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【第3章】第22話

さて、つい先頃、このお巡り家の仲間入りをした猫又二匹。 双葉達ともすっかり打ち解け、今は縁側に並ぶ姿も見られる様になった。 今日も、例外ではなく縁側では静かに四つの影が並んでいる。 其の様子を眺める影女の姿も障子に見受けられた。 また、今日も狐坊は離れにて皆の食事の支度をしている様である。 其れに鳴家が群がるのも、このお巡り家では当然の事。 垢舐めは風呂場の隅で一人座り込んでいるし、壁座頭も相変わらずの不機嫌さだ。 屋敷の主は、部屋にて書き物をしており、其れに見初められた者は藤棚の下で一息吐いている。 普段通りの、何事も無い日常の中に、ゆったりとした時間が流れていた。 しかし、それを打ち破る様に、表戸を叩く音が小気味良く屋敷中に響いたのだった。 懐かしき人 猫又達は、ピンと耳を立てて、表口の方へ意識を向け、双葉達は「客だ客だ」と走り出す。 狐坊とて、手にしていた木箆を持った儘、母屋へと赴く。 主人は表口の方を見遣っただけで、直ぐに冊子へと視線を戻したのだが。 「今晩和」 一番に表へと着いた双葉達は、戸に映る影とその声に身を固くさせた。 後に遅れて姿を現した狐坊もまた、困惑した様に其の場で立ち止まる。 何と言っても、今回のこの客人の正体と言えば。 「そう怖がってくれぬとも、小生は其方に害を及ぼす存在ではございませんよ」 皆が恐れ慄く美叶璃なのであるから。 そう、恩坩と同じく九尾を持ち美目麗しく、其処に立つばかりで、双葉や狐坊などの下等な妖は平伏してしまう、妖狐なのだ。 がらり、と引き戸を自らの手で開くと、美叶璃は、にこやかに笑んで見せるのだが、立ち尽くす三人は相も変わらず。 やれやれと言った様子で美叶璃は背後に控えていた女子を呼ぶと、許可を得る迄もなく屋敷へと上がり込んだのであった。 「宜しいのですか、美叶璃様」 「ええ、此処は私の兄と慕う者の屋敷。来る前にそう話したでしょう」 「なれど、」 「来る度、恐れ慄く小物に相手をしていては、主人に会うのも夜明けになってしまうのですから」 「……はい」 美叶璃と連れは屋敷を奥へと進み、主の部屋の前で立ち止まる。 美叶璃、はたまた主の仕業か、どちらとも言えぬが、襖が開けば、中に居た主は静かに筆を置いた。 「お前が何の文も寄越さず、此処へ出向くとはな」 「失敬、兄上。今回は小生の連れが、一目、青藤殿の矍鑠たる姿を拝見したいと切望するもので」 「嗚呼、そう言えば、」 美叶璃が畳へと腰を下ろせば、背後に隠れる様に連れが座る。 恩坩が文机に向き直り、頁を前に遡る事数十。 美叶璃と連れの馴れ初めの話を簡単に黙読すれば、恩坩は納得した面持ちで振り返る。 「青藤なら外の藤棚に居る」 「御意。されど、先ずは兄上との引き合わせを、」 「馬鹿を言うな、其の様な話はお前の口から聞くだけで十分。久方振りの再会を先延ばしにしては可哀想だ」 「誠に忝い御言葉」 元より礼儀正しい美叶璃も、恩坩を前にすれば、更に畏まった態度を取る。 古語を交えた口振りに、普段とは違う姿を見、連れは背後で小さくなっていた。 それも、行っておいで、との美叶璃の言葉を聞き入れるなり、深々と頭を下げて部屋を後にしたのであった。 「双方、奥床しいな」 「小生は然程。唯、七珍と言う廓、実に壮麗な人を撫養致す場と推察致します」 「ならねば、我とて我が子同然の者を差し出したりはせぬ」 そう訪れはせぬ可愛い弟分を目の前に、恩坩も高貴さを滲ませる。 また、直に畳に座る美叶璃へ座布団の一つも出さぬのは、其れを美叶璃が拒む事を知っているからである。 「青藤殿と同じく、贄殿裏生まれの七珍育ち。その様な女子を細君にした事、兄上は何も諌めはされませぬか、」 「お前までもが、青藤の為にとその様な事をしたのであれば、諌めたいが」 「否で御座います」 「ん。我の真似事でもあるまいな」 「論無く、小生の目耳にて、見染めた上での事で御座います」 「ならば、お前の杞憂に過ぎん」 どれ、茶でも飲むかと恩坩が提案すると、美叶璃は小さく頷いた。 一方、外の藤棚に慕わしい人物が居ると聞いた、美叶璃の連れ……、簪の九十九神は早速藤棚へと向かっていた。 美しい黒髪を島田髷に結い、愛らしい桜の前簪を飾り、葵色の着物を着た姿は、未だ二十歳にも満たない様だが、実の齢は解せぬ。 草履を引っ掛けた足は、藤棚、否大藤の守と言う神の気を強く感じる毎に早まる。 其の足が、今に絡まり転んでしまうのではないかと言う頃、九十九神の目に、月明かりを浴びて妖艶ささえ感じる藤の花が捉えられた。 (何て、美しいんだろう……、嗚呼) そして、藤棚を支える柱に寄り掛かる背中を見つけるなり、涙で視界を歪ませる。 すっかり気を抜き、来客の事など露知らず、月光を眺める青藤には、既に神と言う立場が至極定着している様に見えた。 青藤は未だ、九十九神の存在に気付いてはいない。 「……っ、おい、らんちのねえさ…っ!」 青藤の傍へ駆け出すのと、声を掛けるのと何方が早かっただろうか。 また、青藤が吃驚した表情で振り返るのと、九十九神が傍らに滑り込むかの如く座るのと何方が早かっただろうか。 着物が汚れるのも気に留めず、九十九神は地べたに座って青藤の首へと抱き付き、胸へと顔を埋めた。 「あ、おい……?」 「っ、ねえさっ」 青藤は咄嗟に、背へと腕を回し、突然抱き付いて来た相手を抱き締めて遣る。 最後に見た頃より、幾分齢を重ね、大人びた雰囲気を纏っているが、其の声にはとある者の面影があったのだ。 「何故、お前が…この世に、?」 一瞬にして、脳裏に昔の記憶が蘇る。 十九にして、一人前となった時、一人の禿が付いた。 床に臥す事が多くなった頃には、引込禿になるとの話が持ち上がったのだと言う。 よく、布団に潜り込んできた女児。 どんなに「私は男だよ」と諭しても決して、「にいさん」とは呼ばなかった唯一の子。 『ねえさんは、どのにいさんよりも、ねえさんみたいだけん。それに、どのねえさんよりも美しくって、優しいけん、ねえさんで良かとよ?』 そんな風に、慕ってくれていた事も。 一瞬にして、蘇った。 「葵、何を泣くと言うのよ、」 「っ、ねえさん、ねえさん、ねえさんっ」 「……少し落ち着かねばね」 ぐすん、ぐすん、と鼻を鳴らしながら自分を呼ぶのが、酷く懐かしい。 『死んでしまうと?ねえさん、死んでしまうとね?なして?なしてね?』 『なして、ねえさんが死んでしまうと?ねえさんが、いっちゃん、ここで頑張りよったよ?』 『なのになして?ねえさんが、居らんごとなったら、あたいはどやんしたらよかとね?』 床に伏した時、もうそう長くはないかもしれない、と零した時も、同じ様に胸の中で泣いていた。 そんな懐かしい事を思い出しながら、青藤はただただ、猫又にも遣った様に九十九神の背を撫でて遣るばかり。 元は、この子で人の背を撫で慰める事を知ったのだが、それも随分と昔の事だと、ぼんやりと思いながら。 「どれ、まだ冷えるよ。神の身も妖の身も、人と同じく風邪はあるそうでね。大事に至る前に屋敷へ戻ろうか、」 「う、ん」 もう春が間近に迫っている季節、日が落ちても身を震わす程の寒さはないが、未だ肌寒さが残る。 漸く、九十九神が落ち着いた頃、青藤は優しく語り掛けた。 ふと、恩坩の部屋を見遣れば、鈍感な青藤でさえ分かる程、強い妖気が滲んでいる。 どうやら客人は、葵一人ではなかった様だと青藤は目を細めた。 「屋敷には結界を施し、屋守や警衛にも何かあれば直ぐに遣いを寄越す様に申し付けて参りました故に、御心配には及びません」 「なら、暫くは逗留すれば良い」 「感謝至極に存じます」 部屋に近付くに連れて、漏れる声が徐々に大きくなっていく。 会話の内容から、遠方からの客人達は今暫くは此処に留まるのだろうと青藤は察する。 背後に控えていた九十九神も、急ぎ帰路に着く必要がない事を知り、安堵した。 「入るが良いだろうか」 「ん」 一応の掛け合いの後、襖を開き部屋へと入ると、明らかに高位な妖の客人の背に困惑する。 それでも平常心を心掛け、恩坩の隣へと腰を下ろせば、九十九神は美叶璃の背後へと腰を落ち着けた。 「して、この御客人、一人は私に懐いた葵と見えるのだけれど、それは正しいのだろうか。また、もう一方のお方は?」 「御初に御目に掛かります。小生、美叶璃。此方の細君は、御察しの通り、葵で御座います」 「…ねえさんの言う通り、葵に違いありません、」 「美叶璃は私の弟分、葵は簪の九十九神となり此方で二人仲良くやっているとの事だ」 「あ、嗚呼、私の方こそ、先に紹介させてしまい申し訳ない。私は青藤と。このお巡り家にて、藤の守神と任命され、恩坩と共に過ごしております」 矢張り、葵だったのかと青藤は頷く。 何故だろうか、一度はもう会えぬと思うた人物が今目の前に居る事に対して、余り驚きはなかった。 肝が据わったのだろうか、と思うのだが、唯自らがもう一度会いたいと思うと同時にまた会えるのでは、と予感していたからなのかもしれない。 何せ、驚きや困惑よりも先に、安堵や喜びを覚えているのだから。 「そう持成しも出来ぬだろうが、常日頃の疲れを癒すと良い。此処には、数多の妖が居る故、言い付ければ何かと世話を見てくれるだろう」 「後で紹介も兼ねて、屋敷内を歩こうか」 恩坩は美叶璃に、青藤は葵に。 それぞれ言葉を掛けると、互いの相手からは良い返答があったのだった。

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