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【第2章】第15話
狐の姿より形を変え、“お巡り家の大藤守”を任された青藤。
任命されたその時より、黒眼は藤色へと変化し、着せられる着物も白か藤の二択に絞られた。
長い黒髪も、時折は濃い紫に見える時もあり、「藤の守神だ」と言えば、通じる形である。
巡りが長年、手塩に掛けて育てた大藤に、元は人であった者が神として選ばれ憑いた、との噂は忽ち広まり、暫くは妖達が花見に訪れた。
本日もまた、数多の妖達が訪れ、守神となった青藤に世辞を掛けた。
すっかり疲れてしまった青藤は、影女の為に用意された部屋にて足を伸ばしていた。
この部屋には窓は無く、昼夜問わず真暗である。
「今日も、多かったのう?」
「北の地からも南の地からも、名も知らぬ妖が参っておって」
「それは、お疲れだわねえ」
どの暗闇に紛れているやも知れぬが、佐代は確かに部屋の中に居った。
唯一佐代が入る事を許された部屋である。
恩坩と言ったら、人、いや、妖の前では尤もらしい振舞いをするが、青藤の目の前では子供返りをした猫の様。
毎朝毎晩世話をする青藤は、偶に嫌気がさすと、佐代の部屋へと逃げ込むのだ。
図々しくも、青藤専用の布団まで用意されていたりする。
「お巡りとは、上手くやっているのう?」
「恩坩?上手くとは?何もやってはおらぬよ、この身を捧げたりもしておらぬし、身を捧げられてもおらぬ」
「何よう、ずうっと一緒に居るのにい。好き合っているんじゃなかったのう?」
「この世に来てから、二百と経ったが、恩坩と顔を合わせたのは最初の内と、此処最近の事。恋慕とは違うのだから、何が起こると言うのよ」
「焦れるものだわあ」
青藤は、未だ分からずに居た。
真、長く此方では世話になっているが、恩坩と顔を合わす機会が増えたのも、此処最近の事。
人として生きる中にて、恋慕とやらを抱いた事もなく、此方に来てしまった。
何を恋慕と呼ぶのか、さっぱり見当が付かぬのだ。
確かに、接吻は許したが、それきり。
花魁は接吻を簡単には許さぬ。
しかし、口唇を合わすのも体を合わすのも、何も一人としか出来ぬ訳じゃなかろうし、情が無くとも出来る。
第一、恩坩は私を身請けしたのだから、恩坩が望めばやらねばならぬ。
さっぱりだ。
恩坩がまた二百も眠り、己の前から姿を消す事があれば、それは淋しいと思う。
それ位の事だ。
馴染みの客が、長らく顔を出さぬ時、「嗚呼、どうしているのだろうか」と考えるのと同じ事であろう。
その程度にしか、青藤は考えて居なかった。
「あらあ、珍しいお客だわよう、青藤」
不意に、闇が揺れた気がした。
どちらを見ても闇なのだから、揺れる事など有り得ないのだが、佐代が動いた気配がしたのだ。
うん?、と青藤は起き上がり、他の部屋より随分と厚く重い扉を引くと、廊下を二人の女が並んで歩いているじゃないか。
「あらまあ、御巡り家大藤守様でありんせんか。茶縞」
「あい、珠綺ねえさん。わっち、茶縞おす。ねえさんは、珠綺でありんす。宜しくえ?」
「わっちら、吉原の花魁に飼われてんした猫姉妹の、猫又でありんす」
「恩坩に挨拶をしに参りんした、大藤守様もお部屋に来なんせ」
花魁の身形をした二人の猫又に、青藤は言葉を失う。
かつて、吉原で使われていたとされる聞き慣れぬ言葉遣いに驚いたのも一つあるが、「恩坩の部屋に行くから、お前もおいでよ」と家に住まう者に言う常識の無さに呆れ返ったのも一つあった。
そんな青藤を余所に、二人はさっさと恩坩の部屋へと進んで行く。
「、お佐代……?」
「珠綺様は、お巡りを狙っているのよう、」
ついつい助けを請うべく呼んだ名に、部屋の奥から頼りない声が返ってくる。
青藤は、疲れていた体に重石を乗せられたかの如く、全身が一気に重くなるのを感じた。
「珍しいな、お前達が上がり込むとは」
「恩坩の懐が埋まったと聞きんして、これはと思うて駆け付けたんでありんす」
「珠綺ねえさんがおりんすに、浮気とは…許しは出来んせん」
「何時、お前と共になる契りを交わしたか、…私には覚えがないな」
部屋の近くまで行けば、中から話し声が洩れていた。
青藤は身を硬くして、部屋の襖を開ける。
「来なんしたねぇ」
「お出でなんし。お座りんす」
「青藤、此方へ」
女の視線が痛い。
恩坩は此方も見ずに、話の続きを始めようとする。
少々臍を曲げた青藤は、柱に背を預け三方を見下ろす。
「わっちは、恩坩が好いたのに」
「嗚呼、珠綺ねえさん、泣かねえでおくんなんし」
「泣き落としは効かぬ」
影女曰く、恩坩の隣を狙うておる女が袖を目に宛て、泣いた真似をしている。
それを妹分が宥めるが、恩坩は素知らぬ振り。
恩坩が知らぬ振りをしてくれているだけ、マシなものだが、青藤は居心地が悪かった。
「青藤」
漸く、此方を見遣った恩坩が再度名を呼ぶが、青藤は応じぬ。
臍を曲げた時、気が乗らぬ時、返事を返さぬのは悪い癖だった。
「わっちより、この男が良いと言うのは、あちきが気の毒でおすえっ!」
「客に茶も出さねえ男の何処が良いと言うのでありんすか!」
「青藤ッ!」
女が捲し立てると、恩坩までもが声を荒げる。
虫の居所が悪い青藤は眉を顰め、右耳を押さえると喧しいと言わんばかりに立ち去った。
向かう先は縁側、双葉の鞠つきの音が聞こえたので、向かう事にしたのだ。
大広間を横切れば、予想通り双子の童子は鞠をついて遊んでおった。
「双葉、私と遊んでおくれ」
「ありゃ?青藤」
「ありゃま、青藤」
「客人が部屋に居ってね、休めぬから」
「それは困ったものじゃなぁ」
「どれ、双葉が遊んでやろう!」
余所の妖より、随分と青藤に甘い双子に気を良くする。
が、胸の内に濁る邪は拭い去れぬ。
「双葉、恩坩は珠綺と言う猫又と共になるやもしれぬ。そうしたら、私等はどうなるもんかね」
「青藤?」
「青藤?」
「追い出されて仕舞うかもしれぬ。でも、私は藤の守神だからさ、藤棚からは始終、恩坩の部屋が見えて仕舞うのよ」
「青藤ぃ、お巡りと青藤は夫婦じゃろぉ?」
「お巡りと珠綺とは、共にはなれぬじゃろぉ?」
双葉に教わり、上手くなった鞠をつきながら、独り言の様に呟けば、双葉の両目にじわじわと涙が溜まる。
「双葉、何も泣かぬでも良いじゃないか。夫婦とは男と女子がなるものなのよ?」
気付けば、それは追い討ちとなり、泣く寸前だった双葉はワッと泣き出す。
呆気に取られて、鞠を庭へと放ると青藤は双子を両脇に宥める事となってしまう。
花見にやって来る妖の世話に加えて、厄介事が増えたな。
大声で喚き泣く子を両手に、青藤はうんざりとした顔をした。
「夕餉じゃーっ!皆の衆、大広間へーっ!」
鍋の底を御玉で叩きながら、狐坊が屋敷中を歩く。
離れにて、夢中で夕餉の支度をしていた狐坊は猫又の存在を未だ知らぬ様だった。
双葉と共に大広間にやって来て、席に着いた青藤の顔を見て、狐坊は首を傾げる。
「青藤殿、何かあったのか?」
「客人が居ってね」
短く返した青藤に、狐坊は「そんなに厭わしく思う客人なのか?」と首を捻るが、恩坩の後に入って来た二人の猫又を見るなり納得した。
狐坊も、この猫又を好いてはおらぬのだ。
「恩坩ぅ、今日は共に寝てくれるのでありんしょう?」
「珠綺ねえさんの頼みでありんすからねぇ」
「…、鬱陶しい」
「一晩、いや三晩程、わっちら、えええ、わっちを置いてくんなんし」
「喧しいと言うておろうっ!」
「あら?わっちらのおまんまは何処でありんしょう?」
「狐は用意してくれりゃしなかったのかしら?」
恩坩と青藤の間に割り込むや否や、口論を始め、挙句には飯が見当たらないと言う女の喧しさに、青藤はまた、眉を顰める。
恩坩も恩坩で虫の居所が悪い様で、声に棘が見られる。
青藤を冷たく一瞥しただけで、そそくさと“いなり”を食べ始める有様だ。
ぎすぎすとした空気に、双葉もむっとしているし、狐坊に至っては不貞腐れている。
楽しい筈の何時もの夕餉の風景は何処にも無い。
青藤は、一度は箸に伸ばそうとしていた手を引っ込めると、膳の乗った盆毎女の方へ滑らせた。
「どうぞ、私のをお召し上がりになられては?私は守神の身、一つ二つ飯を抜こうと、腹は足りる故」
「給仕ので良ければ、わしのをどうぞ。わしは残りがある」
「わらわ達のも良いぞ。さっき泣いたら、入らぬ様になった」
かつて、狐坊の飯を食わぬと言った事は無かった双葉までもが、箸を付けぬ。
青藤は、狐坊と双葉を呼び寄せると、広間から抜けて、藤棚へと行く事にした。
青藤だけではない、馴染みの妖達も、広間、屋敷が居心地が悪かったのだ。
ぞろぞろと、四人は広間を抜け出した。
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