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【番外】月見の頃
私は今、妖の世にすっかり馴染み、のほほんと毎日を過ごしております。
輪廻転生とは違うのかもしれませんが、人の世とは違った暮らしをしている今の自分は、何とも自由であるのです。
日々、持て余した時間を唯只管に消費する暮らしではなく。
半永久的に約束された生の中の、たった一日、その一日ですら充実した時間に幸せを思います。
何故充実しているかとは、上手く説けませんが、時間に囚われ過ぎないと言うだけで、こんなにも気楽であります。
苦にする事も、そうないのですが。
敢えて挙げるとするならば、この屋敷に住まう者達が、少々変わっている事。
それ以上に、恩坩と言う名の男が、変わり者であり、それと共同の部屋で住まうと言うのは、少しばかり疲れると言う事。
けれども、矢張り此方の暮らしは、平穏でありますので。
時折、一人残った部屋で、こうして恩坩を真似た物書きをしてみるのです。
普段は恩坩が向かっている文机に向かい、適当に開いた頁に、青藤はこんな事を書き綴った。
蝋燭台に鎮座する女は、最近部屋に訪れる様になった迷い火だ。
以前世話になった迷い火は、暫く此処に留まっていたが、最近は見当たらない。
迷い火とはそういうものなのよう、と佐代が笑っていた事を思い出す。
「迷い火や」
「なーに、大藤の守」
「今宵も、有難うね」
「いいのよいいのよ」
照れ臭そうに肩を竦めた迷い火を少し笑う。
今日は、定例行事である脅かしの日。
大多数の妖達は、夜が更けるのを待たずして屋敷を飛び出して行ったので、居残り組の中でも、灯りをくれる迷い火は、本に有難かった。
お蔭で、物書きをする事も出来、背後の襖に影を落として、こっくりこっくり居眠りをする佐代の姿も目に留められる。
ふと、散歩、と一言残して屋敷を出た恩坩の様子でも見に行こうかと思い、一度大きく手を広げて伸びをすると、青藤は恩坩のお下がりの紐で髪を結い上げた。
久々に上げた髪は、以前より伸びたのか、それとも力がまた宿ったのか、ずしりとした重みがあった。
それを感じたのも、ほんの少しだけ。
今この時に必要分の力だけを留め、残りは一時的に紐に吸収される。
適度な長さを保つ事も出来る代物である。
昔、話に聞いた、東京とやらでの生活よりも、便利な物が溢れる世だ。
「お佐代、部屋で寝ればよいじゃないか」
「んん、青藤?出るのう?」
「少しばかりね。恩坩でも見に行こうと思う」
「ん、昼過ぎまで起きて居たからねえ、今日は部屋に戻って寝た方が良いかもしれないわねえ」
「ほら。私は出たいのよ」
「わかったわよう」
部屋を持つ、と言うのも難ありで、規則正しい生活に徹していた佐代も、部屋が出来てからは、遅くまで部屋で何かをしているらしい。
一人の部屋を持たぬ青藤にしてみれば、何と無く羨ましい。
影が消散したのを確かめると、青藤は廊下へと出るが、床は軋まなかった。
鳴家は一人として残っては居ないのだ。
表口へと進む廊下に、自分の足音だけを聞くのは、懐かしい事だった。
客間にも、大広間にも、廊下にも、妖は居らず。
それが少し淋しく思う自分に、すっかり人であった頃の面影は無いと、つくづく感じた。
草履を突っ掛け、出た外には、星が幾つも見えた。
秋の涼しい風に、屋敷の前の茶色い猫じゃらしが揺れる。
ありふれた自然を目に、七珍の町を思うのだが、七珍とはまるで違う。
何処彼処にも色情が渦巻き、噎せる程に気分の悪い空気は此処には無い。
屋敷から一歩出て、物思いに耽っていた所、風ではなく柔らかなものが頬を撫でた。
「すすきだ」
「知っておるよ」
「月見でもするか」
「その様なもの、久しくしておらぬよ」
「ならば尚更、せねばな」
散歩の途中、見付けたのだろう。
摘んだススキで、恩坩が頬を撫でていた。
こういう事をするのが、青藤には少々鬱陶しいのだ。
心の底から、鬱陶しいと思いはするのだが、同時に、恩坩らしいな、とも思う。
そして、許してしまう。
それが、恋仲であると言う事。
それが、恋慕であると言う事。
以前恩坩に教わった事を、心の内にて呟き、青藤は頬を緩めた。
「したかったのならば、そう言わぬか」
「…阿呆、勘違いするな」
「嬉しそうに笑うておったじゃないか」
「月見が嬉しくて笑うたのじゃない」
横に居る恩坩の肩を、拳で軽く殴ると、やり返そうとする。
肩に同じ様な拳を受ける前に、青藤は縁側へと走る。
そうして、後を追っているであろう恩坩に大きな声を出した。
「お前の事を考えて笑うたのだよ、恩坩」
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