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第17話

「双葉、そう苛めてやるな」 珍しく縁側に顔を出した恩坩が、普段は鞠を持つ手に猫を抱えた双葉に声を掛ける。 「良いじゃないか、良いじゃないか」 「そうじゃそうじゃ!茶縞ぁ、お前もわらわと遊んで、楽しいのじゃろ?」 双葉の腕には、それぞれ一匹ずつ猫が抱かれていた。 片方は、三毛猫。もう片方には、茶虎。 猫は幾度となく双葉の腕から逃げ出し、全力で廊下を駆け抜けるが、それを許さぬのが双葉。 何の恨みがある訳でもなし、追い掛け回しては捕まえ、「駄目じゃろっ!」と猫相手に説教をする。 すると二又に分かれた尾を振り回しながら、猫はそっぽを向く。 それもまた双葉の意に沿わぬものだから、長々と躾と呼ぶには騒がしいお叱りが猫に飛ぶ。 「わらわ達の言う事を聞かねば!珠綺も茶縞も、鞠にして懲らしめるぞ!」 「わらわ達は、もうやがて、縁の童子から座敷の童子になる高貴な身のじゃ!容易き事ぞ!」 双葉に弄くり回された二匹の猫は、随分とみすぼらしい姿になってしまっている。 恩坩は縁側に腰掛け、二人と二匹の掛け合いを聞いていた。 その内、猫は再び双葉の腕から離れたが、猫には屋敷を出れぬ術が掛けてある。 更には、人の形にもなれぬ様に封印の術が掛けられているから、姿を見失っても屋敷の何処かに猫の姿で隠れているだけ。 今度は、後を追わなかった双葉達が、恩坩を間に挟む形で縁側へと腰掛けてきた。 「お巡り」 「あの猫、此処で飼うのか?」 「珠綺と共に、部屋に住むのか?」 「わらわは、それは嫌じゃけど」 「お巡りが言うなら、従わねばならぬのじゃろう?」 長さの足りぬ足を、ぶらぶらと揺らしながら、双葉はむっと口を尖らせる。 双葉達が抱えていた猫は、それぞれ珠綺と茶縞だ。 何を勘違いしたのか、浮気だ結婚だと部屋にまで押し掛けられ、恩坩は厭わしく思っていた。 増して、青藤とくれば、猫又を部屋に上げた事が気に食わぬのか、呼んでも言う事を聞かぬ。 飯にも手を付けず、良くしてくれている妖達を引き連れ、己の縄張りとも言えよう藤棚に逃げ去った。 眠る頃には戻るだろうと高を括っていたが、現れたのは珠綺の方で、一緒に寝せてくれ、寝かせぬの押し問答で昼まで眠れやしなかった。 翌日、風呂場で一度は青藤を捕まえたが、またも珠綺に邪魔された。 臍を曲げた青藤を取り逃し、歯痒さ故に思わず蹴った壁に居着いた座頭には刀を振り翳されて、散々だった。 珠綺と茶縞を客間に押し込み、「出るな」と念を押した上に、佐代に世話を言い付け、物書きを始めたのだが、今度は狐坊がやって来て風呂場に引っ張る。 見れば、風呂場で青藤が臥しているじゃないか。 急ぎ青藤を部屋へと戻して、何に対してなのか分からぬ腹立たしさを猫又達に打つけたが。 唯の猫と同じになった猫又を、双葉に預ければ騒々しさは百倍。 全く、この猫又が屋敷に入り込んでからと言うもの、気の休まる時がない。 夜になれば、青藤見たさに押し掛ける妖達の相手。 目的の者が居ないと文句を垂れる妖に、目的の者ならその藤の一房だ、と何度怒鳴ってやろうと思った事か。 一連の事を思い返しては、双葉の問い掛けにも答えをやらず、嘆息を洩らす。 「お巡りぃ、聞いておるのか?」 「なぁ、珠綺と茶縞を猫にしたのは何故じゃ?」 「何故、猫又に当たるのじゃ」 「青藤が言う事を聞かぬからか?」 「青藤が勝手ばかりやるからか?」 「ならば、青藤に言うのが道理じゃろ?」 「悪さをしたら、駄目だと叱るのが道理じゃと言う事位」 「わらわ達も分かっておるぞ?」 「お巡りは、そんな事も分からぬ阿呆なのか?」 「青藤も青藤じゃ」 「お巡りと珠綺とが上手く行けば、わらわ達は追い出されると脅しに掛かる」 「なのに、青藤は此処を離れられぬからと阿呆を抜かす」 「屋敷には戻らぬし、雨露に晒されて風邪じゃと?」 「更には風呂場で臥して、大騒ぎじゃ」 「わらわ達は、全く二人が解せぬ!」 返事をやらないのを良い事に、双葉は喋る喋る。 まだ子供だが、女には違いない。 次から次へと溢れる不満を、真に受けると頭が痛む様だった。 「そう言うな。耳が痛い」 互いの他に遊び相手、まぁ青藤なのだが。 それが姿を現さぬのが、不満で仕方が無いのだろう。 子供は目敏い。佐代も焦れている様に思うが、私と青藤とが譲らぬ故に在り続ける距離に文句を言っている様にも思う。 恩坩自身、分かってはいるのだ。 青藤が恩坩に抱く感情は恋慕に近いが、青藤がそれを認めたがらぬ。 何か妙な事を言えば、臍を曲げて佐代の所に逃げ込む始末。 無理に全てを吐露させるのは、何処か違うと思い、好き勝手やらせていたし、好き勝手やっていた。 それが裏目に出たのだと、屋敷中の妖達に責められている様で、我慢ならぬ。 勝手に開く襖を通り、畳を踏むと、頭まで布団を被った青藤が身動ぎをした。 熱がある所為で、起きているとしても、まともに掛け合う事は出来ぬだろう。 布団を背に、文机に向かう。 長年書き綴ってきた冊子を捲ると、書いた覚えの無い事がまた増えていた。 この冊子、実は既に九十九神が憑いており、恩坩が何か書かずとも、勝手に頁を進めていく。 青藤の件に関しては、確かに恩坩が書いたものだが、その先は大方勝手に書き記されたものだ。 恩坩と青藤が寝ていた二百の間、馴染みの妖が何をしていたかまで事細かにある。 何処で集めるのやら、此処に書かれている事には嘘は無い。 嘘を書こうとすれば、後に勝手に書き直される事もしばしば。 新たに増えた頁へと目を通す。 「……っう、」 「ん、?」 前回読み終えていた所に挟んだ栞から、何枚か頁を捲って流し読みしていた時に、背後から鼻を啜る音が聞こえて振り返る。 苦しいのか、泣いているのか区別は難しいが、布団の山が小刻みに揺れていた。 「どうした」 「……っ、く」 声を掛けると、更に布団は揺れる。 泣いているのだと確信すると、恩坩は布団の山に近寄り、青藤の肩辺りを撫でて遣った。 「どうしたのだと聞いておろう」 「っ、どうもっ、せぬ、う、」 掠れが目立つ涙声に、布団の端へと手を掛けて捲れば、涙で濡れた青藤の顔がある。 頬に手の平を宛てながら、どうしたのだ、と再度改めて聞く。 青藤は首を振るだけで、答えようとはしなかった。 「もう暫し寝ておれ。狐坊が薬を煎じておるが、まだ出来てはおらぬ」 布団を掛け直し、片膝を付いて立ち上がろうとした時。 半身を起こした青藤が、恨めしげに見遣るので、恩坩は再度腰を落ち着ける。 沈黙好きの二人の間に、無言の時が訪れた。 高熱に侵された青藤は、半開きの目に布団を映してぴくりとも動かぬ。 横に座った恩坩は、青藤が見ている位置と大体同じ所を一点に見詰めて両目を細める。 「めぐ、る、?」 「何だ?」 「めぐる、」 「ん」 「め、ぐるっ」 小首を傾げて、青藤を見遣ると、青藤も恩坩をじっと見ている。 口端を上げ、柔らかな表情で続きを促すと、青藤はワッと幼児の如く泣いて、恩坩の胸に縋り付いた。 珍しい事に驚きながらも、震える体を抱いて、背を撫でてやる。 着物越しにも熱い体温が、恩坩の腕の中で大きく揺れていた。 「ふ、っう……く、」 「少し落ち着け」 肩口の着物を握り締めて、青藤は泣き続ける。 恩坩にはその理由が分からず、唯背を撫でる事しか出来なかった。 充分に甘やかし、泣くだけ泣かせると、暫くの後、青藤は落ち着いた。 「落ち着いたか」 「たまきと、ねたのか」 「何故私と珠綺とで寝ねばならぬ。妙な事を言うな」 「…こよいは、そばに、いてくれ、」 「出て行ったのはお前だろう」 「ふたりがいい」 「青藤?」 「ふたりきりが、いい」 言い終えるなり、青藤は改めて抱き着く腕に力を込める。 背を何度か叩くと力を緩め、恩坩の肩口へと額を押し付けた。

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