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第18話

「横になれ、悪化するぞ」 「…かまわぬ」 上手く呂律が回らぬ癖に、恩坩から離れようとはしない青藤。 やむを得ず、毛布を手繰り寄せて、掛けてやる。 「猫又相手に、醜い嫉妬をするな」 「っ、」 「解せぬだ、好かぬだと言う癖に、一寸私が構わぬと臍を曲げる」 「ちがう」 「違わぬ!好かぬ好かぬと言うておると、余所を向いて、私は何処かへ行ってしまうぞ」 「それは、ならぬ、」 「此処の者は猫又の様な眼で私を見たりはせぬ。だが、猫又は私をそういう眼で見るのだ。隙あらば、私を狙うのだよ、青藤」 「…いやだ」 「お前が私を好かぬと言うのなら、他を見付けたい。それこそ猫又は手近で良い相手、今直ぐ求婚する事も出来る」 青藤の肩を押して離れさせ、顔を隠す程に長い前髪を掻き分けながら、恩坩は意地悪を言った。 汚いやり方ではあるが、今回ばかりは、そうは言ってられぬ。 第一、恩坩は青藤が好きだ。 毎朝共に布団に入るのに、何も手出し出来ないのは、少々辛かった。 好いた者が隣に居れば、接吻の一つ二つはしたくなる、あわよくば其の儘抱いてしまいたいと思う日もある。 全て、必死に抑えて過ごして来た。 それを、恩坩は自分ばかりで余所見など出来まい、と甘く見られていては困るのだ。 何より、青藤に好いていると言われたかった。 「…ほんにげせぬのよっ、…こいとはなに、すきとはなに。ほんのとおかで、げせるものなのか、」 「お前は花魁を終えた後も、好かぬ者と寝るのか?身請けされたからと、それだけで易々と寝れるのか?」 「げせぬ、っ!みうけたのは、めぐるだけ。こうして、ともにねるのも、めぐるだけ。わたしは、おまえしかしらぬのよ、っ」 「ならば、仕方なく共に居ったか?仕方なしに、共に寝ておったと言うのか?」 「わたしには、おまえしかおらぬから、っ」 「……青藤、私の傍は心地良いか?余所見をされるのは嫌か?」 藤色の色素の薄い目が、行き場を失い、唯只管に揺れていた。 問い掛けの方法を変えると、青藤は素直に頷く。 普段は血色の悪い顔が、熱の所為で赤く染まり、照れている様にも見えた。 「それが、好くと言う事、恋と言う物。人の世で如何な捉え方をするか知らぬが、此方ではそう呼ぶに足りる」 「……、」 熱い頬を両手で挟み、互いの両の目を合わせて恩坩は言った。 そして、眉根を寄せ、今にも泣き出しそうな顔をする青藤に接吻をする。 前にした時と同じ様に、青藤は嫌がりはしないが、前より熱い唇にそそられてしまう。 しかし、青藤は熱に侵された身。 ぐっと我慢を決め込み、恩坩は唇を離す。 「めぐ、」 「ん、っ」 まだ互いの顔を間近に捉える距離で、熱い吐息と共に呼ばれた己の名に、返答する前に、今度は青藤が恩坩にくちづけた。 舌を割り入れ、音を立てながら絡めた舌も、矢張り青藤のの方が熱かった。 今は、こうして青藤自ら、求めてくれただけで良い。 私を受け入れてくれただけで、充分過ぎる程良い。 恩坩は、そう自分に言い聞かせて、顔を引く。 前職の名残か、淋しげな表情をする青藤にぞくりとしたが、平凡を装った。 「…本に悪化する」 「ん、」 「この所、ちゃんと寝ておったのか?神の身で風邪を引くなど、」 「かぜをひいておらねば、わたしをだくつもりであったか?」 「治れば、私の好きにさせて貰う。だから、早う治せ阿呆」 「…ん」 表情の和らいだ青藤の額を、指でつつく。む、と口を尖らせた所をまた啄ばんだ。 どうやら僅かに箍が緩んだらしかった。 嗚呼、愛しいかな我が青藤。 背中を撫で、撫で、時が過ぎるのを待つ。 程無くして、薬箋を運んで来た狐坊を部屋にやって来た。 毛布を背に負い、恩坩から離れると、青藤は布団の上に胡坐を掻いた。 「青藤、調子はどうじゃ?」 「さむくはないよ」 「じゃが、まだ熱がある。ちょいと苦いが、飲めるかの?」 「りょうやくなのだろう、のむしかあるまい」 渋い顔をする青藤に、狐坊は薬が色濃く出た湯が、なみなみと注がれた湯飲みを渡した。 何ともいえぬ色をした湯に、躊躇った様子を見せながら、青藤は湯飲みに口を付ける。 が、矢張り苦いものは苦い、不味いものは不味い。 何口か飲むと妙な顔をし、また何口か飲むと妙な顔をし、随分と飲み難そうである。 「狐坊、何を煎じた薬だ?」 「秘密じゃ!天狗から聞いた薬、ちゃんと効くのじゃから、何が入っておろうと関係ないじゃろ!」 薬の名前一つ聞いただけで、何故大きな声を出すのか恩坩には理解出来ぬが、天狗の言うた薬ならばと安心する。 天狗とは、何かと役に立つ知識を豊富に持った奴である。 随分と世話になっているから、「天狗から聞いた」と言われれば、狐坊にも何も言えぬ。 文句を言うた事が知れると、望まぬのに、十も二十も何やかんやと薬について言われてしまうだろう。 「飲んでしもたか?」 「ん、」 「ほれ、口直しじゃ」 湯を飲んだ後の口直しに、狐坊が渡した箸に巻いた水飴を咥えて、青藤はごろりと布団に転がる。 それを見て、狐坊は恩坩に目だけで「頼む」と合図すると無言で部屋を出て行った。 「ふうは?」 「物を口に入れて喋るな、行儀が悪い」 「くうか?」 「……お前と言う奴は、」 相変わらず、人の気など一切考えてはおらぬ。 僅かに箸に残る水飴を、此方に向けて差し出す青藤に、呆れ顔をして見せる。 食わぬのか?、と引く手を掴み、箸を咥えると、苦い味の後で甘みが口の中に広がった。 「めぐる、すいとるよ」 「っな、」 「すいとる、と」 「私も好いておるよ」 不意に言いたくなったのだろうか、気紛れだろうか。 ちゃんと、その意味を把握したのだろうか。 照れ隠しから背を向けた青藤の肩を掴むと、思い切り撥ねられたが、恩坩はだらしのない笑みを浮かべて口から箸を落とし、隣へと体を滑り込ませたのであった。 一刻もせぬ内に薬が効き始めたか、意外と直ぐに寝息を立て始めた青藤の髪を指で弄ぶ。 艶やかな髪は、指を透す綺麗な質であった。 「好くの意味は、本に解せたのか…」 「ん、ぅ」 「解せてはおらぬのだろうな」 「まぁよい。お前は先程、私を好いておると言うたのだから」 覚えておれよ、と細い腰に腕を絡め、恩坩も早過ぎる時間ながらに、眠りについた。 子が、床に臥した時に、深く眠れぬ母と同じ。 昼の転寝の様な浅い眠りの中、恩坩は青藤が身を動かした事を察して目を開ける。 仰向けで、天に向けて手を伸ばすのが見えた。 「めぐる、おいてゆかないで、よ」 「そとに、つれだして、くれるとっ」 「おもうていたのに、」 昔の夢でも見ているのだろう、寝惚ける姿にまで心臓が跳ね上がる。 力無く落ち始める手を両手に握り、落ち着くようにと己の胸に押し当ててやると、青藤は、また規則的な寝息を立て始めた。 共に寝始め、そう立ってはいないが、何時も気付けば先に寝てしまっている。 基本的に、寝付きは良いようだ。 ふと、青藤の寝顔を見詰めて、恩坩は考える。 思う様に気持ちを言葉に出来ず、負の感情は、本に我慢し過ぎてしまう。 否定的で、塞ぎ込むのも得意だが、笑う時には無邪気なもの。 面倒見も良く、縁側で双葉の遊び相手になったり、狐坊の加勢をしたり、佐代と世間話をしたり。 それは、日々訪れる妖達にも同じ事。 毎日毎日同じ様な事を言われ、妙な事を聞かれても嫌な顔一つせず、話し相手となっている。 無理が祟ったのやもしれぬ。 そう思えば、酷く可哀想な事をさせているのだろうか、と思う恩坩だったが、夢の中でまで己の姿を追う青藤を目の前に、嬉しさの方が勝っていた。 熱が引いたら、しこたま可愛がってやろう。 嫌だ、解せぬ、好かぬ、と言うであろう青藤を確と抱き締め、飽いたと言うても離してはやらぬ。 時には、物書きに耽る事もなく、青藤だけを見てやろうじゃないか。 猫又など知らぬ。 次々に浮かぶ事々は終わりを知らず、それから一切眠りにはつけず終いだったが、翌日、目の下に隈を作った恩坩は満たされていた。

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