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第7話

しっちんくるわ の あおふじ は つるだち おふじ に おそわれて ななお の おめぐり めのまえ に かくり と こうべ を たれたって しにん に くちなし あわれなり ふじを なのる おかた には それ それ おんりょう とっつくぞ 夜の縁側で、とんたんとんたん、鞠の跳ねる音がする。 御巡り家に住み着いた双子の童子、双葉の仕業である。 鞠つきに合わせて、青藤の死を匂わす詩歌を詠うのだ。 それを遠くに聞きながら、影女のお佐代は青藤が担ぎ込まれた部屋の襖に影を落とした。 止んだ歌の後に、「きゃあ」「きゃあ」と二つの戯れた悲鳴を聞く。 「おいたわしや、お客人の兄さん、」 影と同様、儚げに揺れる声は、今朝方御伽をした人物に向けられた。 そして、しくしくと女々しく啜り泣きを始める。 「お佐代ねえさん、わらわ達の歌が目に染みたのか?」 「悲しくなってしもたのか?」 「この双葉の歌が目に痛かったのか?」 「どれ、てあてがいるか?」 「目に良き薬は、庭にはあるか?」 影に距離を置いて、双子の童子は互いに掛け合う。 それを聞けば、影はより一層大きく揺れて、啜り泣いた。 「お佐代ねえさん、泣き止まぬよ」 「双葉のせいじゃ」 「何を!双葉のせいじゃ」 「何を!双葉のせいじゃ」 「いいや、双葉のせいじゃ」 「いいやいいや、双葉のせいじゃ」 「喧しい」 啜り泣く声も、掛け合いも、不意に闇から放たれた一言に、ぴたりと止む。 影は消散し、二人の童子は屋敷の奥へと走り去る。 闇の中には、結った髪を解き、床にまで届かせた恩坩の姿があった。 両手の盆の上には、急須と空の湯飲みがある。 屋敷の廊下中央にある客間の前に、両手の塞がった恩坩が立つと、誰も手を触れずとも襖はするりと通りを開けた。 恩坩が入ると、自然に閉まる。そういう術が掛けてあるのだ。 部屋の中には、布団が一つ敷いてあった。 が、眠る者は居ない。 開け放った障子から降り注ぐ月光に照らされながら、この部屋に通された人の子は片膝を立てて座っていた。 新たな着物の色は藍となったが、どの色もそつなく着こなすから、恨めしい。 窓の外を、青白い光が飛び交っている。今はそういう時頃。 「矢張り、起きておったか」 「一時前より」 一点に何かを見詰めた儘、人の子は短く返事を寄越す。 一点とは、文机の上の鳥籠である。 中には三寸程の小さな鬼が居った。 人の子が悪戯に、籠に指を突っ込むと、きぃきぃ、喧しく鳴いて甘く噛み付く。 鬼にしてみれば甘噛みではないのだが、何せ体がこまいので、人の子は痛く思わなかった。 「……、体を起こしても、悪くないのか」 「不思議とな」 「そうか」 恩坩は人の子の傍らに盆を起き、急須から白湯を湯飲みに注ぐ。 ほかほかと湯気を立てる湯飲を差し出せば、人の子は緩く首を横に振る。 「青藤で」 よいよ、とは言わなかったが、青藤と呼ぶ事を許した様な口振りに、今度は恩坩が首を振る。 「お前には、新たに名を授ける」 「…何と」 「富士。暫しはそう呼ぶ事にした」 「藤と不死と、富士に不治。ひい、ふう、みい、よ、四つの意味を持つ名かな」 「不二の意味もあるだろう」 指折り数え、多種の意味を持つ名に、富士は「多過ぎはせんか?」と笑うた。 此処に来てから、恩坩を前に、初めての笑みだった。 恩坩もつられ、「長けた名であろう」と誇らしげに笑う。 今夜は静かなもの。 二人の間に訪れる沈黙が、際立つ夜である。 「鬼とは。人の魂を食らう者。我先にと、お前を食うたは、そやつであった。私は、何もお前が欲しいが為だけに食うたのではない。鬼に落ちれば地獄故、助けてやりたかったのだ。此処まで追うて来るとは、思わぬ事だったがね」 「私は、己が好かぬ身。投げ槍に生きた身。良い糧であったろうな。地獄は…、恐ろしい。鬼も…我を失う故に、恐ろしいよ」 「そうだろう。……未だ、浄土には間に合うが、お前は未だ尚、己を好かぬか?死にとうて堪らぬか?」 「未だ尚、好かぬよ。唯、今暫くは、留まりたく思う」 口を突いて出た未練に、富士は視線を泳がす。 何故そんな事を言うたか、富士にも解せぬ。 「お佐代の、御伽が中途でな」 「先は、それが終わった後、考えれば良いよ」 「お前の腕が枷とならぬ内、覚悟しよう」 「良い心意気だ事」 二人は、けらけらと声を上げた。笑い飽きると、黙り込む。 今度は、お互いに口を開きはしなかった。 「そろそろ私は、部屋へと戻ろう。お前の所為で、物書きが一切進まぬ」 やがて、恩坩が腰を上げるまで、二人は沈黙を守り続けた。 立ち上がった恩坩は、富士の乱れた髪に手を差し込み、ゆるりと撫でてやった。 拒む事なく、富士は目を伏せる。 花魁時代の名残か、それとも、そうでないのかは、判断出来ぬ。 「膳は後程、狐坊に此処へと寄越す様、伝えよう」 背を向ける恩坩を見遣る。師走の寒風が部屋に入って来た。 「めぐる、」 襖を開ける手前、拙く名を呼ばれ、恩坩は歩を止める。 「今宵は冷える」 何だ、と言う前に、富士は言うた。 「寒い」 またも、返事をする前に、先を越される。 それが、富士の強請りなのだと気付くと、頬が緩んだ。 振り向けば、富士は両膝を抱え、その上に顎を乗せている。 流し目で恩坩を捉える顔は、酷く幼く見えた。 「全く」 鬼の手前、素直じゃない、と言うのは控えた。 ほれ先に、と顎で指せば、富士は緩慢な動作で立ち上がり、布団に身を包めて目を伏せる。 追って恩坩が布団に入れば、富士の体は氷の如き冷たさだった。

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