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第2話

「お疲れさまでした。いやほんと、司くんに頼んでよかったわ」 「お疲れ様です。そう言ってもらえてよかったです」  クールな声音でそう返すと、司はミネラルウォーターに口をつけた。上下する白い喉に、傍を通り掛かったスタッフの目が釘付けになっている。 「でもこれって下着のプロモーションですよね。俺結構好き勝手やっちゃいましたけど、大丈夫でしたか?」 「むしろあれくらいやってくれた方がいいんだよ。ターゲット層はゲイに絞ってるし、TSUKASA着用モデルと聞いて飛びつく奴は多いからさ」 「はぁ。そういうものですか」 「謙遜しなくたっていいのよぉ。今この業界でアンタこと知らない人なんていないんだし、TSUKASAに憧れて来ましたって子も少なくないんだからさぁ」  しれっとメイク担当のルリちゃんが話に加わっていた。大柄な身体にずいと割って入られて、プロデューサーが決まりの悪そうな顔をする。 「過大評価だと思うんですよね。この業界にいるのだって成り行きだし」  高校を卒業してすぐ、司は当時付き合っていた年上の男の家に転がり込んだ。しかしちょっとした口論がきっかけで男と別れた際に、司はあっさりと捨てられた。今となっては笑い話だが、定職についていなかった当時にしてみれば大事件だ。勘当されていたため帰る家もなく、途方に暮れた末にその手の人たちの御用達スポットを半ば投げやりな気持ちで訪れたのが、すべての始まりだった。 「馬鹿なガキだったんですよ。運よくスカウトされて、経験もあるし大丈夫だろうと軽い気持ちで受けた。そしたらまさかのSMもので泣いたし」 「今でも覚えてるわよ。嫌ならここでやめる? って聞かれて、泣きながら首を横に振った司ちゃんのこと。あの時はこの子大丈夫かしらって思ってたのに、ここまで大きくなっちゃうなんて」 「金もなかったし、フられてヤケになってたから、変に執念深くなってたんだよ。もうここでやっていくしかないなって」  懐かしげに遠くを見つめるルリちゃんに釣られて、司も過去を反芻する。転がり込む形で足を踏み入れた業界で、生き残ろうと必死にもがいていた。しかしそもそもが斜陽のゲイビデオ産業である。続けてビデオに出演するモデル自体がまれであり、司の名が売れ始めるまでにそう時間はかからなかった。 「最近は色んな媒体から声が掛かってるらしいわね。そうそう、この前出てたウェブの番組観たわよ。あんたガッチガチだったじゃないの」 「人前に出るの苦手なんだよ。あとバラエティって出演者にいちいち変なキャラ付けしようとするから疲れる」 「確かに何としてもエロいこと言わせようって魂胆はすごく感じたわ。だけど司ちゃんってプライベートとか一切不明だし、色々喋ってほしかったんじゃないの?」 「じゃあ何? 1時間前まで楽屋で20センチ奥まで咥えてましたとか言えばよかったの?」  司が性的なジョークをかますと、ルリちゃんは大声で笑った。スタジオ中に響き渡った声に視線が集まって、ちょっとだけ気まずい思いをする。  ルリちゃんが言うように、司のプライベートはそのほとんどが謎に包まれている。ポルノ業界においては珍しいことではないが、司レベルの有名人となると、普通は出身校から今までの経歴に至るまでの一切が明るみになるものだ。むしろブログやSNSの類を一切やらず、ほとんど自身に関する情報を与えない方が珍しい。  もっとも、理由らしい理由はなく、単純に性に合わないというだけなのだが。そうしているうちにミステリアスなイメージが定着し、様々な憶測が飛び交っているのが現状だ。 「まぁミステリアスなのが司くんのウリだから。僕は今のままでいいと思うけどね」 「それはそうだけど、アタシはもっと司ちゃんにビッグになってもらいたいのよ。昔に比べれば寛容な時代だし、いっそのこと地上波デビューしちゃえば」 「さすがにそこまで行くのは難しいんじゃないかな。ケーブル局ならアテがないこともないけど」  いつの間にか自分抜きで会話が進んでいって、司は心中でこっそりため息をついた。業界のトップスターであるTSUKASAが、活躍の幅をポルノの外にまで広げつつあると囁かれているのは事実だ。  けれどそんな華々しい話は、司にとってあまりにも現実味がない。もちろんそれに付随する派手な噂も全部でたらめで、実際の司はもっと平穏無事な普通の生活を送っている。それだけで十分に満たされているというのに。 「ところでルリちゃん、撮影で履いた下着って買い取れる?」  気が付けば「果ては銀幕デビューか」なんてところまで話が飛躍していたのを見かねて、司はルリちゃんにそう尋ねた。 「え? ああ、下着ね。直接肌に触れたものだし、宣伝も兼ねてそのまま司ちゃんのものになると思うけど。まだ履いたままでしょ?」  撮影が終わってデニムのパンツだけを履いた状態の司は、まだプロモーション用の下着を履いたままでいる。パープル地に黒いレオパード模様のGストリングは、なかなかに司好みのデザインだ。 「うん。もうこのまま帰るから、そう伝えといてくれる?」 「それはもちろんいいけど。なに、見せたい相手でもいるの」  ルリちゃんの目が好奇心に歪む。ゴシップに目がない‘’彼女‘’のことだ。司がわずかに匂わせた第三者の影が気になって仕方ないのだろう。 「さぁ。どうだろうね」  わざとはぐらかすと、司は撮影ライトに照らされていた時のように蠱惑的に笑ってみせた。  

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