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第16話

朝の柔らかな光の中。 藤棚の下で、四人は狐坊が持ち出した飯を食うた。 「あの様な夕餉、わらわは好かぬ」 「わらわも好かぬ」 「私も好かぬよ」 目を腫らした双葉が、握り飯を頬張りながらごちるのに、青藤は同意の言葉を掛ける。 此処に来てまで、双葉に泣かれては堪らぬのだ。 狐坊はさつま芋を茹でただけのものを、頬張って頷く。 「狐坊、すまないね。折角支度してくれたのに」 「良いのじゃ、わしもあの様な所では飯を食う気などせぬ」 「皆、飯を食うたら、屋敷に戻り、確と寝るのだぞ」 「青藤は?」 「私は、今日は此処で眠るから」 三人の妖が、両手を合わせて屋敷へと戻るのを見届けると、青藤は藤の葉に頬擦りをした。 朝の光を浴びて、生き生きとしている藤が好きだった。 朝を得意としない妖とは違い、元は人、そして今は立場上神となれば、時に得意も不得意も無い。 特に朝。柔らかな日差しの中で揺れる葉が、青藤は好きだった。 こうして居ると、嫌な事など全て忘れられる。 「藤、お前は私の邪の部分を、吸うのかね」 「今日は此方で休ませて貰うよ」 「上手く囲って置いておくれ」 前置きをしてから、下がる藤の花の一つに形を変える。 藤になれば、揺り籠に乗せられている様な心地良さがある。 ふと、屋敷の方を伺うと、恩坩と己の部屋には二つの影があった。 一つは恩坩、一つは珠綺だ。 要らぬ物を見た、と目を伏せる。 不思議と腹立たしさは無かったが、見続けて居たいものではなかった。 「青藤ー?」 「青藤ー?」 先程、屋敷に戻った筈の双葉の声が届き、青藤は人の形へと戻る。 藤棚を目の前に、どれが青藤か分からぬ様子で花の一つ一つに声を掛けられては、何時本な青藤に行き当たるか知れぬ。 「眠れぬのか?」 「青藤?」 「夜じゃぞ?」 そう言われて、気付く。 少し目を伏せたばかりに、既に時は夜となっていた。 「青藤はねぼすけじゃな!」 「本に本に!朝餉を持って参ったぞ!」 「此処に居ると、安心してな。双葉、ありがとう」 どちらも双葉なのだが、片方の双葉に礼を言うと、「わらわには言わぬのか?」とせがむから、結局は二人に礼を言う事になる。 朝餉の乗った盆を受け取ると、地面に胡坐を掻いて、箸を握る。 今日の朝餉は、白飯と味噌汁と言った質素なものだ。 だが、青藤は空腹に疎くなっており、やっとの事で平らげると、離れへと膳を返しに行った。 「狐坊、ご馳走様。膳は此方へ置いておくよ」 「わざわざ済まぬのう!ついでに風呂に入ると良いぞ!」 「そうする」 其の儘、浴場へと向かうと、誰一人居らずに貸切状態だった。 普段は、何故か恩坩と共になる事が多く、一人きりでの風呂は珍しい。 湯に浸かると、藤の傍とは違った安堵感が訪れる。 長く結うのを怠った髪の間に入り込んだと思われる藤の花が、湯船に浮んでいた。 浮かぶ花に湯を掛け遊ぶと、暫し浮いていたのも、静かに沈み、術に消えた。 「──……、山寺の、和尚さんが、鞠は蹴りたし、鞠はなし、」 「猫を、かん袋に押し込んで、ぽんと蹴りゃ、にゃんと鳴く」 思わず口ずさんだ歌に、猫の姿を見付け、苦く笑うが、内容としては酷なもの。 もしや、私も和尚の様に猫を蹴り上げたいのやもしれぬな。 つまらぬ事を考えて、湯から上がる。 狐坊が置いたのだろう。 白の布地に、藤の花をあしらった着物に着替えて離れを後にしようとした時、背後から強い力で引っ張られ青藤はよろめいた。 「何だ、」 「……、」 引っ張って来たのは、恩坩であった。 顔も合わせたくは無いと思う青藤を放って、恩坩は腕を離さず半ば引き摺り歩く。 「何用だと尋ねておろう」 「今朝方は、何処で寝たのだ」 「何処でも構わぬだろう」 「お前の部屋はある筈だ、なのに無断で別で寝るとは何事だと問うておる」 「部屋に女を連れ込んでおきながら、筋の通らぬ事を言うな」 母屋と離れとを繋ぐ廊下で、開放するなり壁に叩き付けられ、青藤は痛みに顔を歪めた。 「藤で寝たのか、」 「それが何だと言う」 「恩坩ぅ、勝手が分からんでありんすぅ。前に来た時とは違う間取りでありんすよぉ」 「離せ、」 母屋の方から珠綺が此方に向かって来る。 恩坩より尚、顔を合わせたくない者だ。 青藤は恩坩の胸を押し遣り、早足に藤棚へと戻った。 雨が降り出した。 前の日と同じく、藤の花へと姿を変えて休む青藤の体を雨粒が叩く。 花も葉も、青藤を労わり雨避けに励むが、隙間から落ちてくる雨に青藤は打たれながら、身を震わせた。 「青藤殿、」 遠く、狐坊の声が聞こえる。 しかし、人の形に戻る程の力が今は無い。 吊るしてくれていた蔓から身を離すと、濡れた地面に落ちた。 痛く、冷たかった。 「青藤殿っ、風邪を引く、」 狐坊は、一房の花を胸に抱き、着物の中に入れ込んで、離れへと走る。 この花の一房が青藤だと言う確証などなかったが、声を掛けた後落ちたのはこの花だけであった。 急ぎ、狐坊は花を風呂場に持ち込むと、湯船に浮かべる。 するとどうだろう、花へと形を変えていた青藤が、人の形で現れた。 「風邪を引いたらどうするんじゃ!」 「……意地だよ、」 浴槽の淵に腕を掛けて、青藤は笑う。 ぼんやりとした意識の中で、今目の前で湯船を覗く小僧が、恩坩であったら、と思いを馳せながら笑うた。 そんな青藤を見詰め、狐坊は眉尻を下げた。 「御巡り殿の部屋で、休むのじゃ、」 「……あそこには、猫又が共に寝ておろう、?」 「今日は控えて貰わねば。青藤殿が部屋で寝ねば、本に風邪を引いてしまうのじゃから」 今日は、と言う事は、矢張り昨日は共に寝ておったのだな。 矢張り、私と恩坩の部屋の床に、猫又を上げたのだな。 熱に浮かされた頭では、まともな考えが働かぬ、青藤は項垂れた。 「…、よいから、私は。藤で眠るから、」 「ならぬっ!」 ぴしゃりと叱ると、狐坊は、青藤を風呂場に残して恩坩の部屋へと走った。 「立てるか」 うつらうつらとしていた時、頭上から掛かる恩坩の声に青藤は顔を上げる。 霞んだ視界の中に、恩坩と思われる影があった。 喉の奥が酷く痛み、声が出せぬ。 「立てぬのか」 「…っ、」 ん、とすら言えずに洩れただけの息で、恩坩は察したらしく、湯に浸かった儘の青藤を抱え上げた。 「狐坊、手を」 「うむ」 二人掛かりで風呂場から青藤を出すと、濡れた体をせっせと拭き、変えの着物を羽織らせる。 青藤は眉間に皺を寄せた儘、目を開かなかった。いや、目を開ける事も出来なかった。 湯に浸かっていても寒く、背筋を寒気が幾度も駆け上っていた。 着物を羽織っても尚、寒さは止まず、寧ろかたかたと奥歯が鳴ってしまう程。 やっとの事で、恩坩が青藤を背負い部屋へと運び、布団に寝かせても、青藤は寒さに震えた。 恩坩は押入れの中より羊の毛を借りて作られた毛布を取り出し、青藤に掛けた。 その後で、己も床に入り、寒がる割に、高過ぎる体温で苦しげに息をする青藤を抱える。 「寒くはないか、」 「……、っは、」 恩坩に抱かれながら、青藤は少しばかり頷いた。

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