳴った。もうそんな時間かと体育委員が時計を見て世良にとりあえず決まったところまでをまとめて提出する。
「はい、お疲れ」
紙を受け取った世良は怠そうに欠伸をしながら立ち上がって号令を促す。
「じゃ、ホームルームは以上な~。体育祭もそうだが練習はサボんなよ。勝ったら食堂で飯奢ってやるから気張る様に。そんじゃ、頑張れ」
頑張れと言ったって。という生徒の目を無視して世良は教室から出て言った。丁寧に書かれた文字を見直してため息を吐く。応援合戦なんてめんどくさいものを引き受けてしまった以上やらざるを得ないのは分かるが、せめてその内容くらいは知っておきたいと頼人に声をかける。
「応援合戦って何をするんだ?」
「んー? 学ラン着て応援するだけだよ。今年はどんな感じになるかは知らないけど、毎回いろんなパフォーマンスしてるね」
「へえ……」
学ランなら昔着ていたし問題はないか。ただ、まあ……問題は、パフォーマンスっていうやつかな。派手じゃなければいいけど。
なんて考えていた愚かな自分を恥じたい。
応援合戦の会議が丁度今日の放課後にあるってことで一緒に出る田島に誘われて、俺と頼人は第一会議室なんて部屋にやってきた。この教室は主に生徒会や風紀、その他の委員会が会議に使う部屋らしく、机が輪になって配置されている。
田島と頼人の後ろに続いて室内に入ると、視界に突然、見慣れた茶髪が飛び込んできた。
「真澄くん! やっほー! 応援合戦出るんだね、嬉しいな~。赤組同士頑張ろうね~!」
抱き着いてきた男を見て俺は顔を歪める。ご機嫌な様子の男はすりすりと頬擦りをして俺という生き物を堪能していた。不快感に眉を顰めていると、目の前に生徒会書記の唯川が立つ。軽く頭を下げると、にこりとも笑わない男は軽く会釈をして俺から百合を引き剥がした。
「百合。会議遅くなるから」
一言で百合を宥めると、唯川は俺に向き直って少し、本当に微妙な差だが口角を上げた。
「よろしく」
手を差し出す唯川にその手を握り返して握手を交わすと、満足した様子で彼は百合を連れて部屋の奥の席に座った。唯川が腰を下ろした反対隣には生徒会長の原田が座っている。
応援合戦の面々を確認しておこうと室内を見渡すと、ほとんど見知った顔であることに気が付く。まず、百合と唯川、会長の原田に風紀の山本、あとは見たことある二、三年がちらほら。これで全員なのか? と自分たちに宛がわれた席に着くと、三年のD組だけ空席であることに気が付いた。
誰が来るんだろうかと首を傾げていると、引き戸が音を立てて開かれた。振り返ってその姿を確認すると、入ってきたのはミルクティー色の髪の生徒と親し気に話す花見と、その後ろに眠そうに立っているいかにもスポーツマンといったいでたちの黒髪の生徒だった。三人は空いている三年D組と札の置かれた席に着く。
もう会議は始まるのか? とそわそわしていると、またドアが開く音がして、そこから世良が姿を現した。
「お? もう全員集まってんのか。会長、始めていいぞ」
生徒一同を確認した世良は原田に手を振る。それを確認した原田は百合と唯川に指示を出した。百合がスクリーンに映す資料をパソコンで操作する係で、唯川が決まったことなどを書きまとめる役割らしい。原田が指示した資料は手元に配布されているものと同じもので、内容は大変分かりやすく配慮されていた。
「今回の応援合戦のテーマはダンスになる。毎年テーマがあって、それに沿ったパフォーマンスを行うんだが、ダンスということで練習時間もまあ必要になるだろう。空いた時間個人で練習もしてくれて構わないが、くれぐれも怪我のないように」
原田が全員を見渡してそういうと、各々が首を縦に振る。端の方でパイプ椅子に腰かけて話を聞いていた世良も頷くと、組んでいた腕をほどいて「練習だけじゃなくて本番でも怪我したら後々の競技に響くから、細心の注意を払え」と言う。
にっと笑んだ黒髪が、夕陽に透けてキラキラ光った。
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