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第10話

先ず、一行は庭の奥へと進む。 すると、其処には随分と古いと見られる祠が一つ観音開きの戸を全開に、口を開いていた。 妖怪達は何の躊躇いも無く、ずいずいと進んで行く。 富士も中へと入ったが、宙を踏むに似た感覚によろめく。 上手い具合に肩持ちが居て助かった。 「青藤殿、加減が宜しい様で。巡りの力も凄いものですな」 「傷一つ残ってはいないね」 肩持ちを担うは、川の河童か、口は嘴の形をしていた。 富士とは逆方の手には、杯が握られており、時折頭に掛けている様だ。 時間にしてみれば、そう長くない時間ではあるが、底なしの沼の上を歩くに似た道を歩くのは酷く長く感じる。 それを察した妖達が、暇を持て余さぬ様にと話し掛けてくれたお蔭で、途中足を止めずに済んだ。 やっとの事で、地に足着かぬ道から抜け出した時、目の前には、七珍の町が広がっていた。 七珍の裏の山へと出たらしかった。 長い旅路を目の前に、三ツ歯の下駄で外八文字に努めて山道を下るのは、骨が折れる。 「長いな」 「いいや、今日は遠方からも助けが来ているらしいよ」 唐傘を手にしている此方の傘持ちに、面はない。 如何にして物を言うのか解らぬが、のっぺらぼうが言うなり、前方後方の妖怪達は宙に浮いた。 見れば、烏天狗に天馬、火の車と言った空を得意とする者たちの手を借り、足を借りだ。 富士も、一人の烏の手を借りて、空へと上がった。 一生の内に、空を飛ぶなど思いもしなかった富士は驚く。 「何、目を閉じていれば直ぐだよ」 「いいや、見ているよ」 初めての景色は、素晴らしかった。 見た事のない方向から眺める七珍の町は、もう真っ暗で、時々灯りの残る廓がある程度。 自らの力で七珍へと向かう火の玉達が、山道を駆け下り光の筋を作っている。 「良い眺めだ」 「ほら、もう着くぞ」 横を天馬に跨った河童とのっぺら坊が追い越して行く。 火の車が引く荷台に乗った狐達にも追い越された。 そうして、尻から数えた方が早い順で、富士は七珍の町の中に降り立ったのだった。 いよいよ、花魁道中が始まる。 ずりり、ずりり、下駄を引き摺る音を響かせて、七珍の大通りを歩けば、廓の窓から此方を覗く者もちらほら。 中には、「ぎゃっ」と悲鳴を上げてぴしゃりと窓を閉じる者も居た。 それに機嫌を良くした妖怪達は、列を離れて屋根に登り、窓を叩く。 またも悲鳴が耳に入った。 「ひっさし振りの、大成功じゃ!これも、青藤のお蔭じゃな!」 「みな、喜んでいるな」 新造の形に化けた狐坊が嬉しそうに富士に駆け寄り、背後から言った。 人を脅かすのも初めての富士は、何より妖達が嬉しさに跳ね上がるのが楽しかった。 だが、富士は、後に自身が脅かされる事となる。 それは、七宝屋、即ち富士が生前世話になっていた廓の前を通り掛った時だった。 前方を歩いていた妖怪達と、火の玉が七宝屋の前に屯している。 何事かと、河童に問うと、どうやら子が一人道中を眺めているとの事らしい。 顔を伺おうと、其方を見詰めて歩を進めると、矢張り妖怪達に囲われている子には見覚えがあった。 「おいらんちのねえさん!」 妖怪達の隙間から垣間見た顔に、思わず視線を逸らすが、子は声を掛ける。 心に苦しいものを感じ、敢えて無視を決め込むが、子は列の最前へと周り、金棒引きや禿達の間を潜り抜けて目の前に立ちはだかった。 「おいらんちのねえさん…っ!」 七つ程の子は、わなわなと震えながらも、必死に富士を呼ぶ。 立ち止まるを余儀なくされた富士は立ち止まったが、子に目を向ける事は無かった。 「これは…ねえさんのだけんね。お返しせんば、あたいは夜も眠れんと、ようと泣いてばっかりおらないけんけん…」 南の田舎から、七珍の町へと預けられた子は、訛りが酷い。 懐から沢山のものを取り出して富士に差し出す。 懐の何処に入っておったか、手鏡に煙管に簪、そして翡翠の首掛け。 それを目にして漸く、富士は子の方を見遣った。 「葵、ねえさんは妖の世の、恩坩と言う狐に身請けされたのよ。強く生きよ、鬼に巣食われぬ様に、強く、強く。ねえさんの分まで、生きておくれ」 多く差し出されたものの中から、翡翠の首掛けだけを受け取って、一度子の頭を撫でると富士は再度足を前に進める。 子は金棒引きの天狗が道の隅へと押し遣った。 「ねえさん!あたいは忘れんけんね!ねえさんの様になるとだけんね!ねえさんも、あたいの事ば忘れんでおってね!」 後ろ遠くに葵の叫びを聞き、富士は目尻に溜った涙を拭う。 もう葵の姿を見る事が出来ぬ、葵の成長を見届ける事も出来ぬ。 そう思うと、自然と涙が溢れた。 「良い子になろう」 「ああ、私の一番大事な大事な、妹だもの。直ぐに私を越えるよ」 河童ものっぺらぼうも、富士を宥めた。富士は強く頷く。 残り僅かな道程を、妖怪一行は富士に合わせて鈍い歩みで進んだ。 残された葵は、列の尻が闇に消えるまで、その場に立ち尽くし、残った足跡を眺めた。 富士の尻に二尾の尻尾を見た気がして、恐ろしくなり両手に残った形見を抱き締める。 「おいらんちのねえさん、」 ぽつりと小声で呟いた名は、夜明け前の暗闇に溶け込み消え去った。 七珍の奥、高い塀の行き止まりに打つかった頃、東の空が白み始めていた。 引き上げ!、と狐坊が指示すると、今度は妖達は大きな荷台となり、駆けつけた天馬に引かれて妖の世へと急ぐ。 富士は荷台の真中に腰を下ろして、人の世を見下ろした。 「おさらば、」 七宝屋に戻る葵が見えた。今程、終えた道中の、残した足跡が薄く見えた。 それに向かって、富士は小さく手を振ったのだった。 見る間に遠くなった七宝を背に、人の世にも同じく置かれた祠へと、妖達は飛び込む。行きは四苦八苦した暗闇も荷台に居れば楽なもの。 あ、と言う間に恩坩の屋敷の庭に出れば、早々と妖達は元の姿へと戻り、四法八方に散らばった。 屋敷に住み着く者達と共に、表口より屋敷に入れば、部屋へと戻って富士は帯を緩める。 長襦袢姿になると、櫛を外して暫し寛ぎに入った。 その後、富士が恩坩の部屋へと出向いたのは、唯の気紛れだった。 人の世へと下る事を提案した者へ、如何であったか話でも聞かせてやろうと、それだけだった。 しかし、部屋に恩坩は居なかった。 件の物書きの途中だったのだろう、冊子が開かれた儘、文机の上に置かれていた。 盗み見申し訳と覗いた冊子の中、達筆な字で書かれている内容に目を見張る。 何百と言わぬ頁がある冊子を前に捲り、話の始まりを見つけると、富士は黙読した。 “そうして私は、昔拾うた人の子『青藤』に二つ目の尾を渡した事によって、軟弱な身となったが、今、酷く幸溢れる心に温いものを感じているのである。” そう締め括られた物語の始まりは、 “此れは、私が拾うてしまった人の赤子『青藤』について書き記したものである” と、なっていた。

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