22 / 30

第21話

猫を二匹連れた青藤が廊下を歩くと、鳴家があちらこちらに隠れながらひそひそと話していた。 かと思えば、普段は離れの壁に張り付いている筈の壁座頭も何時にも増して不機嫌な形で母屋の壁に張り付いている。 青藤の気配を感じ取ったのであろう双葉が前方から走って来ていたが、背後に猫を連れた青藤を見るなり踵を返していく。 「……、何故だろうか」 「にゃあ?」 「ふに、」 はた、と立ち止まり、振り返ると鳴家達はさっと姿を隠した。 漏れた独り言に返事をしたのは二匹の猫だけ。 小首を傾げながら三毛の方を抱き上げ、「私を見て皆逃げてしまう、妙な事よ」と語り掛けると鼻先に冷たい鼻をくっ付けて猫はゆっくりと瞬きをした。 妙な雰囲気の屋敷内を猫を抱いた儘歩き、恩坩のものであり青藤のものでもある部屋へと入る。 奥の文机に向かい、此方には背を向けている男の元へと行く様にと猫を離してやるが、予想に反して猫は青藤の足元に擦り寄って来た。 「ねえ、恩坩」 「……」 「猫を二匹程、飼うても良いか?」 「……」 「既に数多の妖が住み付いているのだから、別に構わぬだろう?」 「……」 「ねえ、恩坩?」 一向に此方を向かず、増して話を聞いているのかさえ分からぬ態に、再度呼びかけてみるが、矢張り返事はない。 恩坩も妙な内の一人の様だよ、と珠綺に語り掛け、なんだか可笑しいね、と付け加えると、猫の形の珠綺は耳を立てて青藤の後へと回り込んだ。 「ならぬ」 「な、」 「ならぬと言うたら?」 「恩坩?」 「ならぬと言うたら、と聞いておるのだ」 返って来た答えにぎくりとするが、其れであっさりと引く青藤ではない。 例え此方を一切見ぬ狐の大妖怪が、少々不機嫌であろうとも恐れてはならぬのだ。 根拠は一切ないが、唯我を通したい。その為だけに強い姿勢を崩さぬ。 「ならぬと言われても飼うけれど」 「ほう」 「もう決めたのだから」 「へえ」 何時にもなく会話が続かぬばかりか、恩坩からの返答は曖昧なものばかり。 手持無沙汰で長襦袢の襟元を正しながら、頑なな背を見詰める。 「部屋が無かろう」 「家守に増やして貰えば良い、私とてそろそろ部屋を欲しく思うているし、」 「へえ」 「……先程から、何を怒っていると言うのよ、此方も向かずに」 飽くまで静かに行われるやり取りの中に、緊張と刺々しさが見られた。 此処に来て漸く、かたり、と筆を置く音がしたかと思えば振り返った恩坩の面と来たら、怒気に満ち溢れて人とも狐とも区別出来ぬ様。 直ぐ様立ち上がり、鼻先にまで近寄った強面に驚愕を顔に出す間も無く呆気に取られる。 青藤がここまで怒りを露にする恩坩を見るのは初めてである。 此方に来て直ぐに抜け出した直後の顔を目の当たりにはしておらぬのだから。 小妖怪ならば、泣いて逃げ出すやもしれぬが青藤の気位は決して低くない。 それ故後退ることなく間近に迫る強面に目を細めるだけ。 「昨日の今日で、猫に当てられでもしたか?」 「は、?」 「これだから花魁だか、男娼だか知らぬが、花街生まれは気がしれぬ」 「なにを、」 「男も女も見境なく、日々取っ替え引っ替え忙しいものだな、身が持たぬのではないか?」 「……っ」 「図星を当てられて、ぐうの音も出ぬか、良い気味良い気味」 ふ、と鼻で笑った後で舌打ちした恩坩を睨めば、同じく睨み返される。 双方引かぬ姿勢に雰囲気が一気に張り詰める。 が、たかが其れだけの事で物怖じする青藤でなければ、直ぐ様身を引く恩坩でもない。 「妙な形相で私を脅かそうとも、その様な手が通じる相手だと思っての事ではあるまいね、恩坩」 「さぁ、どうだかな」 互いが余裕を垣間見せるかの如く、口端を持ち上げるだけの気色が悪い笑みを浮かべる。 先に手を出したのは青藤の方であった。 但し、何も恩坩を殴るだとか、引っ叩くと言った手荒い手の出し方ではない。 否、其れよりもっと、あくどい遣り方かもしれない。 後頭部に手を回すなり、互いの唇を重ね合わせたのだ。 思い掛けない其の行動に、恩坩の顔が強張ったのは勿論、背後に控えていた珠綺や茶縞迄もが驚き尾を逆立てる。 「齢、既に数えるのも億劫な大狐が、何を私の心を試す必要があると言うのよ。ねぇ?」 「……、っ」 「先程の威勢は何処へ行ったのよ」 「…喧しい」 身を離した恩坩が恨めし気に青藤を見遣るが、そこにはもう、先程の威勢は微塵も感じられない。 「珠綺と、茶縞なのだけれど」 「……構わぬ」 再度改めて尋ねると、歯切れこそ悪いが良い返答が返って来た。 だそうだよ、と背後を振り向くと二人は安堵したのか、尾を下へと下ろした。 部屋は、と青藤が切り出そうと口を開く寸前、暫しは客間で、と一拍早い言葉が降る。 「但し、」 「ん」 「私の部屋で眠る事は禁ずるぞ。特に青藤の懐ではな」 「……お前も猫又相手に大層見苦しい嫉妬だな」 肩を竦めて見せれば、先程まで怒りに狂っていた方からは大きな溜息が零れた。 「また妖が増えてしまったな」 「嫌ならば、結界の一つ二つ張れば良い、張らぬのは恩坩の優しさだろう」 「そうよ、私達だって結界があれば諦めたかもしれないわ」 「…珠綺ねえさんが、そう簡単に諦めたかしら」 「恩坩はもういいの、私青藤が良いわ」 「女心は移り気なものだな、ねぇ恩坩?」 場の雰囲気が多少なりと和んだ事を察し、意地悪好きな猫又も口を挟む様になる。 その姿は既に、人の形へと戻っており、余裕とばかりに笑みさえ浮かんでいる位だ。 「私、双葉とも仲直りしなくちゃならないの。だから、先に行くわね、青藤」 「ねえさんが行くのなら、私も」 さてでは、と青藤が大広間に向かうのを促そうと口を開くと、すかさず其れを制する二人。 女らしい気遣いの下、二人はさっと部屋を出る。 青藤も恩坩もそれを止めようとは思わなかった。 襖が閉じるのを合図とばかりに、恩坩は文机の前に腰を下ろす。 青藤も青藤で、恩坩の隣に腰を落ち着け、文机に肘をつく。 「昔の飼い主に、私が似ていたのだそうだよ」 「秋永高尾か、」 「知っていたのか」 「お前より美しさの劣った男娼花魁だったがな」 「馬鹿を言うな」 「……よく手懐けたな」 「まだ体に七珍の匂いが染みついているのかもな、あの廓の、」 「お前は昔から人にも妖にも好かれる身の上だからだろう」 二人きりになった部屋では、先程の雰囲気など全くの嘘だったかの様に和やかなもの。 少々手荒な遣り方ではあるものの、恩坩なりに此処で暮らす上での建前を猫又に知らしめておきたかったのだろう。 “青藤には手を出すな” 単なる独占欲だけの、その建前を。 さて話が一段落つけば、苦く笑みを零しながら青藤は立ち上がり、部屋を後にする。 廊下に出て直ぐ、大広間からわいわいと賑やかな声が聞こえ、向かう足を速めた。 一方、恩坩は冊子を捲る。 其は未だ真新しい頁であり、珍しく絵の描かれた其処には、双葉に追われる二人の女が描かれていた。 「淋しさ拭うた猫又二匹、飽くる日が来る其の日迄、御巡りの家にて華咲かす。賑やかさと云ふ名の華を」 藤を模った枠型の絵の中に書かれた二文は、暗くはない未来を予想しており、恩坩は表情を緩める。 そして、青藤の後に続くのであった。 「あ、こら!珠綺!それはわらわの毬じゃろうと何遍言うたら分かるのじゃ!」 「わからぬよ。私はまあるい、この毬が好きだもの」 「茶縞!わらわの鏡台で爪を砥ぐなと何遍言うたら分かるのじゃ!」 「双葉、ごめんなさい。でも私、そこで爪を研ぐのが一番気持ち良いの」 二人の女児に、二匹の猫又。 丁度良く、互いの遊び相手が見付かったのでは、と青藤は思う。 また、此処で住まう事になったと二人を紹介した際には、やや嫌な顔をした佐代に狐坊、鳴家でさえも、今や諦めたものと窺い知れる。 否、受け入れてくれたのだろうか。 懐の深い妖ばかりが集う屋敷である、誰も彼も直ぐに打ち解け、まるで昔からずっと暮らしていた家族の様に伸び伸びと暮らす事が出来る。 そう、己の様に。 「青藤青藤?」 「毬突きをしようよ」 「五人でじゃぞ、きぃっと楽しくて止められぬ様になる毬突きじゃ!」 「そうじゃ!五人でじゃから、きぃっと明くる朝になっても飽きぬぞ?」 藤棚の下で物思いに耽る青藤に四人が声を掛ける。 「どれ、わしも入れてくれ。久々に毬でも突きたい」 「私も偶には、体を動かさねば体が鈍ると狐坊が囃す。仕方なしに付き合ってやろう」 どれどれ、と母屋の奥から二匹の狐まで顔を出せば一層賑やかになった。 結局、誰かが取り損ねた毬を拾う係に鳴家達までもが参加し、その先では壁の様に様々な妖が立ちはだかる。 全く、お祭り騒ぎと化した毬突きは、普段より幾倍長く行われたのだった。 「あ、青藤!そっちに飛んだよ」 「お前は青藤ばかり狙うな!」 「見苦しい嫉妬だな、恩坩」 「喧しい!」

ともだちにシェアしよう!