19 / 30
第18話
「横になれ、悪化するぞ」
「…かまわぬ」
上手く呂律が回らぬ癖に、恩坩から離れようとはしない青藤。
やむを得ず、毛布を手繰り寄せて、掛けてやる。
「猫又相手に、醜い嫉妬をするな」
「っ、」
「解せぬだ、好かぬだと言う癖に、一寸私が構わぬと臍を曲げる」
「ちがう」
「違わぬ!好かぬ好かぬと言うておると、余所を向いて、私は何処かへ行ってしまうぞ」
「それは、ならぬ、」
「此処の者は猫又の様な眼で私を見たりはせぬ。だが、猫又は私をそういう眼で見るのだ。隙あらば、私を狙うのだよ、青藤」
「…いやだ」
「お前が私を好かぬと言うのなら、他を見付けたい。それこそ猫又は手近で良い相手、今直ぐ求婚する事も出来る」
青藤の肩を押して離れさせ、顔を隠す程に長い前髪を掻き分けながら、恩坩は意地悪を言った。
汚いやり方ではあるが、今回ばかりは、そうは言ってられぬ。
第一、恩坩は青藤が好きだ。
毎朝共に布団に入るのに、何も手出し出来ないのは、少々辛かった。
好いた者が隣に居れば、接吻の一つ二つはしたくなる、あわよくば其の儘抱いてしまいたいと思う日もある。
全て、必死に抑えて過ごして来た。
それを、恩坩は自分ばかりで余所見など出来まい、と甘く見られていては困るのだ。
何より、青藤に好いていると言われたかった。
「…ほんにげせぬのよっ、…こいとはなに、すきとはなに。ほんのとおかで、げせるものなのか、」
「お前は花魁を終えた後も、好かぬ者と寝るのか?身請けされたからと、それだけで易々と寝れるのか?」
「げせぬ、っ!みうけたのは、めぐるだけ。こうして、ともにねるのも、めぐるだけ。わたしは、おまえしかしらぬのよ、っ」
「ならば、仕方なく共に居ったか?仕方なしに、共に寝ておったと言うのか?」
「わたしには、おまえしかおらぬから、っ」
「……青藤、私の傍は心地良いか?余所見をされるのは嫌か?」
藤色の色素の薄い目が、行き場を失い、唯只管に揺れていた。
問い掛けの方法を変えると、青藤は素直に頷く。
普段は血色の悪い顔が、熱の所為で赤く染まり、照れている様にも見えた。
「それが、好くと言う事、恋と言う物。人の世で如何な捉え方をするか知らぬが、此方ではそう呼ぶに足りる」
「……、」
熱い頬を両手で挟み、互いの両の目を合わせて恩坩は言った。
そして、眉根を寄せ、今にも泣き出しそうな顔をする青藤に接吻をする。
前にした時と同じ様に、青藤は嫌がりはしないが、前より熱い唇にそそられてしまう。
しかし、青藤は熱に侵された身。
ぐっと我慢を決め込み、恩坩は唇を離す。
「めぐ、」
「ん、っ」
まだ互いの顔を間近に捉える距離で、熱い吐息と共に呼ばれた己の名に、返答する前に、今度は青藤が恩坩にくちづけた。
舌を割り入れ、音を立てながら絡めた舌も、矢張り青藤のの方が熱かった。
今は、こうして青藤自ら、求めてくれただけで良い。
私を受け入れてくれただけで、充分過ぎる程良い。
恩坩は、そう自分に言い聞かせて、顔を引く。
前職の名残か、淋しげな表情をする青藤にぞくりとしたが、平凡を装った。
「…本に悪化する」
「ん、」
「この所、ちゃんと寝ておったのか?神の身で風邪を引くなど、」
「かぜをひいておらねば、わたしをだくつもりであったか?」
「治れば、私の好きにさせて貰う。だから、早う治せ阿呆」
「…ん」
表情の和らいだ青藤の額を、指でつつく。む、と口を尖らせた所をまた啄ばんだ。
どうやら僅かに箍が緩んだらしかった。
嗚呼、愛しいかな我が青藤。
背中を撫で、撫で、時が過ぎるのを待つ。
程無くして、薬箋を運んで来た狐坊を部屋にやって来た。
毛布を背に負い、恩坩から離れると、青藤は布団の上に胡坐を掻いた。
「青藤、調子はどうじゃ?」
「さむくはないよ」
「じゃが、まだ熱がある。ちょいと苦いが、飲めるかの?」
「りょうやくなのだろう、のむしかあるまい」
渋い顔をする青藤に、狐坊は薬が色濃く出た湯が、なみなみと注がれた湯飲みを渡した。
何ともいえぬ色をした湯に、躊躇った様子を見せながら、青藤は湯飲みに口を付ける。
が、矢張り苦いものは苦い、不味いものは不味い。
何口か飲むと妙な顔をし、また何口か飲むと妙な顔をし、随分と飲み難そうである。
「狐坊、何を煎じた薬だ?」
「秘密じゃ!天狗から聞いた薬、ちゃんと効くのじゃから、何が入っておろうと関係ないじゃろ!」
薬の名前一つ聞いただけで、何故大きな声を出すのか恩坩には理解出来ぬが、天狗の言うた薬ならばと安心する。
天狗とは、何かと役に立つ知識を豊富に持った奴である。
随分と世話になっているから、「天狗から聞いた」と言われれば、狐坊にも何も言えぬ。
文句を言うた事が知れると、望まぬのに、十も二十も何やかんやと薬について言われてしまうだろう。
「飲んでしもたか?」
「ん、」
「ほれ、口直しじゃ」
湯を飲んだ後の口直しに、狐坊が渡した箸に巻いた水飴を咥えて、青藤はごろりと布団に転がる。
それを見て、狐坊は恩坩に目だけで「頼む」と合図すると無言で部屋を出て行った。
「ふうは?」
「物を口に入れて喋るな、行儀が悪い」
「くうか?」
「……お前と言う奴は、」
相変わらず、人の気など一切考えてはおらぬ。
僅かに箸に残る水飴を、此方に向けて差し出す青藤に、呆れ顔をして見せる。
食わぬのか?、と引く手を掴み、箸を咥えると、苦い味の後で甘みが口の中に広がった。
「めぐる、すいとるよ」
「っな、」
「すいとる、と」
「私も好いておるよ」
不意に言いたくなったのだろうか、気紛れだろうか。
ちゃんと、その意味を把握したのだろうか。
照れ隠しから背を向けた青藤の肩を掴むと、思い切り撥ねられたが、恩坩はだらしのない笑みを浮かべて口から箸を落とし、隣へと体を滑り込ませたのであった。
一刻もせぬ内に薬が効き始めたか、意外と直ぐに寝息を立て始めた青藤の髪を指で弄ぶ。
艶やかな髪は、指を透す綺麗な質であった。
「好くの意味は、本に解せたのか…」
「ん、ぅ」
「解せてはおらぬのだろうな」
「まぁよい。お前は先程、私を好いておると言うたのだから」
覚えておれよ、と細い腰に腕を絡め、恩坩も早過ぎる時間ながらに、眠りについた。
子が、床に臥した時に、深く眠れぬ母と同じ。
昼の転寝の様な浅い眠りの中、恩坩は青藤が身を動かした事を察して目を開ける。
仰向けで、天に向けて手を伸ばすのが見えた。
「めぐる、おいてゆかないで、よ」
「そとに、つれだして、くれるとっ」
「おもうていたのに、」
昔の夢でも見ているのだろう、寝惚ける姿にまで心臓が跳ね上がる。
力無く落ち始める手を両手に握り、落ち着くようにと己の胸に押し当ててやると、青藤は、また規則的な寝息を立て始めた。
共に寝始め、そう立ってはいないが、何時も気付けば先に寝てしまっている。
基本的に、寝付きは良いようだ。
ふと、青藤の寝顔を見詰めて、恩坩は考える。
思う様に気持ちを言葉に出来ず、負の感情は、本に我慢し過ぎてしまう。
否定的で、塞ぎ込むのも得意だが、笑う時には無邪気なもの。
面倒見も良く、縁側で双葉の遊び相手になったり、狐坊の加勢をしたり、佐代と世間話をしたり。
それは、日々訪れる妖達にも同じ事。
毎日毎日同じ様な事を言われ、妙な事を聞かれても嫌な顔一つせず、話し相手となっている。
無理が祟ったのやもしれぬ。
そう思えば、酷く可哀想な事をさせているのだろうか、と思う恩坩だったが、夢の中でまで己の姿を追う青藤を目の前に、嬉しさの方が勝っていた。
熱が引いたら、しこたま可愛がってやろう。
嫌だ、解せぬ、好かぬ、と言うであろう青藤を確と抱き締め、飽いたと言うても離してはやらぬ。
時には、物書きに耽る事もなく、青藤だけを見てやろうじゃないか。
猫又など知らぬ。
次々に浮かぶ事々は終わりを知らず、それから一切眠りにはつけず終いだったが、翌日、目の下に隈を作った恩坩は満たされていた。
ともだちにシェアしよう!