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第12話

昔々、名も無き狐は、山の神の命を受け、人の世を駆け巡り、見付けた哀れな人の子を囲って暮らしておった。 人を囲う狐は何時しか「巡り」と呼ばれ、妖達に敬われたが、ある日、人の子へと尾を捧げて、姿を消した。 巡りの尾を継いだ人の子は、巡りの姿が消えた後、三日三晩と泣き続け、二尾の尾を持つ狐へと形を変えて、此方も姿を消したそうな。 そんな話が、妖達に広まった頃。 昔々に枯れたとされる大藤跡に住み着いた狐が、深い眠りの底から目を覚ました。 天を仰げば、枯れた筈の藤が満開に開いている。 狐は、目を細めながらゆったりと体を起こすと、静かに歩み始める。 行き着いたのは、昔「巡りの屋敷」と呼ばれた屋敷跡地。 家主が消え、屋敷中の妖が逃げ出し、屋敷自体に憑く神すらも姿を消した跡地には、木片が散らばっていた。 とある部屋のあった場所を手で掻くと、中から藍色の着物と翡翠の首掛けが顔を出す。 一度、首を傾げると、翡翠の首掛けを咥えて、狐は再度、大藤跡へと引き返した。 そうして、持ち帰った翡翠の首掛けを藤の根元に穴を掘り埋めると、狐はまた体を丸めて眠りに着いた。 狐は、長く夢を見ていた。 長い髪の良く似合う、男が二人寄り添う夢だ。 二人の男が住み着く屋敷には、山程の妖達居着き、賑やかだった。 それが、一人の男が姿を消した事で、屋敷も何もかも崩壊する。 後味の悪い夢だった。 狐は飛び起きた。 辺りを見渡すと、山奥の洞穴の中。 狐は駆けた。 山の荒道を、全力で駆けた。 “戻らねば、帰らねば、っ” その一心で、山を駆けた。 狐は、屋敷の跡地に辿り着いたが、何も見当たりはしなかった。 尾を垂らし、屋敷の周りをぐるぐると巡る。 それでも、何も見当たりはしなかった。 佐代、双葉、狐坊、鳴家、天下り、天舐め、壁座頭、河童に天狗、のっぺらぼう。 どの姿も見当たらぬ。 唯、酷く嗅ぎ慣れた匂いが鼻を擽った。 匂いを追うと、藤の咲く隠し庭へと辿り着く。 “嗚呼、藤が戻っておる。枯れた藤が、” 狐は藤を仰ぎ見た。 何時かの美しさを其の儘に、満開に花を咲かせていた。 嬉しさに涙を流せば、霞む視界の中に、一匹の狐を捉えた。 “お前は、” 声を掛けると、寝惚け眼で狐は此方を見遣る。 “お前は、っ” “──……、漸く、帰って参ったか” よろりと起き上がった狐は、何時かの誰かと同じく、行儀良く座り、にたりと笑うた。 「似ても似つかぬ」 駆け付けた方の狐が、男の姿へ形を変え、目の前の狐を抱き締める。 待ち惚けを食らった方は、二尾の尾をゆらりと揺らした。 「私が眠って、幾許経った」 “ざっと、二百” 「待ったか、」 “ほんの一眠りの間程” 「私を、覚えておるか…?」 “巡り、いや…恩坩だったかな” 「お前の名は、…覚えておるか、?」 “私か、何だったかな……、もう随分と呼ばれぬから、忘れてしもうたよ” 男の腕の中、狐は涙声で笑って見せる。 肩に乗せた鼻先を、恩坩と藤の匂いが擽って、懐かしさを覚える。 「あ、おふじ、だろ…う、」 “……富士ではなかったかな” 「そうだったかもしれぬ、呼ばぬ内に忘れてしもうた」 “名を忘れる程に長い間、お前は私を待たせて居ったのよ” 「すまぬ」 久々に姿を戻した、二尾の狐の方、青藤は「けだるい」と恩坩に向かって手を伸ばした。 昔より更に細った体を背負うと、恩坩は家路に着く。 「青藤や、お前は私が好きか、」 「いいや、好かぬよ」 「…また、鬼に憑かれるぞ」 「もう鬼は居らぬじゃないか」 「新たな鬼が憑くやもしれぬだろう」 「憑かぬよ」 「もう一度改め聞くぞ」 「聞かずとも、分かっておろう?」 「聞かねば分からぬ」 「好かぬよ」 「其処等に放って勝手に帰っても良いのか?」 「ならぬ」 二人は、久方振りにけらけらと声を上げて笑うた。 笑いながら、帰り着いた屋敷の跡には、三人の妖が待ち構えていた。 「御巡り殿!青藤殿!」 「青藤殿ーっ!」 「お佐代ねえさんは、後程参るーっ!」 「ほんに、二百も経ったのか?」 「ほんに、二百は経った筈だが」 「あやつ等、何も変わらぬな」 また、二人は、けらけらと声を上げて笑うた。

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