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第20話

一夜明けて。 「双葉、茶縞と珠綺を借りても良いだろうか?」 妖達が最も活発に動き出す時分、藤色の長襦袢姿で縁側へと赴いた青藤。 双葉達に虐げられた猫又二匹の身窄らしさと言ったら、例え好かぬ者であろうとて、情けを掛けてやらねば気の毒な程。 今も尚、「抱く」ではなく「ぶら提げる」が適当な形で二匹を抱え歩く双葉達に思わず苦笑いを零す。 「良いが」 「良いけど」 膨れ面な女児二人は、歯切れの悪い返答の後で青藤に向かって猫を差し出す。 「茶縞は、着いておいで」 三毛猫姿の珠綺を抱き、茶色の縞猫の茶縞には声を掛ける。 縁側より庭へと下り、長椅子を模った庭石へと腰掛ければ、懐から藤の一房を取り出して珠綺に与えた。 「藤よ、この者に掛けられた妖しき術を祓いたもれ」 藤の花を咥えた猫が一匹、其の花が見る間に枯れる内に本来の姿へと立ち直れば、不貞腐れた表情で立ち尽くす。 座れ、と手を引き隣に座らせたならば、珠綺の膝の上に茶縞が乗った。 「──……、」 「私は、其方とただ話がしたい」 顔を背け高飛車な風貌露ながらに、多少身形の乱れた態は、如何に双葉らに苛め倒されたかを物語っている。 ふと、石の上に無造作に置かれた白く細い手に目がゆくと、指先に酷く力が籠っていた。 徐に手を重ねると、珠綺はさっと手を引き、茶縞の艶のある毛を撫でながら横目で青藤を見遣った。 「に、臭うんでありんすっ」 「……ん?」 「ぬしの体中から鼻が腐る程にっ…」 何の、とは言わぬから、青藤は己の脇辺りを嗅ぐが、然程解らぬ。 増して、涙声で途切れ途切れに紡がれる語句の荒さと来たら、常人なれば怯んでいただろう。 「恩坩の臭いでありんすよっ」と苛立った珠綺の怒声で、気付くや否や苦笑いを洩らして肩を竦める。 「あちきが、どれだけ、どれだけ…っ」 恩坩を愛しているのか、お前には解らぬだろう、と。 続く言葉は、凡そ其れと同じ様な事だったのだろうとは思うのだが、涙に飲まれて聞く事は出来なかった。 茶縞が足元へと下り、心配そうに落ち着かないと言った様子で歩き回っている。 「きっと知っておろうけれど、私もね、男娼花魁だったのよ」 「其方達のその気高き性分も言葉遣いも、飼い主譲りに違いないのだろうね」 「良い花魁に育てて貰ったのだろうな、そして大層可愛がって貰ったと見える」 青藤が饒舌に勝手な言葉を紡げば紡ぐ程、隣に座る珠綺の嗚咽は酷くなるばかり。 その様子を横目に、柔らかく微笑むと一瞬躊躇いを所作に表しながら、青藤は綺麗に結われた髪へと手を伸ばし、撫でて遣った。 「申し訳ないとは思うておるけれど、生前悲しき花魁に情けを掛けておくれ、」 「但し。全てを奪うつもりは毛頭ないのよ、私は」 微笑を携えた儘、撥ね退けられる事の無かった手で、珠綺を抱き寄せると、矢張り嫌がる素振りは無く。 其れに安堵した青藤は、幼子をあやす様に背を撫で、双眸を伏せて頭部へと頬を寄せたのであった。 昔、私達は母とはぐれ、吉原へと迷い込んでしまった、と。 そこで、男娼花魁に拾われ大変可愛がって貰ったのだ、と。 ただ、その男娼花魁は年季が明ける前に死んでしまったのだ、と。 ぽつり、ぽつり、と降り始めの小雨の様にか細い声でゆっくりと話を始めてくれた頃には、珠綺の涙は引いていた。 その後は、と続きを促せば、吉原には思い出ばかり、心が痛んで仕様がなく他の村へと出向き、まだ幼い人の子の元で可愛がって貰った、とも話してくれた。 野良は恐く寂しいが、人は面倒臭く厄介だ、とも添えて。 「大藤の守、」 「青藤で良いよ」 「あお、ふじ」 「ん?」 「貴方、私の元の主人に良く似ているの。秋永高尾太夫に」 「そう」 控えめに袖を握っていた指に力が籠る。 傍から見れば、抱き合う恋仲の男女にでも見えるだろうか。 そんな事をぼんやりと考えながら、青藤は胸の中で『廓詞』ではなく至って普通に語った珠綺を抱く腕に力を込めた。 「ねぇ」 「ん、」 「おいで、と」 言うて、とは言わなかった。 その代わり、胸の中から濡れた瞳が物憂げに見上げている。 青藤は立ち上がると、屋敷の方へと数歩進んだ後振り返った。 「おいで、珠綺、茶縞」 石の上にて、寂しげな顔をしていた珠綺の表情がぱっと明るくなった様な気がした。

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