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第11話
此れは、私が拾うてしまった人の赤子『青藤』について書き記したものである。
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つい先程、赤子の声が喧しくて眠れぬと、我の屋敷に狢が飛び込んで来た。
狢曰く、贄殿表の麓に根付く、野生の藤の足元に赤子が転がされていると。
我も向かうと、確かに赤子が一人居った。
如何にして、此方にやって来たのやら、大方妖が攫って来たと見受けるが、この喧しさに妖も逃げ出してしまったのだろう。
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確かに喧しい、これじゃ妖達も眠れぬし、何時何時悪名高い妖の手に落ちるやも解らぬと、腕に抱いても泣き止まぬ。
本に喧しい赤子である。
屋敷に連れ帰る頃になって漸く泣き止んだ子だったが、家中に住み着いた妖達は、邪険な目で見る。
人の子を家に上げるなど、巡りは気でも病んだのか、と憎げ言まで聞こえてくる有様だ。
それでも我は、巡りとしての役目を思い返すと、人の子を外に放る事は出来なかった。
唯、我の屋敷、結界を施していない為、赤子は攫われるかも知れぬ。
我は一つ、尾を分けてやる事にした。
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屋敷中央の部屋に寝かせるが、夜半になれば泣き出す声が我の部屋まで届く。
そんな毎日に、厭わしく思っていた頃、影女の「佐代」と名乗る者が屋敷に現れた。
何用かと、もう充分妖に溢れる屋敷に新参が遣って来る事を拒んだのだが、何とその佐代、赤子の面倒を見るのだと言う。
手出し足出し出来ぬ分、口出しをして助けて遣るよ、と言うから、拒みはしなかった。
言葉通り、佐代は屋敷中の妖に口を出しては、赤子を泣き止ませるに努める。
我がこうして、赤子の経過を書き記せるのも、単に佐代のお蔭だ。
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佐代が居着いてから、またも新参が現れたのが、昨日。
双方「双葉」と名乗る、何とも扱い辛い童子が二人。
お佐代ねえさんの力になるんじゃ、とせっせと働いている。
これまた、微笑ましいから、我はまた妖を囲う事となってしまった。
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巡りの尾を持つ子、と噂は広がり、赤子の顔を一目見ようと妖が集う。
一々茶を出すのも骨が折れる事。
今日より、暫し、狐坊に手伝いを頼む事にした。
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もう時期、赤子が屋敷に参ってから、三月。
随分と暑くなったものだ。
佐代は相変わらず口を出して赤子を泣き止ませる。
双葉も妹が出来た様で嬉しいか、世話を焼いてくれる。
狐坊は、味は兎も角、客にも我等にも飯を作ってくれる様になった。
先日、佐代が赤子に名をやってくれ、と我の部屋までやって来て頼み込んで来た。
何が良いかと長らく考えたが、藤の足元で拾うたから、「青藤」と名付けるに決める。
子ながらに、顔は良い。
我の尾も持つ身、あの藤と同じく、綺麗な顔の人へと成長しよう。
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随分と書くを怠ったが、もうやがて、赤子が参ってから一年。
最初は泣いてばかりであった赤子も、我を見るなり笑みを見せる様になった。
座る事も出来る様になったらしく、双葉の鞠を転がしていた。
鞠を食うてみて、妙な顔をする仕草の可愛い事可愛い事。
佐代が「御巡りはどれだろうねえ」と言えば、我を指してくれる。
賢き子だ。
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最近また、良く泣くのようと、佐代がごちる。
飯が気に食わぬ、遊びとうない、お前の腕は好かぬ、と。
言葉はないながらに、泣くのだそうだ。
我も先程、顔を見せたばかりで泣かせてしもうた。
余りの賑やかさに、眠りを損なわれ、少々怒り顔で参ったがいかぬかったか?
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佐代を「まっま」と呼ぶ様になった。飯も「まっま」だ。それに対して佐代は不満であるらしい。
双葉は「ねっ」、狐坊は「こっこ」。
ならば、我はと問うたが、口を尖らせ教えてはくれぬ。
歯痒い
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「めぐるるる」と不可思議な名で我を呼び、後を追い掛け回す様になった。
ならぬならぬ、と童子が抱き抱えると床に転がり暴れる。
我の部屋では静かなものだが、こうして物書きなどをしていると、後ろから着物を引っ張ってくる。
少々、鬱陶しく思う。
本は可愛い。
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また時が過ぎた。
青藤は、此の所調子が優れぬ。
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人の子の調子が優れぬ、と天狗に相談したが、天狗は唸るばかり。
どうしたものか、青藤の顔の青さは日に日に増してゆく。
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天狗が、わざわざ我の屋敷に出向いて、言うた。
人の世へと返すべきだ、と。
佐代も双葉も狐坊も、余り乗り気ではない。
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二晩、青藤は眠り続けている。
青藤はあの時此方で死ぬ一途であったのを、御巡りが助けて遣ったのだからと。
あの時より長く生きたのだからと。
此方で死んでも誰も文句は言わぬよう、私はあの子を手放したくないのよう。
そう佐代が泣いて訴えた。
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漸く、青藤は起きたが、起き上がれぬ様だ。
此処で腕を上げた狐坊が作る粥も喉を通らぬとの事。
もしや、目耳を失ったか。
目を開いている青藤に誰が何を言おうと、反応がない。
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青藤の命が、近々事切れるのを夢に見た。
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やむを得ぬ。
皆が寝静まった後で、我は青藤を抱えて人の世へ出た。
七珍で唯一馴染みのある、七宝屋の番頭に頼み込み、住まわせる事となった。
我の手から、青藤が離れる時、寂しさを覚えた。
やむを得ぬ事だろう、と奥歯を噛み締め、別れを告げ、今先程戻った所だ。
青藤には、尾を隠す術と、人の世で生を繋げるようにと術を施した。
此方での記憶も奪い葬った。
此れで良かったのだろうか、此れで良かったのだ。
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青藤の居らぬ部屋を見、意義を申し立てに来た四人の妖に訳を話すが意味は通じぬ。
初めの頃の、青藤より喧しく泣くばかり。
やむを得ぬ事、やむを得ぬ事。
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青藤を拾うた藤へと出向き、根を掘った。
それを庭先に植え、棚を作った。
我と望む者にしか、見れぬ様に術を掛け、今日から育てる事にする。
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長く、日が過ぎた。
久々に下りた人の世で、青藤の面を見る。
元気そうだ。
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妖達には内密に、今宵も藤の青面を見た。
良き人に育った。
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狐坊の姿を借り、廓を覗いた。
どうやら、私の姿が見えた様。
七珍での暮らしは苦しいか、格子の外へと出たい意が読み取れた。
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大きく育った青藤が花魁となったと言う。
数多の人の男に掻き抱かれ、花魁となったと言う。
少々、苦い。
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嗚呼、もう私は、人の世へは下りぬ。
この屋敷からも出ぬ。
もう飽いた。
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近頃、一人の男娼に鬼が憑いたと天狗から聞いた。
大方検討は付くが、あの子だろうと言うと、天狗は笑うた。
助けには行かぬのか。
助けには行かぬ。
天狗は賢い故、疎ましい存在だ。
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──、浅はかよの。
人の世へと下りてみた。
鬼が巣食う寸前、青藤は死に憧れていた。
気付けば先に、我の体が動いていた。
時既に遅しとは、正にこの事。
尾をまた一つ渡し、青藤を持ち帰るに成功した。
あの日、我に意義を申し立てた四人の妖は嬉しさに舞った。
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起きた青藤に法螺を吹く。
怒りの目に、鬼の姿を見た。
此処まで着いて参ったか。
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青藤が屋敷を出た、と狐坊が騒ぐ。
我は、今から追う。
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我の尾を持つ故、人間とも妖とも言えぬ匂いを頼りに外を歩く。
やっと見つけた時には、藤の足元で、倒れていた。
あの頃と同じだ、と思った。
藤は枯れた。
青藤を守り、藤は枯れた。
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青藤の鬼を外すに成功する。
枯れた藤を思えば、我も何時か、青藤の下枯れてしまうのではないかと考える。
既に尾は二つ、失った身。
懇親の力で、鬼を払った身。
それでも、我は良いのだ。
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我は、青藤を好いておる。
それで、良いじゃないか。
この話は、もう終いにしよう。
嗚呼、括りには、此れを添える事としよう。
そうして私は、昔拾うた人の子『青藤』に二つ目の尾を渡した事によって、軟弱な身となったが、今、酷く幸溢れる心に温いものを感じているのである。
恩坩
富士は口に手を添え、嗚咽を洩らした。
全てを知り、溢れる物を堪え切れずに、嗚咽を洩らした。
もう夕餉の匂いが香る朝だった。
なのに、恩坩の姿は見当たらぬ。
それが意図する事が何なのか、知った富士は泣くしか出来ずに泣いていた。
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